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現代語訳 『 遠野物語 』

ようこそ民俗学研究室へ、主任研究員の天道巳弧です。
気軽に「みこ主任」と呼んでね。

今回は有名な遠野物語だよ。
怪異・妖怪・神の話をピックアップして現代語訳。

ぜひ遠野の世界に触れてみてね。

動画で見たい方はこちら↓



天狗・一

鶏頭山(けいとうざん)は早池峰山(はやちねさん)の前面に立つ、高く険しい山だ。
麓の里では前薬師とも呼ぶ。

前薬師には山の神・妖怪の一種である天狗が住んでいるというので、
早池峰山を登る者でもこの山は決して目指さない。

山口の「ハネト」という屋号の家の主人はとんでもない人で、
マサカリで草を刈ったり、鎌で土を掘ったりなど、
若い時は乱暴な振る舞いばかりしていた。

ある時、ハネトの主人が別の人と、
天狗のいる前薬師に登れるかという賭けをして、一人で登って行った。

そしてハネトの主人は前薬師から帰ってきて語った。

「前薬師の頂上には大きな岩があり、岩の上には3人の大男がいた。
 大男たちは目の前にたくさんの金銀を広げて眺めていた。」

「自分が近寄るのを見つけると、大男たちは怒りを顔に表しこちらを振り返った。その目は異常に恐ろしかった。」

「咄嗟に『自分は早池峰山に登ろうとしたが、道を間違えてここに来てしまったのだ』と言い訳した。」

「すると、大男が『それならば麓まで送り返してやろう』と言って先に立ち案内してくれ、麓に近いところまで山を下りてきた。」

「そこで大男が目をふさげと言うので、言われた通りに目をふさぎしばらくそこに立っている内に、たちまち大男は見えなくなった。」

天狗・二

和野村の嘉兵衛さんの話。

猟師の嘉兵衛さんが山に入ったある夜、山中で寝るための小屋を作る時間がなかった。
仕方なく、とある大木の下に寄り、魔除けのサンズ縄を自分と木の周りにグルグルと三周ほど張り巡らせると、鉄砲を抱えて軽く眠りについた。

