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【ネタバレあり】映画「変な家」をどこよりも多角的に考察!

映画「変な家」で残った謎をいくつか考察します。
原作の小説、YouTubeも見たのでそれも踏まえて。

見たあとにいくつかのサイトで考察なども読んだのですが、私としては「こういう可能性もあるんじゃないか?」と思ったことがあったので、それらを書いておきます。
一度しか見てないので記憶が曖昧なこと、パンフレットを買いそこねたので情報が不足しているかもしているので、「それは矛盾してます」とかあるかもしれません。
が、それがひっくり返るのがミステリーだ思うので、「確かにそういう可能性もあるな」くらいでお読みいただければと。

ネタバレ有りなので、ぜひ映画をみたあとに読んでくださいね。


ストーリーそのものの説明については、他の方の記事が上手に書いてくださっているのでお任せします。

謎① Aくん=トウヤは誰の子?

最後に仮面をはずされて太陽を浴びられたことで泣いていたトウヤくん。
アヤノさんが産んだわけではないとのことだったのですが、誰の子だったんでしょうか。

「片渕家によって買われた子」説

原作ではそのようにされていました。
財の成し方が映画と小説では微妙に異なっているんですよね。
原作では本家自体は左右対称の家のみが残されており全国に分家が広まっていて、そのネットワークを介して財を成しているような感じ。
なので、同様に映画でもどっかのちょうどいい子を連れてきたんでしょうか。

「村に生まれた片淵家の誰かの子」説

一方、映画では村そのものが片淵家のような感じでしたね。
なので、その中で生まれた一人をA君にした、というのもまぁ納得できます。
多分、多くの人がこう考察したんじゃないかなと思います。

ただそうすると、その村の中の閉じ込められた場所に自分の子どもがいるという父母が存在することになります。
ヨシエから見たアヤノ・ユズキ、アヤノ・ケイタから見たトウヤ・ヒロトといった親の愛がことさら強く描かれている「変な家」において、それは大きな不都合だなと感じてしまいます。

とはいえ、Aくんの実の父母も洗脳状態にあった可能性、もっというと実の父母が殺害されている可能性も全然ある世界観ですので、なんともいえません。

謎② 2人目の左手は誰のもの?

今作での最も大きな謎ではないでしょうか。
東京の変な家の近くの裏山に遺棄された左手が切り取られた遺体、そして片淵家に届けられた左手。それは誰のものだったのでしょうか。

「ヨシエがホームレスの左手を使った」説

最後のシーンで、アヤノとヨシエとが二人で話すシーンでアヤノが「また今年の左手供養の日がやってくる」と話すとヨシエが「またお母さんがなんとかするわよ」と話しながら、自分がボランティアで炊き出しをしているホームレス陣にチラリを目を向けます。
このことから、「足がつかないホームレスのどなたかを左手供養の生贄としていた」という説が濃厚です。

「父親の左手を使った」説

ただ、本当にホームレスのものなのかな?と思うのです。
ホームレスとはいえいなくなれば「最近見ないな」となるとは思いますし、殺害するには人が少ないところにおびき出したりする必要もあります。遺体を女性であるヨシエが一人で運ぶのも骨が折れそうです。

そこで思ったのが「父親の左手」説です。

父親は精神を病んでいて手帳が塗りつぶされていたことが途中で明らかになります。また、交通事故ではなかったということも。つまり、精神疾患による自殺とみるのが妥当ではあります。

しかし死因が明言されていないことと、主人公勢以外は薬物が常用されていて記憶が定かではないことから、本当は自殺とは限らないともいえてしまいますね。
そこで母親が、アヤノ・ケイタ夫婦の負担を減らすために、「ムネヒコを殺し、左手を切り取っておいた」という説も考えられますね。
詳しくないのでわかりませんが、冷凍保存とかすればいけるのかな?

