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息子が1年間だけ療育に通った話

息子に発達障害の診断が下り
民間療育を探すも挫折した我が家
(民間療育を探したけど諦めた話:参照)

そんな我が家にある日ソーシャルワーカーさんから電話が来た

「年長さん1年間行う、集団生活へ向けた療育があります」

まさに藁にもすがるとはこの事で
あーーーーよかったーーーーと私はとても安堵した
療育センターから教えてもらえる支援センターなら間違いないと思ったからだ
民間療育の資料を請求しては

胡散臭い 面倒くさい
料金が高い 空いてない

と文句を言いながら母親の嗅覚をフルに使い
クンクンくんくん嗅ぎ回り
もはや嗅ぎすぎてなんの臭いかわからなくなった散歩中の犬状態の私には朗報だった
もはや受けもせずアンチ療育ノーモアソーシャルトレーニングだった私も
やはりとても不安を感じており
なんとか何処かの機関に繋がりたかったのだと自己認識を新たにした

しかし次の瞬間ワーカーさんが言った言葉

「療育は平日週1日です」

の言葉にふたたび心が折れた

ぴゃーーー

我が家は貧乏暇なしの共働き2輪車の自転車操業
くそっ
こんなところにも専業主婦前提の子育て…
ブルータスもとい、支援センターお前もか

しかしやはり療育を優先した方が良いのは
流石にわかる
(ワーカーさんは無理しないで、仕事が休めないなら他の方法を考えましょうと言ってくれた)

持ち帰って夫に相談し
幸いシフト制の仕事をしている夫と
隔週交代制で療育への送り迎えをすることにした

私の仕事もなんとか調整してもらえ
晴れて4月から療育がスタートする

はずだった


2020年
世界的にコロナが大流行し
小学校は休校となり
緊急事態宣言が出て
療育はおろか保育園まで登園できない日々
家で息子と2人きり
それが毎日
エンドレスに続く家事
散らかる家
増える喧嘩
これがどれだけ恐ろしいことか
育児をしている多くの人に共感してもらえると思う
たとえ発達障害児の親でなくても……

公園の遊具までテープでぐるぐるに巻かれた
あの恐ろしい日々
散歩も人目が気になる
買い物に息子を連れて行くハードルが
跳び箱3段から棒高跳びくらいになったあの日々
今思い出しても辛い
辛いことばっかじゃなかったけど
でも大変だった

なんとか再開した保育園で
変わってしまった日常に
息子のメンタルはへちょへちょで
ハンガーストライキと教室入室拒否が発生した
そんな中療育は5月頃スタートすることになった

最初は1人で1時間
次に3人で2時間くらい
最終的に本来の形の6人で午前中いっぱい
のプログラムになった

初めて行った時
先生に
「名札をもらいます。自分の名前を言った後『名札をください』と受け取り、受け取ったら『ありがとうございます』と言いましょう」
と説明された

勿論息子は言えなかった
言わなかった の方が正しいかもしれない
なぜなら息子は名札を付けたいと思ってないからだ

あー…社会とはこういうことか
と母は思った
欲しくない物をお願いしてもらい
相手にお礼を言う
悲しいかなこれが社会…

なんかカルチャーショックを受けて
息子の帰りを待つ間
こんなことにショックを受ける私の方が
発達障害で療育に通った方がいいのかも…
とベローチェのアイスカフェオレを飲みながら思った
あとカフェラテじゃなくてカフェオレって
言うあたり
ベローチェのこだわりなんだろうなとも思った

こだわり
という単語もよく発達障害を語る上で出てくる
こだわりは悪い事じゃない
ベローチェのアイスカフェオレは少し氷が溶け出しても美味しかった

ますますわからなくなった
療育が必要なのか
療育はなんのために必要なのか
息子は今後どうなるべきでどうなっていくのか
あの名札を貰う意味はなんなのか
こだわりって良いのか悪いのか

