アンメット第10話の好きだったところをただ語る

カンテレ月曜10時から放送されている「アンメット〜ある脳外科医の日記〜」、月曜日を心待ちにして生活している。繊細で楽しくて、とても大切な作品になっている。文字を打ちながら考えたい。

コーヒーショップ、抹茶パウダーさん


コーヒーショップの前で、待ち合わせをしているのか。

これはいつから始まったんだったっけ。今回、ミヤビのよく持ち歩いている水筒の中身が、コーヒーなんだとわかった。

確か最初は、三瓶が店の前でミヤビを待ち受けていて「これ飲みますか?」と声をかけていた。透明カップに入ったコーヒーだった。

繰り返すうちに、ミヤビがコーヒーを気に入って店に来るようになったのか。出勤前に同じルーティンを2人はするようになったと!

今回、ドアの前ではいはい分かってますよという風に三瓶の自己紹介をいなすミヤビ。自然に記憶が維持しているなら、なんと微笑ましく尊い時間か。

すごく遠く小さく見える画角から、新緑の中の小道を2人が歩いてくる。謎の店主から恒例のように入れられる抹茶パウダーを、三瓶が好きか嫌いか言い淀む。この時三瓶は、ミヤビがいる前で好きだという言葉を言いたいのでは?

パウダーは嫌い、だけど、好きと選び迷いながら何度も言葉にしていて、可愛くてまるで子供のようで。ミヤビも基本三瓶のことを”面白がっていて”、誰かを好きということを表現されるのにこんなに爽やかで楽しい方法はない。この関係性と新緑がよく似合う。

そして三瓶は、以前聞いたミヤビの子供の頃の話を覚えていて、「食べますか」とラムネを手渡す。ここで「小さい頃に好きだったんですよ、よく妹と食べてて」と返す。多分三瓶嬉しいだろう。「好き」という言葉だけ、それだけ交換し合うだけでも、弾むだろう心は。心は支えられるのではないか。

一過性健忘のショックも強かったろうに、三瓶は抱えながら進み、ケアしてもらう発想も元々ない。元々自分のことを覚えていないところから、一瞬記憶が戻ってきても今度はいつ忘れられるかわからない。

毎朝会うのが怖くなりそうなのに、朝イチで三瓶はミヤビに会いに行くんだよな。

手術の練習をする三瓶、手術をしないと決めるミヤビ

この二人の構図、なんとももどかしい。

序盤のシーン、方法を探すという三瓶に、ミヤビが手術をしないと決めたと伝える。この時はまだ、ミヤビが手術をしない理由が明かされていなかったので、ふらっと振り返って見つめる表情が気になった。

ミヤビは、いつも笑顔を作って明るくも気負わず振る舞おうという努力が見える。ただ三瓶とのシーンではスッと何かが抜けていて、自然な表情で、子供のよう、倒れる直前のシーンで弱音を吐露したときも素顔を見せていた。

素顔を、見せようと思ってできるのだろうか。聞いてみたい。一般人としては素顔をあえて作ろうとする機会はない。自然となってしまう、力の抜けた表情。好かれたい人にはなるべく見せないようにしてしまうが、このふたりはもう、そのラインを超えているということか。

そくふくけっこう(側副血行)

ミヤビの記憶障害の原因は、ノーマンズランドの中にあった。no man's land、メスをいれてはいけない領域という意味で、脳以外にも該当すれば使われる。

てっきり脳みその中にノーマンズランドという領域があると思っていたが、人間の体にはメスをいれることで癒着してしまい、結局動かなくなってしまう場所があるのだそう。

ミヤビは側副血行がないタイプと言われていたが、血管の迂回路のことを言うようだ。血管が遮断されても、そばにサブで流すことのできる血管があればいいのに、なかったという意味だろう。

ミヤビは「三瓶先生が自分を責めてしまうから」と、手術をしない選択をする。ここの心情が複雑なので理解したい。通常なら自分がどうしたいか、で決めるが、この手術は元より、不可能である。

ただ三瓶先生という存在がいて、不可能を諦めない人物だから、手術をするのかしないのかという二択が発生する。手術をしないという選択肢しか元々ないが、それを三瓶に伝えないと、三平はミヤビの記憶障害の根治を諦めない。

なのであえて、言葉にしてミヤビは三瓶に伝えた。だけど三瓶は手術ができないとわかった時からすぐに、0.5mmの血管を縫う練習を始めている。星前先生がダメだと止めても、「わかってます」という言葉を2度繰り返しながら手は止めない。

わかっているけれど、諦めたくない。それを星前先生も汲み取り、言葉が出ない。

記憶障害が分かった時から手術の練習を始めるのは、これは奇しくも教授と同じ。だからこそ、教授が何度も、穏やかさを消して忠告しにきたんだろう。3回、ついには三瓶に嫌々だが頭まで下げている。

