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同じドア

今までは、3次元の世界に居た私達が、最近になって地球が5次元の領域にフォーカスし始めたそうで、私達も5次元の領域に行ったり3次元の領域に戻ったりしているという話を聞いた。沢山ある惑星の中で今この地球だけのイベントだから、色々な星から色んな宇宙存在が注目しているのだとか。

次元が上昇して行くと、低い次元から高い次元を見る事は出来ないが、高い次元から低い次元を見る事は出来るという。(3次元のタイムラインからは自分のスマホしか見られないが、5次元のタイムラインにいれば、3次元世界にいる他の人のスマホを見る事が出来るみたいな感覚なのかなぁ?)

次元を上昇するのは、個人個人のタイミングなのだそうだ。愛と尊敬を持って生きている度合いが大きくなれば波動が軽くなって次元が上昇するのだとか

愛や尊敬の度合いが大きくなればなるほど、私はコーヒーが好きです、あなたは紅茶が好きなんですね、そうですか。で終わる。ところがコーヒーが美味しいんだからコーヒーにしなさいよとか言ってみたり、紅茶は高いところから注がないととか言ってみたり、(要は嫁姑や上司部下やママ友やご近所さんのドロドロしたドラマみたいに)他人にマウンティングしたりする必要も無くなる。マウンティングしてくるような人が居たとしても、ふぅん、そうなんですねー。で終了するそうだ。

そこで何だか思い出したのだが、昔、短大の時の友達がゴリゴリのバンギャルだった。この子が言うには、「ライブハウスやフェスに行くと、自分の好きなバンドだけが1番だと言って、他の人の好きなバンドを否定する人が居て、あれだけは本当に辞めた方がいい」と毎日のように言っていた。自分の好きなものを否定されたら誰だって怒りの感情か湧いてくるもんね。

「私はこのバンドが好きなんだ。あなたはあのバンドが好きなんだね。そうかそうか。」

それだけの事なのだ。他の人の好きなものを否定したり、自分の好きなものを押し付けて、好きになるように命令したりする事は個人の自由への介入になる。給食で嫌いな食べ物を食べるまで昼休みはお預けとか昔はよくあったが、あれも自由への介入だと思う。何なら、授業中にトイレに行きたくなったりしたら先生に断ってから行かなきゃ行けない事も、自由への介入なのでは。

お互いを尊重するという事を、バンギャル時代の昔の友達を思い出して理解したような気がした話。


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