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私の人生を変えたカナダ留学

久しぶりの更新になってしまいました。数ヶ月ぶりにnoteにログインをしたら、新しくフォローをしてくれていたり、過去記事にいいねをしてくれている方がいらっしゃって、とても嬉しかったです。ありがとうございます!!
未熟者ではありますが、これからも細々と更新を続けて、みなさまのためになる記事を書けるよう日々精進していきます。

2024年も気づけば新年度が始まってしまいましたね。
私は10年前の2014年にカナダ留学から帰国し大学3年生に復学しました。もう10年も経つなんて、衝撃です。。(今教えている学生は、一回り違うと思うと…笑)
今回の記事では、初めての長期留学からの帰国10年を記念して(?)改めて留学を振り返り、私が学んだことをまとめてみようかと思います。

今思い返しても、私の人生はカナダ留学を境に大きく変わりました。今の私がいるのはカナダ留学があったからです。

アメリカとの国境、ナイアガラの滝で21歳の誕生日を迎えました。極寒で顔がこわばって笑顔が作れませんでした笑


留学に行く前の私は、夢も目標もないまま親のお金で大学に通う取り柄のないただの学生でした。
第一志望の大学には入れたものの、なにをすればいいのかわからず、ただ流されるように毎日を過ごしていました。唯一の目標は、留学にいくことだけ。留学にさえ行けばなんとかなる、そんな気持ちで留学の手続きを進めました。

留学先に選んだのは、カナダのバンクーバー。大学の先生に安全面でアメリカよりもカナダを勧められたから(結局大学院はアメリカに行くことになりますが笑)、そしてバンクーバーがカナダの主要都市で1番暖かいから、という意識の低い理由からでした。

そんな軽い気持ちで来たバンクーバーですが、語学学校ではPre-Adanvedという上から3つ目のレベルのクラスに配置され、いきなり日本人の少ないハイレベルな授業に必死についていかなければならない状況に置かれました。グローバルなクラスメイトに囲まれ、刺激的な留学生活がスタートします。

勉強は世界を知ること

私は中高時代から勉強が嫌いというわけではなかったのですが、ただなんとなく、学校でテストがあるから、受験に受かるためにやるもの、という気持ちで勉強をしていました。勉強イコール机に座って暗記をしたり問題を繰り返し解くもの、そう考えていました。
しかし、留学先でその考えが大きく変わりました。

バンクーバーは非常に国際色の豊かな街で、サウジアラビアやタイ、コロンビアやメキシコなど今まで日本で出会ったことのない国の人たちと友達になりました。
イスラム教はなんとなく教科書で見た程度だったのですが、彼らと交流をし友情を深めていくにつれ、今まで教科書の中の出来事だったことが、一気に自分ごとになったのです。韓国の友人もたくさんできました。彼らの話を聞くことで、歴史が今の国家間関係に大きな影響を与えていることを実感させられました。

真冬に首都オタワへ旅行した際に、完全凍結した川の上でスケートをしました。(これまた極寒…)


人のお金で生きるって苦しい

私は東京都出身で、実家も都内にあるため、留学に行くまで実家を離れたことはありませんでした。そのため、大学生になってからはなんとなくバイトをしていたので自分のお小遣いはありましたが、恥ずかしながら親に養ってもらっている実感もなく過ごしていました。

留学で初めて実家を離れ、いわゆる仕送りをもらいながらの生活になりました。そうなって初めて、親のお金の有り難みと、それを使う申し訳なさを実感したのです。

ショッピングモールに行って可愛いワンピースを見つけても、「親は私がおしゃれするために頑張って働いてカナダにいる私にお金を送ってくれたわけじゃないんだよなぁ…」とついつい躊躇するようになってしまいました。私の親はとても優しい人なので、本人たちは気にしていなかったのですが、私の気が済まず生活必需品を買う時以外は毎回許可を得るようにしていましたし、買ってもスッキリしない気持ちが残ることもしばしば。