三瓶がそれだけ諦めない人間だということを、教授が嫌というほど深く理解している。取る手段は正反対なのに、私情を投げ打っても”ミヤビを助けたい”という全く同じところに行き着く、妙な絆がある。
ここの関係性、三瓶が嫉妬のような行動をとるのも納得できる。

初めから、教授が命を救うことに誠実な医師だと知って見直したい、どんな感想になるんだろうか。

教授の説得で三瓶は「わかりました」と答えた。手術はしない、だけれどもこの先い脳梗塞のリスクはある。だから練習を続けていかなければ命を救えない。となって早々にミヤビが倒れる展開。

てんかんの発作がない意識消失、脳梗塞発症の可能性が思い浮かぶ、手術をしても2分なんて不可能だ、だけどこのまま何も出来ず終わりなのか、そんなことが頭を巡るだろう。
三瓶の蒼白で焦りが滲んだ顔が大きく写されるので、自分が中に入り込んだように思い至ることができる。なんて残酷なことをするのだ制作、と思うが現実はそんな感じか。

ミヤビが画面に映ったところで無音にするのは素晴らしい、脈を図る三瓶、反応のないミヤビ、時間が止まってしまったのではないかと連想させるからちゃんと怖い。

放送されて2日目の今まで考えていたのが、次回最終話の最初はミヤビがベッドから起き上がるシーン。今まで倒れたシーンからはすぐに復帰してくれていたので、そう思い込んでいた。だが、最初に重大な決断を求められるような手術シーンから入ったらどうしよう。冷静に、その可能性の方が高いのではないか。

予告編で元気そうなミヤビを見られたので、一過性の発作でまた起き上がり、過去も絡めて、ゆっくりと脳梗塞を発症する日まで充実した医師生活を送っていく想像をしていた。今のミヤビと三瓶の関係性で新たに思い出を作っていくのではと思ってたが、大丈夫だろうか。不安になってきた。

個人的な妄想では、9話で血流を遮断して2分の手術と言われた時に、あまりにも短くてショックだったので、2人でやろう、そうだ教授と三瓶、2人合わせれば協力すればなんとかなるよ、と一人自分に言い聞かせた。

日曜8時のスーパーヒーローが描くような発想だが、なんとかなるならなってほしい。麻酔医の成増先生が血流の遮断時間を強調していたし、手術シーンがゲスト患者によって何度も繰り返されたことで視聴者の知識となっている。教授の手術に入り込んだこともある、助手と執刀医の違いもすでに知っている。最終話で手術をしないことはあるか?するなら序盤だろ、ああ、怖いな。

あとは、側副血行を作ること。だけど、綾野先生のカテーテル技術の発揮場所は、ないだろうか。せっかく丘陵セントラル病院に集っているのだから。

序盤に手術だとしたら、幸せそうな4人のミヤビと三瓶の食事シーンはいつ見られる?成功後か
序盤は過去のシーンから入るかな?それから現在になり、ああぜひ成功して、ミヤビが愛おしそうに、寝た三瓶を見つめる予告のシーンが見たい。

テレビドラマは市井の人の背中を押すような内容で、前向きに終わるという点で信用しているから、大丈夫だと分かってるが、想像して右往左往するのも楽しい。

分け合う

ミヤビの状況を聞いた院長と津幡師長が、あんぱんを分け合うシーン。この作品中で管理者であり厳しさを担う2人が、脱力した会話をするところに癒される。

あんぱんを半分に割るところを一部始終見せてくれる、その後院長が手に取る前にもう一度あんぱんのカットが入った。何を伝えようとしているんだろう。

その後、夫が妻のために売店のドーナツを買っていて、いつも分け合っていたというそれを、妻がまたミヤビに分けてくれる。自分や友人のことも忘れていく夫について「全部頭の中からなくなっちゃう」と話す。それを聞いたミヤビは、状況を自分と重ねる。

その夫妻が自宅療養のため退院していく日、三瓶とミヤビは後ろ姿をじっと見つめる。ふたりそれぞれの表情を映すカットの長さに、自分たちの未来を投影しているのではと感じた。

2人で分け合う、という描写を意図的に入れていたのかな。そもそも1話から、おしるこやコーヒーを手渡すことで、話を聞き労いを伝えている。三瓶は話のきっかけに赤い奇天烈なグミをミヤビに手渡しているし、津幡院長は自ら炭焼きの手羽先を渡して励まし、気持ちと共に食べ物を渡す行為が繰り返し描かれている。

