日本キリスト改革派岡山教会 2024年4月7日礼拝説教(ヨハネによる福音書8章31〜38節)
↓前回の説教↓
【4月7日朝の説教】
◎聖 書:ヨハネによる福音書8章31〜38節
◎説教題:「真理はあなたたちを自由にする」
〜真理に束縛されるとき、私は解放される〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
【メモ】
◎「真理はあなたを自由にする」…聖書の文脈を超えて愛されている聖句。
◎「今はまだ真理が何なのか分からないけど、自分を自由にしてくれる真理がこの世にはあるんだ!」
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「わたしの言葉にとどまるならば〜真理はあなたたちを自由にする」
(イエスの言葉に留まるということは、イエスの言葉に縛られるということじゃないか、それって自由と矛盾していないか?)
◎ユダヤ人たちはこの言葉をどう受け取ったか。
「私たちはアブラハムの子なのだから既に自由だ!今更自由にしてもらう必要なんてない!」
◎アブラハムの契約…「私(神)があなた(アブラハムとその子孫)の神になり、あなたは私の民になる。」
→「それ以来今日まで自分たちは神の民であり、だからこそ神以外の何者にも支配されたことがない」これがユダヤ人のアイデンティティだった。
◎イエス「あなた方を自由にする」⇄ユダヤ人「私たちは神の民じゃないと言うのか!」
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イエス「確かにあなた方はアブラハムの子孫だ。だがそれなら神の言葉に聞き従うべきなのに、あなた方は全然聴いてないじゃないか。」
◎真理とは?
①「私は何者か、どこから来てどこへ向かうのか」を指し示すもの。
②人を生かす、「あなたは生きよ、死んではならない」という勅命。
「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)
◎「あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 」(37節)
=イエス「あなた方は『殺すなかれ』という律法を無視して私を殺そうとしている。それはあなた方の心が『私はアブラハムの子孫だ』という思いで一杯になり、神の言葉を受け入れる余白を失っているからだ。
あなた方はアブラハムの子孫なのに(いやだからこそ)『神の言葉を受け入れないという罪』の奴隷になっている」
◎そしてユダヤ人たちにはもう一つの罪があった。
「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。」(33節)
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歴史を振り返ればエジプトやバビロニアの奴隷となってきたし、今だって辛うじてエルサレム神殿の許で信仰を守っているが、事実上ローマの奴隷である。
でも彼らは「アブラハムの子孫」というプライドに縛られ、嘘で自分を塗り固めずには居られなかった。
◎「御自分を信じたユダヤ人たち」(31節)…彼らもまた、私たちと同じイエスの弟子であった。
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逆に言えば私たちクリスチャンも、「私たちは神の民だ、私たちは自由だ」という命題(それ自体は正しい)を自分のアイデンティティとして握り締めてしまうと、神の言葉を受け入れる余裕を失い、「私は罪人だ(今まで罪に支配されてきたし、これからも罪へと誘惑される危険がある)」という事実を直視出来なくなる、罪の赦しを告げるキリストの福音を拒んでしまう危険がある。
◎「自分は〇〇だ」と、自分で自分のアイデンティティを定義していること、その不自由さを悟り、御言葉を受け入れる余白を作ろう。
そうすれば神の言葉が私を満たし、私は私から解放される。
【次主日(3月24日)の朝礼拝】
◎聖 書:ヨハネによる福音書8章39〜47
◎説教題:「真理に対する抵抗」
〜真理を拠り所としない自由の錯覚〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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