内容ない
仕事を長く続けるにはどうしたら良かったのか考えていて、人に愚痴や文句を言うことなのかなと思っている。
そもそも愚痴や文句を言ってどうするんだろうと思っていた。それを言ってくるくらいならいっそ辞めろよと。辞めたいとすぐ口にする人を子供っぽいなと見下していたし、こちらの辞めたい気持ちも湧き立たせられるのでイライラしていた。なぜ口ばっかりで行動しないのだと。辞めたいと言われたら、そうだねと返すしかないではないか。正論で打たれることほど辛いことはないから、肯定で返すけど、自分まだこの職場の悪いところを認めたくないんですがと思っていた。
そう言う人ほど割と長く勤めるよなって、さっきまで思ってたけど、文句言う人も同じくらい辞めてた。自分がよく話を聞いてその背中を押してたからかもしれない。外に出ていく人が好きだ。人が辞めることに嬉しさを感じるから、相談されても絶対に引き留めることはしないように、だけどその人の穴を埋める労力が年々増えていき辛くなった。嫌だ、辞めないでって、思ってたけど、意地でも言わない。言ったら自分に話さなくなるだろうし、引き留めていたら居てくれたのかな。そして自分もまだ働けてたのかな。だけど外へ羽ばたく人の背中を押している自分は認めたいと思えた。
そのさきを知らないから言えるのかもしれない。同じ職場に留まって、次々舞い込む問題や穴を埋めて、日常を続けていける人の尊さ。彼らが一番尊いと、わかる。
ただ、その場所にいながら、苦しいと辞めたいと嘆いていることが、ガス抜きとなって明日仕事に行ける要素もあると思う。もしそれができたなら、生きることが楽になるだろうか。
それとも苦しい辛い辞めたいと思ったらすぐ行動したことはえらいことなのか。毎日の活動量が高いあまり、解決の道を探る体力がなくなっていたことが、敗因だ。
毎日出し尽くしていた。具体的にいえば毎日10km歩いていた、仕事の完成形が見えず、とにかく最大限早く、最大限丁寧にを心がけてしまった。
無理だ、と言うのが口癖で、いつも絶望していた。年は上の方なので、嘆いている年上の女性なんて大学生上がりの若年者にとっちゃ怠いよなって思って、愚痴を言えるわけでもなく。この人員や人数では休憩が取れないと、シフト作成者に伝えるが、そいつがなんとかできる範疇じゃないのがわかっている。
今思えばそうだ、とにかくズルでもして早く片付けることで休憩が増えて、みんなの体を休めることができるから、だけど食品を扱っている以上許せないところもあって、ただそこに手を回すと自分の体力がなくなる。無理ゲーだよ。
その問題点を上長に報告する心の余裕も時間もない、しかも対応策が思いつかない。現場を見にこない人間にいくら辛いことを伝えても、具体的な案がなければ人間的にめんどくさいと扱われて終わりだとわかっていた。話が通じない、管理能力がないからこそ、人の気持ちを慮ったりしないからこそ、鈍感だからこそ、ホテルの施設長なんてできる。責任感も罪悪感も、まず感度が低いから感じない。感じてしまうと辛いんだろう。可哀想な中年の人間、変に共感できてしまうから厄介。自分は権力がある中年の男性を必要以上に恨む癖があり、同時に変に抗えない癖もある。これも厄介。
部下を黙らせることが、上への報告として有能とされるようだ。終盤に来た大手大学卒の人間も使えない、自分が使えないことを気にもしていなくて、こっちが疲弊する。頑張ってはいけないことを知っているので、頑張れとは言えない。これがまたストレス。
やらなければいけない仕事の中で、やらなくてもバレないことを切り捨てること。怒られたら軽く謝ってやって、人を馬鹿にしてうまくやること。
これが悲しいかな、重要だった。まあ、受験勉強でもそうだもんね、自分経験してないからわからないよ。全部やろうとしてたら時間が足りないから要領よくやること。それを大手大学卒業者?地方出身だとヒエラルキーよくわからんけど、そんな傾向があるよね。でもそれでもいいみたい。それが上から求められているみたい。そう言う人間が管理者として出向を繰り返しているような企業だった。
だから下の方で働く時は、なるべく、責任のないアルバイトやパートがいいよな。ちゃんと同等な立場で仕事をするように心がけて、聞こえてくる文句を自分に置き換えて努力しても、結局めんどくさいことに絡まれていく。結局権限がないんだから、正社員だからとて何もできない。辛いと言う人を、倒れる人を、休みがない人を助けられない。緩衝材を目指したものの擦り切れるだけでどうしようもないわけだ。助けようとして、思想が変になって、体が事切れた感じ。あんな思いもうしたくないよ。
どうする自分。この価値観でどう生きていく?都合のいい人間が勝っていく世の中でどう生活する?どこを曲げて、どこを直していけばいい?こっからずるくなれるのか?欲しいものも社会的地位も族をつくりたい欲もないのに頑張れるのか?要領の良さをまた努力で身につけるのか?全力で頑張ると言う価値観で育ってきて、今後頑張らなくて息ができるのか?