それから私は、自分のお金は自分で稼ぐ!と心に誓ったのです。大人になったらしっかり稼いで、経済的に自分で自分を支えられるようになろうと決めました。
それは今も変わっていません。

精神的にも経済的にも自立した大人になる、私のその価値観は当時の影響が強く反映されているのです。

自分をそのまま受け入れること

10代の頃の私は、コンプレックスの塊でした。小さい頃から得意なことが分からず、自分は劣等生だと思い込んでいた私は、いつも人と比べては自分を否定してばかりいました。
大学生になってからはそれがさらにひどくなり、人に好かれるために着飾ったり、自分の顔が嫌いだからと化粧品を買い込んだり、自分の好きなことややりたいことが分からないけど何かをしていないと周りに置いて行かれてしまうという焦燥感からバイトの予定を詰めたり好きでもない友達と遊びに行ったり‥。

そんな自分に嫌気がさしていたのですが、留学先でインターナショナルなコミュニティに属することで、
今まで自分が日本で当たり前だと思っていたことが、当たり前でないということに気づきました。

色白で、二重の大きい目でしっかりとカールした髪の女の子が人気だから、自分もそうじゃないといけない。

太っていたらだめ。

流行りの服を着て学校に行かないといけない。

大学生ならサークルとバイトで充実しつつ将来のためになる活動もしないといけない。

そう思っていた私は、いろんな肌の色、いろんな体型、服装もみんな違って(なんなら学校におしゃれしてくる人なんていない!笑)、学校に化粧をしてこないのにパーティーになるとバリバリにキメてくる(一瞬誰だか分からない)クラスメイトの女の子たちに衝撃を受けました。

彼女たちは、肌の色や体型や服装に関係なく、みんな自分のことを愛していました。放課後の予定も、自分の体調を優先して今日は家で休むね!と言う人も多かったのですが、誰も咎めることなくみんな自分のペースで生活をしていました。
私の目に映る彼女たちは、周りの目を気にしすぎることなく、自分を受け入れていました。

また、カナダの人たちは、とてもフレンドリーで知らない人とも笑顔で世間話をする国民性をもっているのですが、いい意味で他人に関心を持たず、周りの目を気にしないのです。それもまた、私が自分自身を受け入れることを助けてくれました。

私はカナダでの生活を通じて、
「私も私のままでいい」
そんな単純なことに、生まれて初めて気づいたのでした。

母と一緒に訪れたロッキー山脈にて。



今までの価値観を根っから覆された私は、思いっきり英語を勉強して、カナダ人を含めて本当にたくさんの国の人と友達になり、180°別の人間になって帰国をしました。

コンプレックスを隠すための厚化粧やエクステもやめて、髪の毛にお金をかけるのもやめました。
流行りを気にするのをやめて、自分らしいシンプルな服を着るようになりました。

今まで教科書で学んできたことは、今の世界を知るための知識だったことを留学で身をもって学んだ私は、帰国後は大学の授業を全て自分ごとに、主体的に学べるようになりました。興味のある授業は片っ端から履修し、自分の考えを形成できるようになりました。

そして、ずっと自分は何もできないと思っていた自分を変えたくて、ランニングも始めました。

留学を通じて、自分は小さな世界に住んでいたということに気づきました。
中高で形成された自分は劣等生だという思い込み、日本の大学という狭い世界での美の基準(モテる条件?)、そんなものに縛られていた私は、留学をすることで世界を広げ、自分らしく生きるための強さを身につけることができました。

カナダでの経験は、間違いなく今の私につながっています。カナダに行ったから、もっと勉強したいと思えるようになって大学院に進学できたし、怖くてもやってみる勇気が持てるようになって、ランニングにも挑戦できたし、人と同じでなくてもいいから、情熱を持てる仕事をして自分らしく生きることができています。

気づいたら10年の月日が流れていましたが、これからも狭い世界に留まることなく、広い世界で生きていこうと思います。


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