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父方の実家のこと

父方の家の事を語るのは、とても難しい。
もう、この世にいない人たちの事なので、いい加減ここに書いても構わないと思うが、祖父はいわゆるその時代のイケメンだった。そして、その息子であるところの父、そして叔父二人もやっぱりイケメンだった。ちなみに、父はどちらかと言うと逆三角形の顔立ちで、そして上から二番目の叔父は醤油顔で、末弟の叔父はバタ臭い顔付きだった。この叔父は、髪の毛も栗色がかっているくせっ毛で、目の色も少し茶色っぽかった。若い時分のロジャー・ダルトリーにかなりよく似ていた。
そういう父を含めた三兄弟を、どうして私はあんまり好きじゃなかったのだろうか。それは、実際私は彼らに散々いじめられていたからだと思う。もっと正確に言えば、無関心で無視されていたからだと思う。ちなみに、私自身は実は、父自身に顔立ちは一番よく似てしまっていた。
しかし、祖父はこれは掛け値なしに私に優しかったけれども、基本的に父方の家は、さかのぼると江戸の職人の家系で古い考え方の家だった。男は稼ぎがあって、独立しているのが一番で、そして女は料理が得意で愛嬌があり、一家を回していけるのが理想だった。私は、小さな頃から無表情で、そして本が好きで、勉強ばかりしていたので彼らの決めたいい女の基準からは、大きく外れていた。父をふくめた男兄弟三人は、いつも料理上手でそして、ジャイ子のような顔立ちでとても権力的で怖かった祖母の部屋に、入り浸りだった。そして、母はいわゆる美女ではなかったけれども、かなりの策略家であってこの父を完全にコントロールしていた。だから、父方の実家に幼い私の居場所はなかった。
小学生の頃は、それでも夏休みというものがあって、信州にある母方の実家にいとこ全員が集まる機会があった。母方の家は、曾祖父の代からのクリスチャンで、本を読むこと勉強することを良しとする環境だった。そして、その母方の実家では、唯一私に目をかけてくれていた母方の祖母が、父母のいじめから全力で私を守ってくれていた。そんなことで、父親は持病の喘息を理由に、その信州の実家にはだんだん現われなくなった。
その平屋造りの昔ながらの八角時計の鳴る信州の家は、私にとっては天国だった。
それからいろんな事があって、長じて、現在の私は料理が随分得意になったし、晩年の父を世話していて、大分と和解もした。でも、私はやっぱり顔立ちの整った男性を見ると、反射的に無理だ、と今でも思ってしまう。彼らは、気位が高くて女性に意地悪でそして強度のマザコンだった。彼らは私に全然やさしくなかった。

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