スポーツ経験の弊害について思うよ。地方から自分の生活範囲や交流を広げてくれたことは良かったこと。ただやってなくても、勉強でそれを広げていたとは思うけど。
スポーツってチームで、団体でやることだから。一人になってしまえば再現性がない儚いものだよね。それを、高校生まで続けてしまうと、もはや自分がやりたいかどうかで決められないところまで行ってしまう。
仕事。そう思って、進路を取るための仕事、コミュニティを維持するための仕事、仕事、仕事だから割り切って残酷なことでも嫌なことでも考えることをやめて取り組むことができる。
もしそう思わなければ自分を追い込む理由もないから、そこまで毎日続けることもしない。何もしなかったと思う。ずっと、興味がないものをやっている。仕事のように割り切って量をこなしたり、やりたくない気持ちを抑えて無理にやってしまうと、嫌いになっていく。
好きなタイミングでやれるから、興味があるし何かをやりたいと思う。仕事になってしまうと、タガを外すために嫌いになる。これはなんだ、どうして。
なんでタガを外してまでやらなきゃいけないんだ、仕事だから。仕事だから、って言葉を唱えればどんな理不尽にも耐えれる気持ちの準備がされる。だから仕事をしたくない。仕事という言葉には、無理やりやらされる嫌な経験という印象が詰まっている。
お金が発生するかどうか、自分にはたいして関係がない。無償労働が嫌だった時は時間がなかった時、POP作成やポスターを作るとき、時間外に睡眠や自分の時間を削るには対価が欲しかった。
お金がもらえたところで辛いという気持ちはチャラにならない。生きていることだけで嫌なのに、欲しいものも大してないのに、お金をもらっても。ただ生活の継続のためのお金が欲しい。税金、車、食事、生活用品を必要な時に変えるだけのお金。10万あったら生きれるかな、どうかな。
多すぎる給料が重荷に感じて、下げて欲しいと交渉したことがある。受け入れてはもらえなかった。理解してもらえなかった、そういう人が多いんだろう、世の中。
やりがいが欲しい、でもやりがいには責任を負う覚悟と、体力がいる。
やめた、最近しんどい。未来のことを考えたり、過去を考えたり、自分のことを考えるのは水泳みたいなしんどさがあるよね。
本を読めばいくらか楽になることはわかるけど、楽になることがわかっていてその行動を取れない。
昼間に豚肉を、バラ肉を食べた。がっつり食べることで安心感、考えることもある程度できるようになる。昨日の夜は、空腹で眠れなくなった。手が震えたりしてやっとうどんふた玉とサツマイモじゃ足りなかったんだと気づく。
明日食べることにも困るような立場になった時、正常な思考回路を保てる人が日本にも世界にも結構いて、すごい。緊張や恐怖でやっと気持ちを保てることが想像できるが、それじゃあ眠れもせず、死に一直線じゃないか。空腹で耐えられなくなったら、自分は犯罪すると思う。自分が悪いんじゃない、社会が悪いんだって、食事できてる今ですら思ってるんだから。犯罪を自分とは違う世界の人間の話として捉える人が多いけど、自分は捕まったり刑務所に入る人の気持ちのほうがわかる。若い同僚と雑談で将来の話になって、毎日ご飯が出て睡眠が取れるならいっそ刑務所の方がいいなって言ったら引いてた。だけど、本音だったな、なんでそんなこと言えたんだろう。共感するところがあったんだろうな、人生に絶望してるのに体だけ動いているような子だったから。そんな同僚がシフト作ってて、管理者みたいなことしてるから、やっぱり我慢するしかなかった。
変な絆があって、待遇が酷いから、職場にね。若い子多いし、根っから悪い人はいないし、そこが自分を追い詰めたんだが。4時ごろ出社したり、6時に来てるのに仕事終わらそうと思ったら簡単に0時越えるし。変な絆。私の体じゃあ青春についていけなかった。オフで遊んだり、仲良くしすぎたのかな。部屋を掃除する時間より、同僚と話したりして気を紛らわす方を優先した。間違いではないけど、間違い。人生で頑張るのは最後、と思ってた。3年くらい働けなかったから、それを取り戻したのかなその2年で。休んでなかったら、同じようなノリでいられた?いや無理だ、能力とノリが違いすぎる。
周りに合わせて自分を形作るしかない人生。中身空っぽ。空なのはいいんだけど、いいんだけど、生きづらい。