すると深夜、何やら物音がするので目を覚ました。

音の方を見ると、大きな僧侶姿の者が、赤い衣を羽のように羽ばたかせて、
嘉兵衛さんが寄り掛かっている木の梢に覆いかぶさった。

驚いた嘉兵衛さんが銃を撃つと、僧侶姿の者はやがてまた羽ばたき、中空を飛び帰り去った。

天狗・三

松崎村には天狗森という山がある。

天狗森のふもとにある桑畑で、村の若者が働いていた時のこと。

昼間、若者はどうしようもないほど眠くなり、しばらく畑の畔に腰を下ろして居眠りをしようとした。

すると、山から真っ赤な顔のとても大きな男が現れた。

若者は、普段から深く考えない性質で相撲が好きな男だったので、この見慣れない大男が若者の前に立ちはだかって、上から見下ろしているのが癇に障り憎しみが募ってきた。

若者は思わず立ち上がった。

「お前はどこから来た!」

しかし、大男は何も答えない。

若者はこの大男を少しばかり突き飛ばしてやろうと思い、力自慢の勢いに任せて大男に飛びかかる。

しかし手をかけたと思うな否や、逆に若者の方が突き飛ばされてそのまま気を失ってしまった。

夕方になり、若者が正気に戻って辺りを見回しても、無論、その大男はいない。

若者は仕方なく家に帰り、家族にこのことを話した。

その秋のこと。

若者が早池峰山の麓へ、大勢の村人とともに馬を引いて萩(はぎ)を刈りに行った。
しかし、刈り終えてそろそろ帰ろうという頃、この若者だけが居なくなっていた。

皆が驚いて探すと、若者は深い谷の奥底で手も足も一本一本抜き取られて死んでいたという。

これは今から二、三十年前のことで、このことをよく知る老人が今もご健在である。

天狗森には天狗が数多くいるということは、昔から村人の間でよく知られていることである。

山男・二

遠野郷では権力のある農家、豪農のことを今でも「長者(金持ち)」という。

糠前(ぬかのまえ)の長者の娘が、突然、物の怪にさらわれてから長年が経った頃。
同じ村の猟師がある日、山で一人の女に出会った。

こんな山中に女などいるはずがない。

恐ろしくなり女を猟銃で撃とうとすると、女が叫んだ。

「○○おじさん!撃たないで!」

驚いてよく見ると、彼女は行方不明になっていた糠前の長者の愛娘だった。

「驚いた、どうしてこんなところにいるんだ?」

「私はある物の怪にさらわれて、今ではその妻になっています。
 物の怪との子どもも多く産みましたが、全て夫が食い尽くして、一人でここにこうしています。」

「私はこの地で一生涯を送ることになるでしょう。
 このことは誰にも言わないでください。
 おじさんもここにいては危ないので、早くお帰りください。」

そう女が言うので、猟師は女の居場所も聞かずに逃げ帰ったという。

山男・三

上郷村(かみごうむら)の民家の娘が、栗を拾いに山に入ったがそのまま帰って来ない。
家の者は彼女は死んだのだろうと思い、彼女が使っていた枕を彼女に見立て葬式を行った。

それから二、三年が過ぎた頃。

同じ村の者が狩猟のため五葉山(ごようざん)のふもとに入ると、大きな岩が覆いかぶさって岩屋のようになった所で、思いがけずこの娘と出会った。

「どうしてこんな山にいるんだ?」

「山に入ったら恐ろしい男にさらわれ、こんな所にいるのです。
 逃げようにも全く隙がありません。」

「その男はどんな人間なんだ?」

「私には普通の人間に見えるけど、ただ背丈がとても高く目の色が少し恐ろしいです。」

「男の子どもを何人か産んだけれど、子どもが自分に似ていないから自分の子ではないと言って、食べてしまうのか、殺してしまうのか、皆どこかへ連れて行ってしまいます。」

「その男は、本当に私たちと同じ人間なのかい?」

「男の服などは世間と同じ物だけど、ただ目の色が普通とは違っています。」

「一市間(ひといちあい)に一度か二度、同じような人が四、五人くらい集まってきて何かを話し合った後どこかへ出かけます。
 食料などを外から持ってくるので、町へ出かけることもあるのかもしれません。」

「こうしている間にも、男がここへ帰ってくるかもしれません。」

そういわれて村の者も恐ろしくなり、山から逃げ帰った。

今から二十年以上前の話と思われる。

山男・四

菊池弥之助という老人は、若いころは馬で荷物や人を運ぶ駄賃馬稼(だちんうまかせぎ)の仕事をしていた。
また、弥之助は笛の名人で、夜通し馬を追っていく時などはよく笛を吹きながら行った。

ある薄暗い月明りが照らす夜、大勢の仲間と一緒に浜へ越える境木峠(さかいげとうげ)を歩いている時、笛を取り出して吹きながら、大谷地(おおやち)という谷の上を通り過ぎた。

