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休みが必要だ

 心理士としてクライエントさんにお会いしたり、スクールカウンセラーとして学校に行ったりして、色々な人に出会ったりお話しを聞いたりする機会が多いと、各々の家庭の中に、色々な常識があるのだなぁと、新鮮な気持ちになることが度々ある。

 例えば、発熱の基準である。最近は、新型コロナの影響で発熱の目安は37.5℃以上というのが周知され、発熱したら休みましょうと呼びかけられるようになったので、休む基準が分かりやすくなった。それまでは、37℃付近だと、体調が悪いけど学校や仕事に行く人がいたり、体調は悪いと感じないけど休む人がいたりと色々だった。そういう話しを見聞きするだけでも休むか休まないか悩ましい判断だなと思ったものだ。一方で、結構高い熱だなと私には感じられるのに、休むという判断にならない場合もあって、驚くこともあった。
 
 ただ、人の体温というのは、皆一定なわけではなく、やはり少しずつ違いがある。そこに各々の個別性がある。元となる平熱が37.5℃という目安は、それ以上の熱が出た人が、休みを決める時の決め手となる材料となった。しかし、今まで37℃の発熱で休んでいた人たちにしてみると、37.5℃以上じゃないから、ちょっと休みにくいなと思ってしまうこともあるだろう。

 自分の家庭はどうだったろう。振り返ってみてほしい。どれくらいの体調不良で休ませてくれていただろう? 何℃の熱が出たら病院に連れていかれた? 友達が学校を休んだ理由を聞いたときに、それで休めるなんて羨ましいなぁと思った経験はあっただろうか?

 同じ日本という国の同じ時代に生きて、同じ学校に通っているという共通点があったとしても、一歩、自分とは違う家庭に入り込んでみると、当たり前だと思っていた価値観が一変することがある。「熱が出たら学校を休む」ということ一つを見てみても、その「熱」は、何℃以上で休むのか? というだけでも千差万別なのである。

 だからこそ、もし自分自身の「~であるべきだ」「~が当然である」という認識が、苦しく感じる時があるのなら、少し視野を広げて周りを見回してみると、当たり前がその人ごとにいっぱいあるということに気付き、楽になることがあるかもしれない。自分と似た境遇にもかかわらず、考え方が違う、当たり前が違う、そのことに気持ちが救われることもあるだろう。グループになって話しをすることの効用として、仲間同士で同じであることを確かめ合って安心するだけが全てではない。仲間同士でも、違うことがあり、その違う部分をちょっとでも良いなと感じて、自分でも試してみようかな? と思えることが、新しい発見を生むのではないだろうか。
 
 「休みが必要だ」というのは、きっと生きている限り誰もが思うことだろう。でも、いつ、いかなる時に、どのような状況で、どうやって休むのか? 息抜きってなんなのか? 休めないときってどんな時なのか。無理は良くないと言っても、どの程度の無理をしても大丈夫で、どの程度の無理はダメなのか。そんなの一人一人違うのだ。 それを、良い悪いで決めつけてもきっと、良いことなんて何もない。

 だからこそ、今までの自分に行き詰まったら、ちょっと立ち止まって、もう一度自分の考えを見直してみよう。そのための、休みも必要なのだ。

                        (文責:K.N)


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