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【短編小説】ともだちさがし

「夫とは別居してもうすぐ2年になるんですけど、失敗したな、って思ってるんです」
小柄で声が小さめの春香さんは、小さな両手に大きなチキンサンドをがっつり握りながら、おっとりしたため息まじりに言った。

「失敗?別居したこと?」
「はい」春香さんは頷いた。
なぜか春香さんは敬語、わたしはタメ語で会話していた。
春香さんの目に私はどう映ってるのだろう?わたしは年齢云々だけでなく、親しみの意味もこめてタメ語でしゃべっているのだが。

「もう顔見るのもイヤで出て行ってもらったんですけど、そうすると、ほら、彼専用の出費(家賃とか食費とか)が増えるじゃないですか。そのぶんこっちに回してもらえるお金が少なくなっちゃうんですよね。だから我慢してでも家庭内別居にしとくべきだったな、って」
なるほど、春香さん、おっとりした外見のイメージよりはるかに策士だわ、と私は思った。

私たちはとあるハーブ園の一角にあるベーカリーレストランにいた。私はここで一番人気のローズマリー入り塩パンをかじっていた。

「大学生の娘は、夫が悪いことをしたと理解してくれてるんですけど、高校生の娘と中学生の息子の理解が得られなくて・・・」
大きな一枚窓に面した二人用テーブルに陣取り、さまざまな花盛りのハーブ、生い茂る緑を窓の外に眺めながら、春香さんの旦那さんのした悪いことって何だろう?と私は考えていた。浮気なら浮気と言いそうなものだが・・・。

そろそろ午後の講義が始まる時間だ。
今日は大人気でなかなか予約の取れない、念願のアロマハンドトリートメントのレッスンに参加している。
春香さんは私のペア相手になった人、つまり今日が初対面だ。なのにいきなり深い家庭の話をされて、正直わたしはとまどっていた。
人によっては家庭の恥とも考えるようなことを初対面の私に告白してくれたのは、私に心を開いて信頼してくれているようでうれしくもあったが。

春香さんは介護施設でパートをしていて、職場の疲れた仲間にアロマハンドトリートメントをしてあげたい、という理由で今回のレッスンに参加していると自己紹介で言っていた。
こんなすばらしい志を持って参加している人もいるもんだ、と、あわよくばお金儲けを、と考えている私は感心した。

この施設は高級住宅街の一角にあり、広大なハーブガーデン、さまざまなレッスンをする大小いくつもの部屋、アロマ関係のグッズを種類豊富に取り扱っているショップ、そして私たちが今いる眺めのいいベーカリーレストランから成っていた。
春香さんはこの高級住宅街に住んでいるとのことだった。
別居中の旦那さんから支給される生活費と、自分のパート代で子供3人と生活しているというのに、一日きりの2万円もするレッスンに参加できるというのは、旦那さんが高給取りで、それなりのお金が回ってくるのだろう。
パートという言葉のイメージ裏にあるような生活苦とは縁遠いんだな、などと思いながら、私は塩パンのさいごのひとかけらを口に放り込んだ。

午後は実技の総仕上げだった。
「気持ちいい?」
「強すぎない?」
などと声を掛け合いながら、自分の好きなイランイランをメインに数種類のアロマオイルをブレンドしたキャリアオイルを使って、春香さんの白くて細い肘から下、手の両面を教わった手法に従ってマッサージした。

空間に漂うアロマのリラックス効果もあったのか、午後の実技はとても快適で和やかに進んだ。
春香さんのブレンドオイルはスウィートオレンジがメインだろうか柑橘系の香りだった。
お互い肌がしっとりし、マッサージ効果でむくみも取れ、手の甲の色合いも健康的で美しく仕上がったところで講義は終わった。

荷物をまとめながら、他の生徒さんや先生とちょっとした雑談をしていると、「ありがとうございました」というか細い声がした。
振り向くと、春香さんがドアを細く開けて教室を出ていく姿が見えた。

え?ちょっと待って!