大谷地は深い谷で白樺の林が生い茂り、その下は葦(あし)などが生える湿った沢だ。

一行がここに差し掛かった時、突然谷の底から何者かが甲高い声で

「うまいぞー」

と叫んだ。

仲間たちは皆顔色を青ざめ、残らず走って逃げたらしい。

山男・六

小国村の何とかという男がある日、早池峰山に竹を取りに行くと、たくさんの地竹が茂っている中に、大きな男が一人で寝ているのを見た。

男の側には地竹で編んだ三尺(約90センチ)くらいの草履が脱いであった。

大男は仰向けに寝て、大きないびきをかいていた。

山女・一

山々の奥には山人が住んでいる。

栃内村和野(とちないむらわの)の佐々木嘉兵衛と言う人は、今も70歳を超えて生きている。

この老人が狩猟のため山に入ったところ、遠く離れた岩の上に美しい女が一人、長い黒髪をとかしていた。
女の顔色は大変白かった。

老人は恐れを知らない男だったので、すぐに猟銃を女に向けて撃つと、女は弾に当たり倒れた。

老人が近づいてみると、倒れているのは背の高い女で、とかしていた黒髪はその背丈よりも高かった。

老人は後の証拠にするため、切り取った女の髪を輪っかのように丸く束ねて懐にしまい、家路についた。

しかし道の途中で耐え切れないほどの眠気に襲われ、物陰に立ち寄ってうとうとと眠りについた。

その間、夢か現実か、漠然として判別がつかない時、先程の女と同じように背の高い男が老人に近寄り、老人の懐に手を差し入れ、丸く束ねた黒髪を持ち去ってしまった。

それを見た途端、ハッと老人は目覚めた。

「あの時に来たのは山男だったのだろう」と老人は語る。

山女・二

山口村の吉兵衛(きちべえ)という家の主人が根子立(ねっこだち)という山に入り、刈った笹の束を担いで立ち上がろうとした時のこと。

笹原の上を風が吹いてくるのに気づき、風が吹いてくる方を見ると、奥の林の中から幼子を背負った若い女が一人、笹原の『上』を歩いてこちらに向かってくる。

とても華やかに美しい女で、他の山女と同じように長い黒髪を垂らしている。

背中の子供を結び付けた紐は藤のツルで、着ている着物は世間一般の縞模様のものだが、ぼろぼろに破れた裾のあたりを様々な木の葉などを添えて繕っている。

女の足は地面についているようには思えない。

何でもないように笹原の上、中空を歩いてこちらへ近づき、吉兵衛の前を通って、どこかへ歩き去ってしまった。

吉兵衛はこの時の恐ろしさから心を病み、長いこと患っていたが、最近亡くなった。

マヨイガ・一

小国村の三浦なにがしという家は村一番の金持ちだ。

今から二、三代前の主人の頃はまだ家は貧しくて、妻は少し頭が回らない人だった。

この妻がある日、家の前を流れる小川に沿ってフキを取るため上流に向かったが、良いフキが少なかったので、フキを求めて次第に谷の奥深くへ向かった。

そしてふと見ると、山の中に立派な黒い門の家がある。

妻は変だと思ったが門の中へ入った。

門の中は大きな庭で、紅白の花が一面に咲き、鶏がたくさん放し飼いにされていた。
庭の裏手には、たくさんの牛や馬がいる牛小屋と馬小屋がある。

しかし、人の姿だけは見当たらない。

やがて妻は玄関から家に上がった。

玄関の次の間には、朱塗りと黒塗りのお膳やお椀がたくさん出してあった。奥の座敷の火鉢では鉄瓶の中の水が沸騰していた。

しかし、どこにも人影がなかったので、ここはもしかしたら山男の家ではないかと考えた妻は恐ろしさに耐え切れなくなり、座敷から駆け出して家に帰った。

この話を信じてくれる人はいなかった。

しかし、またある日のこと。

妻が自分の家の角に出て洗い物をしていると、川上から赤いお椀が一つ流れてきた。

あまりに美しいお椀だったので水から拾い上げたが、お椀を食器にしたら主人から「汚い」と叱られると思い、このお椀を雑穀を入れる櫃(ひつ)の中において、雑穀を計る器にした。

ところが、この器で雑穀を計り始めて以来、いつまでたっても雑穀が減らない。

家族の者もおかしいと思い、これを妻に問いただしたところ、妻はお椀を拾ったことを初めて家族に語った。

この三浦家はこれ以降幸運に向かい、やがて今のような金持ちの家になった。

遠野では山中にある不思議な家をマヨイガと言う。

マヨイガに行き当たった者は、中にある家具や家畜など、何でもいいのでその家から持ち出してくるのが良いとされている。

誰かがその人に幸運を授けようとして、このような家を見せているのだそうだ。

このお話では、三浦家の妻が無欲で何も盗ってこなかったためお椀が自分から流れてきたのだろうとされている。

マヨイガ・二

白望山(しろみやま)のふもとにある金沢村でのこと。

六、七年前。

栃内村に婿入りした男が、金沢村の実家へ行く途中で山道に迷い、マヨイガに行き当たった。

家の様子をはじめ、牛や馬、鶏の多いこと、花が紅白に咲いていることなど、すべて前の話の通りである。
玄関に入るとお膳やお椀の部屋がある。
座敷には鉄瓶の湯が煮えたぎっていて、今まさにお茶を淹れようとしているところのように見える。