ただ半分にして渡すというのが大事にされていたような気がして、津幡院長があんぱんに親指の先をぐっと入れて、線を引いてきっちり割っているところに面白さを感じた。
きっちりはんぶんこ、そして素手。二人の腐れ縁のような関係性が出ている。全部はあげませんよと、突っ張る津幡院長がかわいい。

一方、ビニール袋に入れたまま、自分の方を素手で取って、ミヤビに渡す奥さん。他人にする時の分け方だ。ドーナツの断面をつまんで口に入れる、ボソボソしていると話すところも、ざっくばらんで明るい人柄を感じる。この方、一貫してオレンジの服を着ていた。黒やピンクの服だったらじっとりと見えそうなところを、カラッと元気そうな印象になっていて人物自体の好感が上がっている、気丈に振る舞う感じも強く共感した、似合ってる。

ミヤビは終盤にかけて、三瓶によく報告をするようになった。「どうして僕に」と聞かれて「わかりません」と答えた時、ぷいっととんがった口が印象的だった。どういう心境だったのか、心の記憶から自然と行動したことへの戸惑いか。

悲しみを分け合うことを提案しているのだろうか。寄り添うことで影が消える、を体現しているのかな。彼らが何を大切にすることで、不安や困難を乗り越えようとしているのかを知りたい。分かりたい。

歪んでいくあいみょん、脳内を共有できた

第10話あなたが灯してくれた光、一番の驚きと声に出して伝えたいテーマは何より、ラストシーンの歪んでいく主題歌。

あいみょんの主題歌「会いに行くのに」が、楽曲がドラマ内の演出にシュルシュルっと巻き込まれたことへの驚き。

ミヤビが席を立った時点で嫌な予感はしていた、このまま終わってくれーと願っていたが、耳鳴りと共に倒れる。エンディングとして流れていた曲がグワンと歪みだし、ガラス容器に閉じ込められたような歌声に変わる。

変質した歌声が戻ると、三瓶先生が焦った表情、アンメットの文字が出て第10話は終わった。三瓶、分かるよ。ミヤビが今倒れてしまったらどういう可能性が考えられるのか、脳内に巡り巡って最悪の可能性まで散らついている顔だそれは。

ミヤビ倒れるのが早すぎるよ、前回だって上げて上げて急激に下げてくる。が次回予告で元気そうに4人で食事をする姿があったから、無事ではある。

「あいみょんが描いてくれた楽曲を、主人公が倒れるのに合わせて歪ませよう!」なんて思いついて行動した制作者の方の思考を想像するとワクワクする。急にパツンと切ったり、歌詞と映像をリンクさせたり、見たことはあるが。

個人的に塚原あゆ子監督の作品が好きで、「アンナチュラル」はlemonの歌詞が写っている人間の感情と通じ合い、「MIU404」の米津玄師の感電はエンディングの楽曲のリズムと映像がピタッとはまる気持ちよさがある。

ただただ流れゆく映像に流れゆく楽曲をはめるだけのドラマがある中で、こうされると一瞬も見逃せない。

「下剋上球児」も「石子と羽男」も独特のカメラ位置からの視点が、今でも映像としてパッパッと頭に流れてくるんだから、相当食らったんだろう。何故そこから撮る?!って驚きに沸き立つ、それ誰が提案したのか知りたくなる。

映像とは別のところで流れているはずの楽曲が歪むことで、ミヤビたちが生きる画面の中の現実に、私たちが見ているもう一つの現実が巻き込まれた感覚になった。

私たちの視界も歪んだ感覚。この脳に障害を負った人たちの世界を疑似体験するような演出は初めから一貫していて、失語症の聞き取り方を音声で表現した1話では、どこから見てもまともそうな風間俊介が「あジュるもがエイネクルふるデュア?」と真面目な顔で聞いてくるから、ああ世界自体が変わってしまったんだという愕然とした気持ちになった。

2話のサッカー少年が左側をそもそも認識することができないという戸惑いも、5話のただただ無事を願い読経する弟子の祈りも、7話の料理人が鰹節の香りが効けるか恐れる思いも、画面を隔てた一視聴者が見て感じられることのすごさ。

楽曲を歪ませたことで、ミヤビと視聴者の脳内は繋がっている。ミヤビの頭のなかに認識するはずのない「会いに行くのに」が流れていると捉えてみると、それは嬉しい。

杉咲花の笑顔、ミヤビの抱えたものの大きさを感じさせないゆるっとした振る舞い、背筋を伸ばして患者と対面する覚悟、自分の中に明かりを灯して周りを照らそうという姿には、あいみょんの切実ではつらつな歌声がとても似合う。

