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囚われの自分から脱出するにはエネルギーがいる

昨日の夜のことだ。思い立って、大昔そう、もう20年くらい前に買った本を開いていた。パット・パルマーの「自分を好きになる本(Liking Myself)」だ。そこの最初のレッスンに、まず「大好きなことを探そう」と書いてある。「わくわくするのはどんなとき?しあわせだなぁ、って思うのはどんなとき?」
私は考え考え、いくつかを書いた。

 文章を書くこと
 部屋をきれいにすること
 パウンドケーキを焼くこと
 犬が散歩しているのを見ること
 スパゲッティ屋さんへ行くこと
 花を生けること
 ヨガをゆっくりやること

ここまでは比較的、ゆっくりではあるけれどもすんなりと書けた。問題は、次のレッスン2だった。自分をほめる練習だ。
「あなたのいいところ、あなたのとくいなことを書いてみて!すっごく上手じゃ無くてもだいじょうぶ。100点満点の人なんかいないんだから」
・・・。
そんなこと、つまり自分のいいところとか書き出していいんだろうか?という、根拠のない不安が頭をもたげてきた。考え考え書いた。

集中力がある
文才がある
料理がとくい
やさしい
ていねい
まめ
いつも元気
絵を鑑る力がある

悲しいかな、これを書き出せたのはとてもよかったと思うし、実際よかったのだが、私はすさまじく強い頭痛がしてきて、それでこの「自分と友だちになる」章は、一旦閉じてストップした。
なんで、自分と友だちになろうとしているのに頭が痛くなるんだろうか?おそらくは、私は両親と友だちになろうなろうとばっかりして来たのだ。でも、それは家ではとても難しいことだった。なんでかというと、両親は私をいじめていたからだ。
ずっと幼い頃から、家庭の中でいじめられるのはとてもつらい。幼児は、家庭という場所から逃げ出せないし、そこで最初に受けた扱いを「正しい」と、思ってしまう。間違った認識をしてしまう。
実際、上に書き出したことは、ここ三年近くに、親がやっと死んでくれて、それで自分の生活というものができて発見したことだ。でも、これを自分で書き出すのは大変だった。両親の罵詈雑言や、皮肉や、ディスりが頭の中に飛んできて、しばらく私は横になった。
やっぱり親は大事とか、子どものことをいつも考えていますとか、全部世間のつくった嘘っぱちだと私は思った。うちの親は、私がわくわくしたり、しあわせであるのを嫌がっていた。そういうのに、とらわれていた自分自身と仲良くなるには、エネルギーが必要だ。



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