男はしばらく呆然としていたが、だんだん恐ろしくなってきて逃げ出してしまった。

栃内村の人々は、

「それはマヨイガに違いない。
 その家からお膳やお椀を持ち帰って長者になろう」

といって、その男を先頭に、大勢の人々がマヨイガを求めて山に入った。

しかし、男が門があったという所まで来たが、辺りに目につくものはなく、人々は手ぶらで帰った。

その男も金持ちになったという話は未だに聞かない。

山の霊異・一

千晩ヶ岳は山中に沼がある。

この沼がある谷はものすごく生臭い匂いがする場所で、この山に入って生きて帰った者は非常に少ない。

昔、何某の隼人という猟師が居た。この猟師の子孫は今も居る。

ある日、猟師は白い鹿を見つけた。

その鹿を追ってこの谷に千晩こもったので、この谷を千晩ヶ岳という名前にした。

その鹿は猟師に撃たれて逃げた。次の山に逃げ込んだ時に片足が折れた。

そのため、その山を今では片羽山と呼ぶ。

片足が折れた鹿はまた逃げて、ついに死んだ。

それで、その土地を死助(しすけ)と呼ぶ。

死助権現と言って山で祀っているのは、この白い鹿だという。

山の霊異・二

白望山(しろみやま)に泊まると、深夜に辺りが薄明るくなることがある。

秋の頃、キノコを採りに行って山中泊する者は、よくこの現象に出会う。
また、谷の向こう側で大木を切り倒す音や、誰かの歌声なども聞こえる。

この山はあまりにも大きくて、大きさを推し量ることができない。

五月に萱(かや)を刈りに行くとき、遠くを望むと、紫色の桐の花がたくさん咲いている山がある。
それはまるで紫の雲がたなびいているように見える。

しかし、いまだその辺りに近づけた者はいない。

かつて、キノコを採りに白望山に入った者がいる。
その者は山奥で金の樋(とい)と金の柄杓を見つけた。

その二つを家に持って帰ろうとしたが、大変重かったので、鎌で一部分を切り取って持ち帰ろうとしたけども、それもできない。

後でまた来ようと思い、辺りの樹木の皮をむいて白くし、道しるべとした。

しかし次の日、他の人々と一緒に山へ入り道しるべを探したが、とうとう皮をむいた木のありかも見つからないままに終わった。

雪女

遠野地方では小正月の夜、または小正月ではなくとも冬の満月の夜は、雪女が現れ遊ぶと言われている。

雪女は子供を大勢引き連れて遊びに来るとも言われている。

里の子供たちは、冬は近くの丘に行きソリ遊びをするのだが、遊びに熱中するあまり帰りが夜になってしまうことがある。

小正月の十五日の夜に限って、「今日は雪女が出るから早く帰ってきなさい」と親に注意される背景にはこのような理由がある。

しかし、雪女を実際に見たという者は少ない。

猿の経立・二

経立(ふったち)は遠野地方に存在するとされる妖怪である。
寿命をはるかに超える年齢を重ねた動物が変化したものとされている。

猿の経立は人間によく似て色事を好み、里の女性を盗んで逃げることが多い。

また、松脂を全身の毛に塗りたくり、その上に砂を付けているため、毛皮は鎧のように固く、猟銃の弾も通らない。

神の始

遠野の町は南北を流れる川の合流地点に広がる。

以前は七七十里(しちしちじゅうり)として、七つの渓谷のそれぞれ七十里の奥地から売買する品物を集め、その市が開かれる日には商人千人、馬千頭が集まるほどの賑わいぶりだった。

大昔、女神が三人の娘を連れてこの地を訪れ、来内(らいない)村付近の伊豆権現のあるところに泊まった。

「今夜、一番良い夢を見た子に、一番良い山をあげましょう」

女神は娘たちにそう伝えた。

その夜深く、眠っている姉姫の胸の上に天から霊華が舞い降りたが、目を覚ました末の姫が、霊華を自分の胸の上に移してしまった。

こうして末の姫は、最も美しいとされる早池峰山をもらった。

そして姉達はそれぞれ六角牛山(ろっこうしさん)と石上山(いしかみやま)をもらった。

この三つの山には、今でもそれぞれ三人の姫たちが住んでおり、遠野の人々は女神の妬みを恐れ、女性を山へ入れないようにしている。

オシラサマ

土淵村には大同(だいどう)という家が二軒ある。
山口の大同家の当主は大洞万之丞(おおほらまんのじょう)という人だ。

この人の養母は『おひで』という名で、80歳を超えるが今もしっかりした人である。
遠野の話を聞かせてくれた佐々木くんの祖母の姉にあたり、呪いに長けているらしい。
例えば呪いで蛇を殺したり、木に止まった鳥を落としたりするところを佐々木くんはよく見せてもらっていたらしい。