この演出から、「会いに行くのに」がミヤビと私たちの脳内テーマソングとしてずっと共有されていた、と解釈したい。

心ではわかっていても わかることのない貴方のこと

常々思っていた、上野大樹の「縫い目」の歌詞が素晴らしいと。毎回話の中身に持って行かれてしまっていたが、破れた顔の断片をつなぎ合わせるのは赤い糸。「心では分かっていても分かることのない、あなたのこと」と悲しげに嘆き歌い、すっと消えていく男性の声。

正式には「心ではわかっていても わかることのない貴方のこと」と書かれている。貴方とはミヤビは呼ばないけど、心情ではわかる。あなたと呼ぶのは三瓶先生だけど。

このわかることのないというフレーズは3回繰り返されるが、2回目だけ「解ることのない」と漢字になっている。糸が解ける、にも使うよなこの漢字。ほどけることのない記憶なのか・・・

10話のオープニングの「縫い目」はいつもより長く、三瓶先生をバックに流れ始めた。

三瓶先生の「自分のことを思い出してもらいたい」という気持ちを、決して本人が口にしないところに心が傷む。でも薄くも強く、常に裏側にある中で話が展開していくから切ない。顔がこの曲と共に映ると、涙が出てきてしまう。

一方で「縫い目」は、三瓶との過去を思い出すことができない、ミヤビの気持ちを描いたとも捉えられる。この曲の始まりは「目が覚めたはずの世界に私 見覚えがないの、どうして」で始まるから。

10話でミヤビは、真っ暗な精神世界の中で、蝋燭の置かれた床に座る三瓶を思い浮かべていた。ということは、断片的なイメージから過去の親しい存在として三瓶という実体を紡ぐことができているんじゃないか。おそらく一緒に蝋燭を見た記憶としては思い出せていないけれど。

「心ではわかっていてもわかることのない」と歌われるが、もう心でミヤビは三瓶のことを分かっているよ。突きつけないでくれと思ってしまうほど、叫びのような震える歌声に答えたくなる。9話のラストのように、突如として三瓶のことが分からなくなってしまう恐れをはらんでいるからか。

過去を完全に思い出すことはないかもしれないけれど。それでもいいのではないか、と終盤につれて思う。ミヤビははっきりと言わないが、三瓶というおそらく大切であろう存在を断片からもう築きあげている。

三瓶はずっと「大事なことは心では覚えています」と説く。そういう研究結果があると医師としての言葉を継ぎ足すが、子供のような覚えていてほしいという気持ちが滲み出しているところがさすが若葉竜也という感じだ。

その言葉が記憶のない今のミヤビを照らした。今のミヤビが、理屈じゃなく感覚で三瓶を信用し、尊い存在として認識し惹かれていて(面白がっていて)、さらに自分の手術によって三瓶が傷つくことから守ろうとしている、なんてことだ。

一緒に医師として頼り支え合って進んで行きたいと、手を繋いでお互いの涙を抱きとめあった9話のラストの会話から解釈しているが、なぜ倒れてしまう。もう少し、このまま日常をお互いに支え合って、乗り越えていく時間が欲しいだけなのに。

どうしよう、映画なら、グレーのスウェットを着た三瓶が、冬の寒空を鬱陶しそうに見上げる。ミヤビのお墓の前で、花とアイスコーヒーをそなえ「あと何回同じ冬を通り過ぎて、錆びたままの部屋で君を待つのは寒すぎる、心ももたないよ」なんて歌われたら、泣き出しちゃうな。この映画的な明暗が濃いライティングと画面の質感からして、悲しみで終わっても美しい。

想像するのも楽しいが、まあそれはないのは分かっている。多分三瓶がアメリカに残されていた2年間から日本に戻ってくるまでの心情を歌っているんだろう。読み直してみても、なんと心が苦しい。フルで映像を当ててほしい。

原作を見ているけれど、マガポケっていうアプリで1話ずつだが見れてしまう。ドラマ化で設定が研ぎ澄まされて、漫画だと医療や問題を描くところは理知的だけど、ポップなところはとてもコミカルで、フィクションとしての跳ねるような展開はドラマに時折輸入されて深刻さを和らげている。
漫画と映像だったり・空想と現実・手術と日常・厳しさと明るさのバランスを、映画的な作り方や、役者さんの力を見せるような撮り方で、すごく上手く中和させてる見事だ!と感じる。

なんでも原作が一番だと思っているが、スイスチーズモデルの回は漫画がやはり良かった。ドラマで映像化すると生々しく、一人のミスが実際に人の命を奪ってしまう現実を見た気がした。見ている側はなんでそんなことするんだ、と思ってしまう。軽く扱われる業務に苛立ちさえ覚える。
けれど実際に現場に立つと、見える視界は狭まり、日常と自分の体力との戦いもある。コールが鳴り続ける中センサーを切ってしまう心情は理解できる。あの二人はとてもましで、あのように気丈に機嫌よく疲れも見せず親切に思いやりながら、夜勤を務めることができる人間はまれだということをどれくらいの人が想像できているか。

