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あるがままの言葉に耳を傾けたいーー才谷遼監督映画『ユーリ・ノルシュテイン《外套》をつくる』

国際ジャーナリスト、堤未果氏は言う。「取り上げられたものより、取り上げられなかったもの、言われなかったものに注目してください」と。これは実際の出来事のうち「報道されなかった点」が瑣末な点ではないどころか、むしろ極めて重要であるという文脈での言葉だが、これはニュースに限った話ではない。それどころか、誰もが見られる情報についてさえも、権威ある話者がある情報を抽出し、それをフォーカスした後は、「フォーカスされなかった情報」は忘れ去られがちになるものだ。

今般の主題の映画は、"アニメーションの神様"と評される作家、ユーリ・ノルシュテインに肉薄したドキュメンタリー作品である。『霧の中のハリネズミ』『話の話』など、世界を魅了し、故高畑勲監督、宮崎駿監督をはじめ、日本にも多くのファンを持つ人だ。その彼が、ロシアの文豪・ゴーゴリ原作の『外套』をアニメ作品にしようとしているが、30年かかってなお完成していないという。「なぜ『外套』なのか?いつ外套は完成するのか?」という問いが浮上するのは当然であり、その問いを直接作家自身に投げかける、というストーリー。登場するノルシュテイン、そのご家族やスタッフは温かく優しいファミリーで、ひとつひとつの問いに丁寧に答えてくれている。

30年の間に大事な仲間を失うという悲劇があった上に、天才ゆえの苦悩があるのは当然だ。しかしながら、監督は「大芸術家の、凡人には想像できない創作的情熱」にその答えを求めすぎてしまっているように思う。なぜなら、ノルシュテイン本人が、そのインタビューの中で「ソヴィエト時代は普通に仕事ができた」ことに再三触れているにも関わらず、本作品のチラシ、公式サイトでの紹介文、ピックアップした言葉などにそれらがほとんど見られないからだ。

公式サイトでは、映画の中で語られたノルシュテインのせりふを、「背景(Background)」の項目で取り上げている。例えば以下のように。

この作品は私にとって
総てが新しいのだ
映画フレームの構成
キャラクターたちの行為…
もしかしたら大分前に発見されたことを
私の意識が再び発見しようとしているのかもしれない

映画では、このセリフに以下が続く。

これも私にとって新しいことだ これにプラスして もしも私が国家経済の状況の中で保証されるのなら 以前のように常に国から給与を受け取っていたならば そうなればある意味では資金作りから解放されるだろう しかし私たちは自らを保証しなければならない立場にある これがすべて仕事において緊張を生み出している・・・

彼はまた、利益重視でモスクワを破壊しようとするプロジェクトにも苦言を呈し、キリスト教における聖者の名前にも言及する。ノルシュテインはこうも述べる。

この世に生きる人々の生活が どうしたらもっと楽になるのか どうすればわかってもらえるのか・・・人間は皆平等であり 巨額な富を得た人が特別な存在ではない 苦しんでいる人がどうすればもっと楽に生きられるのか このことを真剣に考えて欲しいです 私たちの人生で重要なのは 互いに目を合わせることだと思う そうでなければ私がいつもいうように キリスト教は何のためですか?

『外套』は、心の豊かさではなく、富や物質に豊かさを求めすぎることによって、魂が救済されなくなる、そういうストーリーだと思っている。肩を寄せ合って生きる人間に、限りなく温かいまなざしを持っているノルシュテインが、この作品を選ぶのはなんら不思議なことではない。彼ほどの作家であれば、大手の制作会社にアピールすることもできようし、クラウドファンディングならあっという間に資金調達は可能だろう。しかし、彼の多くの作家仲間たちも同じ状況にあえいでいると考えると、とてもそんな気にはならないのではないかと思えてならない。公式サイトに「ほとんど触れられていない」と最初に述べたが、アニメーション作家・山村浩二氏によるコメントは私にとって救いだった。「アカーキィ・アカーキエヴィチに命を吹き込む行為、ユーリーの高い創作の理想は、ソ連崩壊後の厳しい状況に対する心の支えになっている。彼の大きな生きる信仰を奪い去る、完成を望む権利は誰にもない。」

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彼の魔法のような作品世界は、しかし、この映画の中にもちゃんと息づいている。ノルシュテインの自宅やアトリエ、街の様子の映像に時折さしはさまれるアニメーションは圧巻である。暗い暗い、雪降るサンクト・ペテルブルグの夜。帽子のしずくが右へ左へと端に沿って流れ、ぽたりと落ちる様子。すりきれてすっかり薄くなった外套をつつきまわして指が出てしまう様子。インクのボトルを出して幸せそうに文字の清書を始めるアカーキィ・アカーキエヴィチ。ノルシュテインにしか表現し得ない、まぎれもない「人間の動き」を、例え一瞬でも、すくい取って公開してくれたことに大変感謝したい。また、ノルシュテインの世界が、多くの文学や絵画、音楽作品の深い理解とその創り手たちへの敬意によって築かれていたことにも気づかせてくれる。この映画でもって、ノルシュテインのひとつひとつの言葉に向き合うことは、人生の大きな経験となるだろう。

公式サイト



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