これはおひでさんが語って聞かせてくれた話だ。

昔、あるところに貧しい百姓がいた。

百姓は早くに妻を亡くしているが美しい娘がおり、また一頭の馬を所有していた。

娘はこの馬のことを愛しており、夜は厩舎(うまや)で馬と共に眠った。
そして、ついには馬と夫婦になった。

ある夜、父親である百姓はこの事を知ってしまった。

そして百姓は娘が居ない隙に馬を連れ出し、桑の木に吊り下げて馬を殺してしまった。

夜になって、馬が居ないことに気づいた娘は百姓を問い質し、昼間起こった事を知ると桑の木に駆け寄り、死んだ馬に縋りついて泣き出してしまった。

その姿を見た百姓はまた馬が憎くなり、馬の首を斧で切り落としてしまう。

すると馬の首は娘と共に天へと昇っていってしまった。

オシラサマというのは、この時に生まれた神である。

三体の神像が馬を吊り下げた桑の木の枝から作られた。
枝の根元の方で作られたオシラサマは、山口の大同の家にある。
これは姉神とされている。

枝の中ほどで作った神像は、山崎に住む在家権十郎(ざいけごんじゅうろう)という人の家にある。

この家は佐々木くんの伯母が嫁いだ家であるが、今は家が断絶してしまったため、神像がどこにあるのかは分からない。

枝の先の方で作った妹神の像は、今は附馬牛村(つきもうしむら)にあると言われている。

カクラサマ一・二・三

栃内村(とちないむら)の琴畑集落は湿地帯にある。
家の数は大体五家ほどで、小烏瀬川(こがらせがわ)支流の上流である。

ここから栃内村の民家までは二里(約7.8キロ)離れている。

琴畑集落の入り口には塚があり、その塚の上には木製の座像がある。

座像は、ほぼ人間ほどの大きさで、以前はお堂の中にあったが、今は外に出されて雨ざらしになっている。

この座像をカクラサマという。

子供たちはカクラサマをおもちゃにして川に投げ込んだり、路上を引きずったりなどするため、今では鼻も口も欠けて擦り減ったりして見えなくなっている。

しかし、子供を叱ったり注意してそのいたずらをやめさせようとすると、逆にカクラサマの祟りを受けて病気になることがあるという。

カクラサマの木像は遠野郷に数多くある。栃内村の字西内にもある。
山口村の大洞と言う集落にもあったことを記憶している者がいる。

しかし、村人でカクラサマを信仰する者はいない。

カクラサマの神像は粗末な彫刻で、着ている衣装と頭の飾りの様子もはっきりと見分けがつかない。

栃内村にあるカクラサマは琴畑と西内の二体である。
土淵村(どぶちむら)全域では三体か四体いる。
どのカクラサマも木彫りの半身像で、鉈で粗削りした不格好なものである。それでも顔は人間の顔だとは分かる。

カクラサマというのは、以前は、神々が旅をしている途中に必ず立ち寄って休憩なさる場所のことを指したのだが、今では、その場所に常にいらっしゃる神を、カクラサマと呼ぶようになったのである。

ゴンゲサマ

ゴンゲサマと言うのは、神楽舞の各組に一つずつ備わっている木彫りの像だ。
獅子舞に使う獅子頭とよく似ているが少し異なっている。

いづれにしても大変ご利益があるものである。

かつて、新張(にいばり)地区にある八幡神社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字五日市(つちぶちむらあざいつかいち)の神楽組のゴンゲサマとが、
道の途中で喧嘩をしたことがある。

その時、新張のゴンゲサマが喧嘩に負けて片耳を失ったということで、今も片耳がない。
毎年村々を舞って回るので、この片耳のゴンゲサマを知らない者はいない。

ゴンゲサマのご利益は特に防火にある。

新張の八幡神社の神楽組が、かつて附馬牛村(つきもうしむら)に行った時のこと。

日が暮れて、宿をとれずに困っていると、ある貧しい家の者が快く泊めてくれた。
その晩、五升(9リットル)を量れる大きなマスを伏せて、その上にゴンゲサマを据え置いて人々は眠りについた。