ムネヒコは自殺を選ぶくらいには自身の理性と狂った慣習の間で揺れていましたが、母親は自身が狂っていることに気付けないくらい狂っているので、あり得ないとは言い切れませんね。

ただ、最初に言った女性がホームレスを殺して運ぶ、というのもまぁなんとかならないことではないので、なんだかんだヨシエ説が濃厚でしょうか。

謎③ ケイタはどこにいったのか

死んだ説

結構瀬戸際で囮になったからね。
どっか本家の近くで死んじゃったというのが一番納得がいきます。
ただ、警察もさすがに付近は探すと思うんですよね。
であれば、見つかっていないのも不自然です。

死んだとされている説

もう死んでいるのに発表はされなかった、ということです。
片淵家であれば、警察の発表も捻じ曲げられそうな気がしちゃうんです。

理由としては、「アヤノたちが再度本家を訪れることを促すため」と考えると辻褄があいます。
祖父母や村民が死亡した上で夫であるケイタが生きている可能性があるのであれば、本家に再度近づく際も安全が保証された上で捜索が可能です。
そこで再度アヤノたちが本家に近づいたところで捕まえて再度監禁。

村全体に洗脳はいきわたっていたようですし、仮に本家の祖父母が死んでいたとしても、村民が代わってそういうこともしそうですね。こわいこわい。

謎④ 最後のシーンで雨宮の家にいたのは誰?

ヨシエ説

最後の方、時系列が明言されていないので、この可能性がありますよね。
ヨシエとしては、アヤノ・ユズキなどにはもう左手供養に関わってほしくない。でも左手供養について知っている人に、供養自体はやってもらう必要があると考えた母親のヨシエが、左手を切って自殺。
ウジが湧いていたので死後に時間が経ってはいますが、死んだ時間と発見時間をずらすのはアリバイを偽装するための殺人トリックの基本ですから、別に驚くこともないです。
時間差で雨宮に気づいてもらえるようななんらかのトリックを使ったんですかね。

ケイタ説

上のケイタが見つかっていないことと、ヨシエがまだ左手供養に囚われていることを合わせたような感じです。
なんらかの方法でケイタを保護したヨシエが、アヤノ・ユズキに左手供養はもうさせたくないと考え、ケイタの左手を切って雨宮の家に遺棄した、と考えるものです。

雨穴さん説

クランクアップに対する、間宮祥太朗・佐藤二朗さんへのサプライズといったところでしょうか。


感想

もともとは映画は見る気はなかったんです。

YouTubeの雨穴さんを見ていて「妙な気味の悪さ」が気に入っていたので、小説も読みました。
しかし小説版では多くのことが明らかになることで、僕が好きな「妙な気味の悪さ」が少し削がれてしまっていたように感じました。
このことから、更に大衆向けとして説明が多くなるであろう映画はやめたほうがいいかなーと思ってました。

ただ、たまたま祝日が重なったことと良コンテンツを生み出してくださっている雨穴さんへの恩返しということで、見てきました。

結論、楽しめたと思っています。
小説に対して設定はシンプルになっていてわかりやすかったですし、映像だからこその画・音声などでのホラー表現もたくさんあって良かったです。
小説をそのまま映画にしたらほとんどが会話だけになっちゃいますしね。

ただ、最後の方のパワープレイ感はちょっとだけ残念だったかなとは感じました。
個人的にはチェーンソー、ピストルなどよりも、ぞっとする不快感や人間の狂った姿みたいなもので最後までいってほしかった気持ちがあります。
とはいえ、雨穴さんだけではありえない展開であったことや、他のホラー作品へのリスペクトという意味では、マイナスではあったもののこれによって作品の評価が圧倒的に揺らぐというほどではないかなと思います。

ちょうど先日あった「ボーはおそれている」がホラー作品の5歩目くらいだとすると、1歩目というか「ホラーが見てみたいけれど、マジヤバイのは嫌だ」という人など、誰でも入りやすい作品という印象を受けました。

少しでも興味がある方はぜひ。
まずは雨穴さんのYouTubeから始めるのも良いと思います。

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