でも読んでわかるのはただ、その現場の看護師ひとりに共感してしまってもいけない。師長の最後に言わなかった総括が、私の悩みへの答えになってくれた。
仕事という集団で何かを日々遂げていくために、それぞれの我を持ち合わせた人間が、どう正しさを求めていくか。どちらか一つではなく、持ち合わせるという選択肢を学ぶことができた。読んでほしい。

この作品は一人の天才がいるんじゃなくて、とても多くの人が関わっている気がする。制作発表も見たが、適切な時間をかけている。主役が傑作を作りたいと言っていた、制作に出演者が関わっている時点でこれは、と感じた。新しい枠としてきちんと予算もありそう、適切な広報もちゃんとついている。

「いちばんすきな花」も大好きだが、内容は丁寧で繊細なのに宣伝は荒くて、昼の番宣に役者を行脚させて、藤井風も絡めたところに、演劇の最後のお辞儀感を感じてしまった。この登場人物は俳優が担った一つのお仕事なのか、一緒に生きていく、どこかで生きている感覚はそのままであってほしいというのはわがままかな。全部見たけどな。

プロデューサーの色もわかる、お金を集めて企画を通す、明るく手広く絡めていくそういう仕事だってこともわかる。とても大事どころか根っこの部分。

・・・そういえば、ビールがモルツに変わってたのって見間違いか、宣伝だよな。麻衣ちゃんがミヤビの家に来たから、その時紹介されたんでしょ!CMやってるから!アサヒビールの食彩のCM、生田絵梨花ちゃんが歌っている。モルツは同じメーカーだ。

放送をカウントダウンするような裏側を出すポップなインスタ運営も分かる、確かに嬉しい、たくさんの人に見てほしい。だけど、きちんと人間が存在するような主演視点のインスタ運営を絡めているのも誠実で好きだ。

同じような目的と作品の描きたいところや大切にしたいところをみんなが共有できていて、それぞれが別々の自分の仕事から、登場人物の人間性や作品で描き出したい大切なこと、譲れないところ、空気感を染み出させようとしているんじゃないかと推察。大きな打ち上げ花火から枝分かれして、線香花火の大きさになるまで細部まで花火が打ち上がって、見たことのない、もこもこの大樹のような花火が写ってるみたい。仕事ってこうあると良いなあ。

歌の話に戻ろう。「縫い目」というタイトル、血管を縫うシーンがよく出てくるため、その度に感心する。いつ書いたのか、とても早めに下書きができていないと、2つの歌と内容の関連度がとても高い理由の説明がつかない。漫画原作だからなのか、しかし漫画ではドラマよりも強くミヤビと三瓶に焦点を当てていないので、ドラマでの筋書きも早い時点で決まっていたのではないかと想像する。時間がたくさんあるからといって出来るものでないだろうし、見事だ。先に元となる歌ができて、それに辻褄を合わせていく部分もあるだろうと想像するが、大バレしていてもいけないし、ああ、どうやって作ったんですかと聞き出したい。

医師も人間であり、仕事終わりに数時間残業し、地道な練習を行った末の、輝かしい手術だということを、手羽先まで例に出して伝えてくれるドラマは珍しい。10話では、0.5mmの血管を縫合するためストップウォッチを手に挑む三瓶。さらに練習キットが教授の医師としての矜持を三瓶に伝え、物語を進めた。珍しい。

改めて「縫い目」の歌詞を調べて、読んでみた。1度目は始まって数話の時点だったので、わからないけれどミヤビ側の心情を歌ったんだろうなと思いつつカラオケで歌うなどしていたが。
「胸の奥、鳴り止まない。ただ、この縫い目がほどける・・・」と思っていたが「この縫い目、肌、枯れる」そうだ。
この言葉だけではピンとこないが、次に「この縫い目 ただ 弛(だ)れる」になり、終盤に再び同じメロディーが来た時に「この縫い目、肌、開かれる」に変わる。

この3パターンの違い、「肌枯れる」がほぼ同じ発音で「肌開かれる」になるというのは、この人も発明家だ。
ほどけない糸は記憶、縫い目はだんだん開いていく様子を描いたのだろうか。

肌を開けるということは、自分は手術を連想する。ミヤビの手術を含むものだったらと思うと気が気でない。もう手術ができない範囲にあるということは、脳血管の破裂から2分間での緊急手術時間切れ、だけはやめてくれ。

