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音楽でありかつ文学 筋肉少女帯『サボテンとバントライン』

マイク・ニコルズ監督『卒業』、ジョン・シュレシンジャー監督『真夜中のカーボーイ』、ミロス・フォアマン監督『カッコーの巣の上で』などの、「アメリカン・ニューシネマ」の映画を最近ぽつぽつと観てきた。初めはその(『卒業』のダスティン・ホフマンの)軟弱な精神に憤怒していた私も、「体制に反抗した結果挫折していく若者たち」にシンパシーを感じた、若者たちの思いが、ぼんやりと見えてくるようになった。

本記事のタイトルに上げた歌も、アメリカン・ニューシネマへのシンパシーから生まれたものと考えていいだろう。何しろ、歌詞の中にまさしくその言葉と、『真夜中のカーボーイ』が登場し、それに陶酔して死んでいく若者の話なのだから。


「サボテンとバントライン」の主人公はタイトルには出てこない「少年」だが、「この世を憎み」、「バクダン騒ぎ」を起こしていた。サボテンを愛し、バントラインと名付けたネコを愛していた。「バントラインとサボテンと、映画を観ている時だけが幸せだった」。サボテンは、アメリカ大陸の砂漠にある植物。そしてバントラインは、アメリカの作家ネッド・バントライン(ペンネーム、1821–1886)(※1)、そしてその名前から取られた銃の名前を模したものだろう。ある日少年は、町の大きな映画館を爆破の対象として選ぶ。そこで上映されていた映画こそ、『真夜中のカーボーイ』。「バントラインが爆弾しかけ 犯行は大成功と思われたが 映画に見とれていた少年は ムービーシアターもろとも吹っ飛んだ」

なぜ、映画を愛する少年が、映画館を爆破の対象に選んだか。最初は映画に心酔するあまり、逃げるのを忘れていたのだと思っていた。しかし恐らく、少年は死に場所として映画館を選んだのだ。自分に向けられた銃の引き金を、愛するバントラインに引いてほしかった。それほどに、少年は世界に絶望していたのだ。

第二次世界大戦後、豊かで平和な暮らしができるようになった先進国アメリカで、自分は行かなかったとしても、同じ年代の同じ国の若者が徴兵され、ベトナムで殺し殺され、よしんば戻ってこられたとしても、その肉体も精神もズタズタにされているという現実は、当時の若者の心をどんなに傷つけたことだろう。そのやる方なき思いを、映画や文学や音楽というフィクションに重ねたのも無理からぬことだ。その思いが海を超えて波及したことは想像に難くない。先に挙げたPVで、他のメンバーがあくびをしながらつまらなさそうに映画を眺める(これは社会の動きに無関心な人々のメタファだろう)中、大槻ケンヂは前のめりで、食い入るように画面を見つめる。彼もまた、時代に翻弄された、センシティヴなひとりの青年であった。爆破で息絶えようとする中、少年はギターを背負い、広い広いアメリカの大地をどこまでも駆けていく。それは大槻ケンヂ氏が「創作」を通じて傷ついた若者に提供した、束の間の自由の瞬間だったのだろう。

『サボテンとバントライン』の公開は1990年。その頃私は中学2年生くらい。ラジオから流れるヒット曲の数々をカセットデッキで録音し、懸命に聴いていた。その中で『サボテンとバントライン』は、意味もわからないながら、その歌詞をすべて覚え、ヴァイオリンパートも口ずさめるほど聴き込んだ。『ジョニーは戦場に行った』をモチーフにしたメタリカの『One』、芥川龍之介『杜子春』をモチーフにした人間椅子の『杜子春』や、たまの『らんちう』、さだまさし『風に立つライオン』、加藤登紀子『時には昔の話を』のように、古今東西の古典作品、自らの思い、そして人間の悲哀を描くこれらの作品は、私にとって音楽であるとともに文学作品でもあった。あれから30年、今ここにきて、そのメッセージに少しだけ触れられただろうか。

※1 「ネッドバントライン、男とリボルバー」https://ja.topwar.ru/150498-ned-bantlajn-chelovek-i-revolver.html 、2023年1月19日閲覧。これはウィキペディアの直訳?英語のウィキペディア:https://en.wikipedia.org/wiki/Ned_Buntline 。

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