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パウロの優先度

私たちは誰のために祈るだろうか。
パウロは物事の優先度を聖書におけるさまざまな箇所で述べている。

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」
テモテへの手紙一‬ ‭2‬:‭1
「すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」
フィリピの信徒への手紙‬ ‭2‬:‭11
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」
テモテへの手紙一‬ ‭2‬:‭4
「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」
コリントの信徒への手紙一‬ ‭9‬:‭22‬

全てのことは神のために行う。

全てのことは、福音のために。

寝るにしても、食べるにしても。

パウロの言葉からすると、何よりもすべての人のために、これを行うという思いが読み取れる。

しかし一方でパウロは多くの人に福音を届けるのだ、というようなことは言っていない。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
コリントの信徒への手紙一‬ ‭9‬:‭22‬
「兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。」
ローマの信徒への手紙‬ ‭1‬:‭13‬

多くのことを望むのではなく、なんとかして、なにか…。

これはパウロの姿勢であったと同時に、私たち一人ひとりが目指すべき姿勢でもある。

私たちは必要以上に悩む存在である。パウロは全ての人を意識しながらも、自分の分を弁えていた。

自分の身近にいる何人かにでも福音を伝えていく。これがパウロのスピリット。

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