このアンメットでは手術した人には失敗がなく、みんな良い方向に進んできている。
肌開かれることで、肌枯れた者が生き返ることができるなら、そうであってくれ。

熱量情報量圧倒的、星前先生の長回し

星前先生の泣き方、すごく誠実でいいよね。涙って人前で堪えてしまいがちで、泣き出したら必死で止めようとする。だけどあんな風に優しさや気遣いを伝えて、そして本人にどう考えているのか尋ねることができる。そして受け止める。

浮かんでくる涙を豪快に拭って、笑って、逃げるようにではなくて立ち止まって手を振る。外に出たら頬の力を緩めて、厳しい顔に戻って出ていく。

星前先生は熱があるという設定は漫画でもそうなんだけど、感情が込み上げてくるスピードが速くて、段階が目にみえる、すごくわかりやすくしてくれる。母親の診断をたらい回しにされた経験をミヤビちゃんに語る時も、手の震えや顔が赤くなる感じ。同じように怒った経験はないのに手に取るように分かった。

星前先生がミヤビちゃんに心配を、思いやりを、何か助けになりたい、それらをどうにか伝えたい、その気持ちが画面のこちら側に伝わってきた時涙が出る。個人的だけど、緊急地震速報からの津波警報で逃げてという声が私は好きで、安心するけど、涙がぼろぼろ流れてくる、聞きたくないけど聞いていたい。

理由をしばしば考えるんだけど、誰かのために何かを伝えたいと語気を強めて、叫んでいる行為に心が動いてるんだと思う。自分に投げかけられているものだと錯覚したい、自分が誰かに思われていることを疑似体験している。誰にも影響を与えることなく、つながりの維持や関係性に心配る必要もなく、勝手に受け取って勝手に心動かされている安心感の上で。

アナウンサーはただ一応訓練でそのコツを学んで習得して、実行しているだけなのに、それでも心が動く。技術で心動かされていることを分かりながら、心動かされている。それはドラマも同じかもな。

星前先生の感情が上がってくるのが分かって、それと同時に自分の感情もぶぁっと込み上げてきちゃって、10話はずっと涙で頬が生暖かくてね。人が泣く前一気に吹き出す時を久々に見たからなのか、なぜ他のドラマで同じような感覚を覚えてないのか・・・ああ、菅田将暉の虹のMVの泣き出し方は似たカテゴリに入っている。

千葉雄大はラジオ好きでユーモアがあって、変わった番組によく出ていて内向的な人間だって捉えていた。そんな人が熱血の救急医、体も鍛えているようでがっしりしていて、知っている別角度からこの作品でこの時期にこう感動させてくるとは思ってなくて、後ろから刺された気持ち。嬉しい。大好き。

普段は見ていてもわからない人の気持ち。でもなぜか、多くの人が同じような感情を感じ取る、気持ちが手に取るようにわかる、ような錯覚にさせてくれる。すごい仕事をされてるな。

同じカメラでしばらく撮るのも、アンメットの特徴で大好き。9話も盗み見している気分になって笑ったし、だけど感情がそばにある、二人がそばにある肌感を感じた。二人の生身の人間がフィクションを体に入れて相対したことで、空想が現実になる瞬間をカメラが捉えた、って感じ。

カメラを手持ちに変えた、とか、固定じゃない、何かを新しいことをよりよくしようとしていることが伝わってくると、本当にワクワクするし、ああそんな野心のあるより良いものを作りたいって考えを実行に移す勇気を持つ人がこの画面の向こう側に存在するのかと思うと嬉しい。日常の生活が近い世界だと削ぎ落とすべきものだし、あまり感じられないから。

アンメット十八番、声量低会話日常の台詞

マイクが近くにないのに、どうしてさりげない音声が綺麗に撮れるんでしょう。あのもこもこした集音マイクの性能が上がったのか、カメラに映らない場所のすごく近いところに、鍛えたマイクさんが腕を伸ばしているのかな。

10話のゲスト加藤雅也さん、妻役は赤間麻里子さん。赤間さん、最近Instagramかネット上でも演技の仕事をされてる。ショート動画で流れてきていて、こんな実力のある方をこんな安い設定や画面で見て良いのかわからないまま、たびたび面白い。

大島宙育が若葉竜也の声量を実現した製作陣を褒めていたけど、このお二人も同じものを感じた。加藤さんは「アンフェア」を思い出すな、THEドラマにも出ている二人だから、発声の良いイメージだった。だけど本当に普通の声量でいつもの感じで話していて、赤間さんが絵の価格を2000円に釣り上げる冗談を言った時なんて、本当にその場でそばにいる人にだけ聞こえる声量言い方で呟いていて現実。