しかし、夜中にガツガツと物を噛むような音で人々が起き上がると、家の軒の端に火がついて燃えている。

それを、マスの上に置かれていたゴンゲサマが、何度も何度も飛び上がっては、火を噛み消していたのだったという。

他にも、頭痛に悩む子供などは、よくゴンゲサマに頼んでは頭を噛んでもらい、その病気を治してもらうことがあるそうだ。

オクナイサマ・一

遠野郷の各部落には必ず一軒の旧家があり、その家ではオクナイサマという神をまつっている。
その家を屋号で「大同」という。

オクナイサマの神像は、桑の木を削ってそこに顔を描き、真ん中に穴をあけた四角い布を頭から被せて着せる。

旧暦の正月十五日には、小字中の人々が大同の家に集まってきて、オクナイサマをまつる。

また、オシラサマという神がある。

オシラサマもオクナイサマと同じように作り、やはり旧正月十五日に里の人々が集まって、この神のお祭りをする。その祭りでは白粉を神像の顔に塗ることがある。

「大同」という家には、どの家にも必ず畳一帖の部屋がある。
この部屋で寝る者は皆、必ず不思議な体験をする。

何者かが寝ている人の枕を返すなどは、よくあることであるし、寝ているところを誰かに抱き起されたり、部屋から突き出されたりもする。

だいたいの場合、この部屋で寝る者は静かに眠ることを許されないのだ。

オクナイサマ・二

オクナイサマをまつると幸運に恵まれる。

土淵村の長者の阿部氏を、村の人は「田圃の家(たんぼのうち)」と呼ぶ。

この家ではある年のこと、田植えの人手が足りず、

「明日は天気が悪くなりそうだし、今日中に田植えを終わらせたいけど人手が足りないなあ。
少し植え残さなければならないのが残念だ」

とつぶやいていると、不意にどこからともなく
背の低い小僧がやってきて、

「私もお手伝い申しましょう」

と言うので、小僧の言うままに好きに働かせておいた。

ところが昼飯時、この小僧に食事をさせようと思い探したが、小僧の姿が見当たらない。

そうしている内に小僧は再び戻ってきて、その日ずっと、田をならす作業などをしてよく働いてくれた。
おかげで田植えはその日のうちに終わった。

「おかげでとても助かりました。
 どこの人かは知らないが、晩には家に来て食事をしてください。」

阿部家の者がそう小僧を誘ったが、日が暮れるとまた小僧の姿は見えなくなってしまう。

しかし、田んぼから帰ってみると、阿部家の縁側には小さな泥の足跡がたくさんついていた。

その足跡は座敷に入り、オクナイサマの神棚のところまで続いていた。

「さては、小僧はオクナイサマだったのか」

そう思って神棚の扉を開けて見ると、オクナイサマの神像の腰から下は、田んぼの泥にまみれていらっしゃったのだ。

ザシキワラシ一・二

旧家にはザシキワラシという神が住んでいらっしゃる家が少なくない数ある。
この神の多くは十二、三くらいの子供であり、時々人前に姿を見せることがある。

土淵村の今淵勘十郎という人の家では、高等女学校にいる娘が帰省中に、家の廊下でぱったりザシキワラシと出くわして、大変驚いたことがある。

このザシキワラシは間違いなく男の子だったそうだ。

同じ村の山口にある佐々木君の家の話。

母親が一人で縫物をしていたところ、隣の部屋からガサガサと音がしたそうだ。
音がする部屋は家の主人の部屋で、主人は東京へ行っており誰も居るはずがない。

これは怪しいと思い、母親は板戸を開いて部屋を見たが、誰も居ない。

しかし、元の部屋に戻ってしばらくすると、隣の部屋から鼻をグズグズさせる音がしきりに聞こえてくる。

そこで母親は、これはザシキワラシだ、と思った。

佐々木君の家にもザシキワラシが住んでいるというのは、ずっと以前から噂されていた。

この神が住んでいらっしゃる家は、お金も出世も思い通りになるらしい。


ザシキワラシは女の子であることもある。

同じ山口にある旧家で山口孫左衛門という人の家には、女の子の神様が二人いらっしゃることは長年言い伝えられてきた。

ある年のこと。

同じ村の男が町からの帰り道に、橋のほとりで見慣れぬ二人の美しい娘に出会った。

二人の娘は浮かない顔で歩いていた。

「お嬢さんたち、どこから来たんだい?」

「私たちは山口孫左衛門のところから来ました」

不審に思った男が尋ねると、娘たちが答える。

「どこに向かっているんだい?」

「とある村の○○の家に行きます」

この○○というのはここから少し離れた村に住む人で、今でも立派に暮らしている豪農である。

娘の答えを聞いた男は、孫左衛門の家もこれで終わりだな、と思った。

それからほどなく、孫左衛門の家の主人一家と使用人、合わせて二十人がキノコの毒に中って一日で亡くなり、七歳になる女の子一人が生き残った。

この女の子も年老いて子供もなく、最近、病気で亡くなった。


というわけでいかがでしたでしょうか。
遠野物語の現代語訳でした。

もっと読みたいと思ってくれたそこのあなた!
遠野物語全文を現代語訳した本がありますよ。

ちなみに原文は結構読みにくいので初心者の方にはあまりおすすめできない。
古書を読んで慣れてきたら挑戦してみてね!

ここまで読んでいただきありがとうございました。
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それでは次回の記事でお会いしましょ~!


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