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13回目の3.11

3.11 東日本大震災が起こった日。

震災のことについて書こうとすると、どうしても気持ちが溢れてしまって、でもそれをどう言葉にしていいかわからなくて、筆が止まってしまう。

私が伝えていいのかな。
被災者ぶってないかな。
嫌な気持ちになる人がいたらどうしよう。

そんなことばかり考えてしまう。

でも、13年たつ間に少しずつ心境の変化があったり、環境が変わったりしていて。

やっぱり今の気持ちを書き留めておこうかな、と思ったので、あの日から13年経った3.11の朝にこれを書いています。

以前、こんなnoteを書いていました。

このnoteは、2020年の3月11日に書いたもの。
震災から9年経った時。
今から4年前の気持ちを綴ったもの。

相変わらず、家族は避難先で暮らしているし、出身地の話をする時は浪江のことから話すし、それによって可哀想な目で見られたり、心ない言葉を投げられたり。
それは13年経った今も変わらない。

でも、環境や状況は少し変わったかもしれない。

震災当時、一緒に避難した祖父は去年亡くなった。
私は結婚して岩手県民になった。
妹も結婚したし、弟は社会人になった。
母は定年退職して今はパート勤務している。

自分自身を取り巻く環境は、どんどん変わっていく。


故郷の浪江町もどんどん発展していって、道の駅ができたり、人がだんだん増えている印象がある。

以前は新しい街になっていくことに寂しさを感じていたけれど、今は頑張ってるなぁって思えるようになった。
浪江町に人が増えていくのは嬉しいことでもある。




3.11に対しての気持ちも、少しずつ変化しているように感じる。

ちゃんと受け止められるようになったのかな。
思い出して過度に落ち込んだりすることが少なくなったと思う。
(まぁ未だに津波の映像は見ることができないし、海に近づくのも怖いけど…。)

自分の経験を伝えていくことってきっと大事なんだろうな、と最近思う。

それと、他の人の経験を聞いてみたいとも思えるようになった。これは大きな変化だと思う。
以前は自分の経験を話せたとしても、他の人の経験を聞くことができなかった。

同じ「東日本大震災」という出来事でも、その時に経験したことや、どんな状況だったのか、何を思っていたのかは、一人ひとり違う。

違うからこそ、自分の経験を伝えていくことって大切で、忘れちゃいけないんだろうなと思う。

そして、3.11のあと、その後どうしていたのかも、どうやって過ごしてきたのかも。

「あなたはあの日、どこで何をしていましたか?」
よく聞かれるフレーズだけど、東日本大震災は「あの日」だけではないということ。

いろんな思いを抱えながら、それぞれに生きてきたということ。

あの日、あの場所で、震災を経験した者として、伝えられることがある気がしている。

いろんな感情になるのは変わらないけど、今年は心穏やかに3.11を過ごせているような気がする。

まとまりがない文章になってしまったけど、正直な気持ちを残せてよかった。
変わらないものと変わっていくもの、どっちも大切にしていきたい。

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