メモを片手に奥さんが夫の病状について説明を受けるシーンも。人前ではあまりにも深刻な病状や場面で、人間は気丈に振る舞う。ユーモアとポジティブを持ち合わせた家族になる。ショックな話をして、いやいや大丈夫ショックを受けてるわけではないと話すところなんて、リアル。それに「そりゃそうですよ」「かもですね」と否定はせず、内心を察しつつ表情を作る三瓶とミヤビ、この連携も見ていて微笑ましい。

杉咲花、岡山天音、千葉雄大、井浦新も映画畑の人ってわかってるからか、ゲストの人々も主戦場の演技方法を持ち寄ってきている感じで、本当に良さが滲み出ているなと。

ナースのお二人(山谷花純・中村里帆)風間くん(尾崎匠海)はすごくわかりやすく、聞き取りやすい人を担っている。例えば家庭でテレビがついていて、テレビっぽさと映画っぽさのバランスを後者の人々が取ってくれている気がする。目鼻立ちもくっきりぱっちりしている。

今話の風間くんと森ちゃんが隣同士で座ったシーン、そこでスローになり森ちゃんが両手を外に向けてパッパッと違うんです、というように振った表情や仕草がなんだかすごく好きだった。

そのあと、ミヤビが暗闇に取り残されてしまって、おもちゃを取られた泣き出す瞬間を切り取ったような、取り残されたという言葉に見合った見事な表情をされていて、自分の心も胸が空くような、心臓の下の穴から全て流れ出すような感情になった。

もう一つ好きなシーン。三瓶先生の首筋に汗が流れていて、今までの描写と違った。色白で淡々とした姿が多かった三瓶先生から、生身の人間っぽさを画面から感じた。むしろ今まで加工で無くされていたけれど、本来の素材が戻ってきた感じ。

いくら架空の医師を描くとしても、技術が毎日の練習の積み重ねでできていることを伝えてくれるのは、理想を描いたテレビドラマを心から信じて育ってしまった自分にはありがたい。

ノートに連なった数字。10分から8分着実に早くなっているのに、そこから2分に達するにはどれだけの時間と労力が必要か、圧倒的な遠さを一緒に体感したようで、叫ぶ姿に胸が痛む。しかし一人で崩れた気持ちを立て直し、カリカリと血管を剥がす三瓶の理性は、やっぱり人間離れしている。

描かれない1つだけのガトーショコラ

側頭葉で一緒に生きている話を、真っ暗で孤独を想像するようなミヤビにも話してあげてほしい。本当に三瓶が伝えたいのはそちらだろう。何も無くなったように見えても、大事な人は自分のことのように捉えるようになって、頭の中でともに生きていますと。

成増先生に研究結果を話したあと、ゼリー飲料をきゅうっと吸い上げる三瓶の顔はあどけなくて、寂しそうで。星前先生も見てられないよ。

過去に同じことを思って、裏付けるような研究を集めた時間があったのだろう。そう考えることで、この2年間自分を鼓舞してきたんだろう。心は覚えている、大切な人は自分と共にいる。

星前先生は本当に、よく周りが見えていて心を配っている人だ。ただカップラーメンにピザにうどんが続く食生活は、風間先生の弁当つまみ食いするくらい許されるな。風間先生は実家暮らしなのか、誰に弁当作ってもらっているのか。

成増先生は、漫画だとまた違った姿で面白い。確かに同じ人物なんだけど、野呂佳代さんの現実に居なくもない感じ、気持ちよく邪魔されずに見ていられる。そのまんま現実に持ってきたら、うん、味付けの塩梅が想像つかないくらい絶妙。

ゆっくり描いてもいい話なのに。自己開示からの助言を受け入れる速さ、そして自分の生活に即組み込んで、ケーキを買って足を弾ませながら出ていくシーン、で前向きな未来を示唆した。

色々なことに踏み込める勇気があるのにあの軽さ、艶やかな色気はあるけどさっぱりしている、キャラクターの性格自体も魅力的。

ケーキはてっきり2つ買うと思った。亡くした人の分も、だけど1つ。

側頭葉に自分として一緒に生きているから、今は1人で良いって受け入れることができたってことなのかな。それまでは2つ買っていたけれど、そのカロリーを取り戻そうと、院長にサラダを売店に入れるように頼んでたとか。

家に帰って、1人分のケーキを頬張って、満たされて、素敵だな。笑顔が浮かぶ。
忘れられないことが、三瓶先生の一言で、受け入れられた。9話の女の子に意識がないと平気で言ってしまう医師のように、研究データや科学は不要なものを省いた数字や基準で切り捨てるものがあるけど、希望になることもあるんだ。はっきり言い過ぎて問題になることがありがちな中で、良心的。