そんな母をさておいて
息子は療育を嫌がらず
メンタルへちょへちょ期でも支援センターはすんなり通えていた

数回通った時に先生と話し合う機会があり
息子が苦手な課題をやりたがらない事と
「わかりません」と言えない事を指摘された
それを聞いて
なんとなく漠然と運動会やお遊戯会に参加しない息子を
集団行動が取れない子
と捉えていた私は
「あ、もしかしてプライドが高くて負けず嫌いなのかも」
と思った
先生に伝えると「あー!そうかもしれないですね!」と驚いたように言ってくれたが
今考えると先生は息子の特性に多分とっくに気がついていたのだ
私に気が付かせるように
集団行動が苦手な理由を考えるように誘導してくれたのかもしれない
その時から私は息子の行動の原因とうまく付き合う方法を探すことが多くなった

親向けの心理勉強会もそれを手伝ってくれて
前述したとおり
(心理士という肩書きのベテラン噺家の話:参照)
味覚過敏で好き嫌いが多いから無理に食べさせないことにした
音が大きいイベントはなるべく行かない
もし避けて通れないならあらかじめ説明した
抽象的な指示(ちょっと、少し、あとで等)
は理解できないなるべく具体的に
息子は数字や文字を読めるようになったので
カレンダーと時計がすごく役に立った
苦手なイベントは先の見通しが立たないので座ってられないということもわかった
療育で教えてもらったスケジュールを簡単に書いた単語帳が活躍した

負けず嫌いがすごいプライドは
良い事でもあったから残してあげたかった
でも「負けたら嫌だからやらない」はちょっと損だなぁとも思った
この辺りは先生とよく話し合った
なかなか親が取り組むのは難しかった
先生は「負けても次があるよ」という事をさまざまな手段で教えてくれた
その甲斐もあり
療育のゲーム大会では負けた時も
「負けたけど面白かったから良い!」と息子は言った
そんな小さな事だが心底私は感動した
感動したと同時に感謝した
先生方と息子自身にだ

相変わらずプライドは高いけど
ギリギリまで「わかりません」「手伝ってください」は言わないけど
なるべく自分で色々やって
でもいざとなるとちゃんと
「これはどうするの?」
「1人じゃできない、手伝って」
と家でも保育園でも言えるようになった

夫と隔週で送迎することも
結果的にとても良かった
療育は親への課題も多くあり
数週にわたり行う課題もあった為
必ずお互いに共有と引継ぎが必要になった
なので夫婦間の認識のズレなどはかなり少なくなったと思う
結婚式のケーキ入刀よりも
大変で意義のある夫婦の共同作業だった


同じ療育クラスのお友達とも仲良くなった
一緒に帰りたい、○○ちゃんの家に遊びに行きたいと駄々をこねられた
先生の名前が食卓に出ることも多くなった

季節は過ぎて年が明けて
あっという間に3月が来て
いよいよ1年間だけの療育は最終日になった

「最後に先生に手紙を書こうよ」
と息子を誘うと
しかめっつらで「書かない!」と言った
そして見ていたyoutubeから目を外さない
「なんだよ…冷たいやつだな…」と私はつぶやいた
その瞬間
息子はハラハラと涙を流した
あ、いけない事を言ってしまったか…と思った
「ごめんね、ママ嫌なこと言ったよね」
謝ってみるとそうじゃないと首を振るので
「最後なのが寂しいの?」と聞くと
少し頷いてワアワアと大声で泣き出した

息子は初めてお別れが悲しくて泣いた
その様子を見て
私は1年間療育に通って良かったと心から思えた

泣きに泣いてスッキリした息子は
最終日も普通に行って普通に帰ってきた
先生達が泣いていても親が泣いていても
ニコニコしていた
「名札をください!ありがとうございます!」
大きな声で言えるようになった
息子から先生に話しかけて
して欲しい事を言って
お礼を言う
コミュニケーションの基礎が
名札を貰うということに
入っているのだと私自身感じられた

「息子ちゃんはなんだかんだやってくれるもんね」
頑固な息子に根気よく付き合った
先生が言っていた言葉は
我が家にとって魔法の言葉になった

あの1年間を胸に
彼はいよいよ4月から小学生になるのである

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