私の胸の奥にズキンと何かが刺さった。
さっきまであんなに仲良くレッスンしてたのに、さよならもなしで帰っちゃうの?何かマズいことでもしただろうか?私はあわてて春香さんを追った。

「良かった!追いつけて」
「ああ、すみません」春香さんはちょっと戸惑った様子だった。
「あの、もしよかったら、LINE交換しませんか?」
こう言われてイヤです、なんて言える人はいないだろう。なんて強引なことを言ってしまったのか、もっと別の言い方はなかったのかと我ながら後悔した。
案の定、春香さんは一瞬ためらうような表情をしたが、すぐにスマホをバッグから取り出して対応してくれた。
私のLINEに春香さんのアイコンが追加された。
友達への第一歩。趣味を通してのお友達なんて素敵だな、と私は今後に期待して胸を躍らせていた。

その頃わたしはハーブにもはまっていて、自宅で育てているハーブを使って、夏に相応しい水出しハーブティーをよく飲んでいた。
ランチプレートと、水滴がついたハーブティーのグラスを並べた写真を春香さんにLINEで送ってみた。
夜になってようやく「わあ、ステキですね、美味しそう!」と返事があった。
「ハーブたくさん育ててるんです。よかったらお裾分けしますよ!」と入れたメッセージに返事はなかった。

それからも数回、適度な間隔を空けて、ハーブやアロマ関係の情報交換的メッセージや写真を春香さんにLINEしてみた。
その都度「いいですね!」とか「すごいですね!」といったワンフレーズな返事が一回だけ帰ってくるきりで、私の返事への返事はなく、会話はまるではずまなかった。そして気づいたのは、メッセージを送っているのはいつも私からの一方通行だとういうこと。春香さんからは返事のみ。
私がLINEしなかったらこの関係はどうなるのだろう、と思い、春香さんにLINEを送らなくなって半年以上が経つ。
もともとあるかなきかの縁はプッツリ断たれてしまった。ならなぜ、あんな込み入った話を私に打ち明けたのだろう。
セミナーで友達を作ろうなんて思うのは、私くらいなのだろうか。これが一期一会というものなのか。

「らしいな」私の不満話を聞いて夫が笑った。
「おかしい?」
「いや、おかしい、っていうか、みうらしいよ、すごく」
「私らしいって?どんな?」
「んーよく言えば、ひとなつこい、ってことかな」
「悪く言ったら?」
「言っていいの?」
「うん」
「空気を読めないとこあるよ、みうは」
「そうなの?」
「今回の何さん?だっけ?煩わしい人間関係から解放されて何かに没頭できる、リフレッシュする時間が欲しかったのかも知れないよな。それで参加してきてたのかも、とは考えない?みうは」
「煩わしい人間関係・・・」
「それなのにLINE交換とか、引くだろ、マジかよ、って思うね、俺だったら。実際、みうに挨拶もしないで逃げるように帰ろうとしたんじゃないか」
「じゃあ、なんで別居の話とか打ち明けてきたの?ともだちと思ってくれたと思うじゃない。それに、どっちかが動かなければともだちってどうやって作るのよ」
「その場かぎりの付き合いって割り切ってるから話せることもあると思うよ。もう2度と会わないから」
「そんな・・・」
「友達になる人との出会いって、運命的な確率なんだと思うよ。恋人や結婚相手みたいに。俺なんか毎日50人以上は人と会うけど、友達にも恋人にもなれそうな人はいないよ」

赤信号で車を停めた夫が私の目を見て笑いながら言った。

「そりゃ純はお医者さんだもの、あたりまえじゃん。患者さん相手とはワケがちがう」

信号が青になり前に軽くつんのめりながら私は言った。

「看護師と患者の恋バナはありがちだけどな」
「純、まさか・・・」
「いや、ないない、俺はごめんだよ。生気吸い取られないように診察するのが精いっぱいです」
私は夫の耳を軽く引っ張って笑った。
「そう思うだろ?もし患者にLINE交換求められたらどうするよ?だから、みうもそれくらいの距離感でいたほうがいい。自分のためにも。みうは人一倍傷つきやすいんだから。ただ一回会った人のことを友達と勘違いしないこと」

緑が生い茂る目的地に到着した夫は車を停め、私たちは手をつないでベーカリーレストランに向かった。
夫は頭が良い。もちろん医者だから頭はいいのだが、そうじゃなくて、私が必要としている答えを的確な言葉にして、安心して受け取れるように変換して伝えてくれる。
それが事実かそうでないかなんて相手本人にしか分からないけれど、私として取るべき立ち位置は、間違いなく夫の言うとおりなんだと思える。

思い出の場所で、あの時と同じお気に入りのローズマリー入り塩パンを選びながら胸にピリリッとひび割れるような痛みがちょっと走った。

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