そういえば、9話の女の子とは状況は違うけど、体は動かせない中で記憶がしっかり残っている方のインタビュー記事を見つけた。体を動かせないけど意識があるという状況はあって、失望するような対応をしてきた医師がおり、その声を彼は聞こえていたし全て覚えていた。

https://www.sankei.com/article/20240612-KXEBXSHHXVJP5OAP544RGKE4YE/

ミヤビ大好き4men

この4人が集まるの、アツい。教授に、星前先生、三瓶、綾野先生までいる。みんなミヤビちゃん大好き、教授もなんとかしたいと思ってくれていた。自分の夢や理想を放り出しても、ミヤビちゃんの命を守りたい。そこまで思ってくれている人がいる、それに応える、お互いに尊い。

教授の「生意気だ」の時の目の漆黒さを見たか、ガチギレしてるじゃん。穏やかな人が凄む時の高低差に惚れてしまう。人を殺す井浦新が一瞬だけ顔を出してるよ、加えてどこか色気がある。中堂系の微笑みと同じ効果を生み出していると思うんだ。存在の尊さと造形美に頭抱えてしまう。

それに対して、綾野も星前も堪えきれず微笑む。医者ってのはどれだけ図太いんだ。「あなた、医者でしたね」と言い放つ三瓶は規格外だけど、綾野でさえ教授に気遣いはしてもご意向を伺ってはいない。

ミヤビが夜中に怪しげに誕生日ケーキを持っていける風土を作っているのも、めちゃくちゃ優秀な教授だ。自分の戸惑いも隠さないし、自分の立場が危うくなっても誘導は若干しているが本人の意向を一番大事と話す。

上の上司の機嫌を伺って、言葉を濁したりしないんだ。清々しいんだな、他人として。社会に出ると建前が必要になってくるけど、ご機嫌をとる行動って側から見ると気持ち悪く感じるんだな。

自分の保身がかかっている時でも教授は絶対に本人の意思を尊重する発言をしてた、普段から穏やかで人に寄り添える人間性を持ちながら、尊敬はされている、でも懐に後輩たちがガシガシ入り込んでくる。舐められると面倒だから圧を持つ中年は多いけど、その恐れがないキャラクターだよね。これを真似するとしたらなんともむずかしいな。

このドラマ一貫してみんな休みありすぎだろうって、休んだらどう病院回ってんだって思うけど、このシーンを作って頂いてありがとうございます、と頭を下げて回りたくなる。序盤にあった綾野先生と三瓶が2人きりで外で話すシーン、手羽先が出てくる血管の話だったから、おそらく二人の血管にカメラを。2人の手首を写す時間があった。

綾野先生の表情が本当にコロコロと変わっていて、情報量が圧縮されたように多くて本当にありがとう。貴方にしかできません。バーで麻衣ちゃんにミヤビちゃんのことをなぜ忘れられないのか問われたとき。

思いを巡らせて片眉を上げたり、半笑い、そして何かに気付いたような素振り諸々。あれは麻衣ちゃんがデータを送ることを断ったことに感づいたのか、それとも、これあなた僕のことが好きということですか?と考えたのか、想像が捗り過ぎて正解がわからない、わからなくてもいい。でもあの表情されたら帰るな。何かこちらを見透かされたような顔。

2人があんなにお互いを気に入っていたとは、8話まで気づかなかった。10話でもいつ帰ってくるの電話かかってきてたなー、こうなるなんて絶対想像できなかった。綺麗な画角で2人抱きしめあったあと、「え?何にも解決してませんよ」って三瓶先生が正論でツッコミ役に回るとは、彼が全視聴者の代弁を担うとは、笑ったなあ。

フェードアウトしていくまでずっと言ってるし、綾野先生の受け流し方も飄々としていて、あんなに10億だの父親の急病に結婚転職自分の未来に重すぎる問題を背負っていたのにあっけらかんと丘陵セントラルに馴染んでいる。

得体の知れない肉食う奴、実の娘があれだけ大っぴらに政略結婚をするというのに手振りでマル描いちゃう奴から逃げるのに、好きな人と一緒にいられるならそれ以外大丈夫!って、まあそれしかないか。重大な人生の問題と戦うには共にいられる相手さえいれば、、、重いものを重く持っちゃいけないね。どうせ重さは変わらない、軽々しく扱ってしまえば良いんだ。

まとめ

いつかどこかでミヤビのノートを見てみたい、端の方まできっちりと書いてある。星前先生が風間の弁当を盗み食いしたこと、結果ミヤビ最後に書いてた。未認可のLTB療法を試した女の子の母親は離婚して、三瓶は責任を取って退職したことでアメリカに行った、とも書いてあって。ああ確かにその世界で生きてたんだって気がする、来週で終わってしまっても。





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