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30日間の言語チャレンジ 第一日

皆さん、こんにちは。日本語を勉強しているジャックです。記事のネタを探すのが面倒くさいと思っていますので、ある言語交換アプリで流行をしている30日間のチャレンジに挑戦しようと思っています。チャレンジのルールは60秒間ほど話して日の質問を答えることですが、話す代わりに、私は短い記事を書こうと思っています。では、今日の質問を紹介します。

1:どの言語を勉強していますか?なぜその言語を選びましたか?

この記事を読んでいるなら、私が勉強している言語を簡単に想像できるでしょうか。はい、日本語です!現在、私は4年間ほど日本語を勉強しています。2017年の12月に勉強をしはじめました。あの時、私はまだアメリカに住んでいて、妻もいなかった、息子もいなかったです。日本の大手企業である武田薬品に入社したばかりでした。でも、日本の会社で働いていたのは勉強をし始めることにした理由ではありません。子供のころからずっと日本語に興味を持ってきました。

ほとんどの日本語を勉強しているアメリカ人と同様に、私はアニメ、ポケモン、任天堂、テレビゲームとか、日本製のものにハマりながら育ってきました。お母さんによると、3歳の私が夜中2時に起きてこっそりとリビングに行ってファミコンでマリオをプレイすることは珍しくなかったです。30代の私にはそういう記憶がないですけど、想像しやすい場面です。自らの一番若い日本製の物に関する記憶は、私はおそらく6歳、7歳くらいでした。小学校に行く前に、6時半から流れ始めたセーラームーンを観ました。終わったら、隣の家に住んでいる友達とセーラームーンについて話しながらバス停まで歩きました。

時間がたつとともに、私が凝っている日本製のものが変わりました。ポケモンからファイナルファンタジーへ私の興味は移動しました。子供向けのデジモンから少年向けのドラゴンボールへ。私は色々なエンタメの種類が好きでした。でも、全部の気になったものに共通しているのは日本製のものです。なので、15歳くらいの私は「言語の勉強をするなら、確かに日本語を勉強したい」と心に刻みました。

私の普通ではない育ち方のおかけで(せいで、かな?)、18歳の時ではなく23歳の時に私は大学に入学しました。高校生の時、私はオリンピックを目指しているフィギュアスケーターで、16歳の時に高校を卒業してスケートのことに集中していました。そのため、18歳の私は大学に入りませんでしたが、スケートのキャリアの終了に近寄れば近寄るほど、未来について考えてきて、入学をすることにしました。スポーツやトレーニングについて詳しく知っていましたので、医者になることを目指して大学に入りました。結局、医者になりませんでしたが、それはともかくです。

大学を卒業した後、勉強が好きになった私は次何を勉強しすればいいかとよく考えていました。大学に通い始めるのが遅かったので、卒業した私はすでに26歳になって大学院に進学をしたくなかったです。でも、教育を続けるのが大事だと信じていました。長く迷っていた末、私は日本語の勉強を始めることを決意しました。でも、お金も必要だと思い込んでいた私は武田薬品に入社しました。

26歳の時に、日本語を勉強して日本に引っ越すと決心したことには割と深い理由もありますが、この記事の単純さのために、上記の説明が十分にしましょう。現在、私は東京に住んでいます。日本語の勉強はうまく進んでいる気がします。勉強の道のりがなかなか長いですが、まだ勉強を楽しんでいるし、毎日やさしい日本人に触れて会話をしているので、やる気があふれています。

今日はここまででいいですね。今日もありがとうございました。では、また次回!

ジャック

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