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1995年、映画に心躍った夏

1995年、わたしは小学4年生だった。
あの頃、スマホも携帯電話もなく、傍にあったものは少女漫画とその付録だけだった。
スマホが普及し便利になり、情報がいつでも手に入るようになった今と比べると、情報量や娯楽は少なかったけれど、目の前にあるもので十分に楽しめたように思う。
学生時代では、一番楽しかった小学3年~4年生のクラス。
今思い返せば、自分をすべてさらけ出せていたのは、後にも先にもあの頃だけだったなーと思う。いや、この先はすべてをさらけ出せるようになろうと決めている。
大人になればなるだけ、人に嫌われることを恐れるようになって、口先だけでごまかしたり、本当は行きたくない飲み会に行ったり、自分を置いてけぼりにしながら、過ごしてきたように感じる。
でも、会社員を辞めてからは、自分の心に正直に素直に生きることを意識するようになった。会社でもそのように生きれる人はいるのだろうが、私には出来なかった。

さて、1995年に戻ってみる。
あの夏、私を、いや大体の小学生はハマったと思うが、ある映画に虜になってしまったのだ。
それが、「学校の怪談」という映画である。

旧校舎を舞台に数人の小学生が閉じ込められ、繰り広げられる怪談映画だ。
恐いかもしれないということは置いておいて、その映画の予告編に、観に行きたいという衝動を抑えられなかった。

親に頼んで、一緒に映画館に観に行った。
映画は、旧校舎が使われていた数年前の木造校舎で、夜に警備をしている先生の場面から始まる。
木造校舎の軋む音や、固定電話の音にハラハラドキドキした。
映画が進んでいけばいくほど、のめり込み目が離せなかった。
ただの怪談話で終わるのかと思いきや、最後まで観ていくと、閉じ込められた小学生の一人が、実は亡くなっていて幽霊になって現れていたことが発覚する。
怪談話だが、涙も溢れる感動作だった。曲のチョイスも秀逸で、小学生ながらに鳥肌が立ち、感動した。
いまだに思い出しては口ずさめる大好きなサウンドトラックたちだ。

この映画がビデオでレンタル出来るようになってから、何度も借りたし、TVで公開されたときにビデオに録画して、何度も観た。
友人達を家に招いては、学校の怪談の映画を一緒に観たりして広めた。
それを30歳を超えた今でも、時々観たくなる。Amazonで100円くらいでレンタルできるため、そこで今は観ている。

なぜ、私はあの怪談映画にこんなにも惹かれたのだろうか。
自分でも言葉で表せないのだ。
美しく、物悲しさが残る怪談ストーリーは、ただただ私の心を鷲掴みにしてしまったのだろう。

今の小学生が見たら、なんて思うのだろうか。
子供と一緒に「学校の怪談」を観た方がいれば、感想を教えていただきたい。

1995年、もう25年も前なのかと衝撃を受けながら、小学生の頃に思いを寄せて初めてエッセイを書いてみた。

小学生の頃は何かとハマっては楽しんでいた。
映画や漫画、一輪車、動物病院ごっこ、女優のまね、ジャニーズ、スピッツ、SPEED、演劇などなど。
時代は大きく変わり、私も歳を重ねた。
しかし、今は20代の頃よりも小学生の頃のように若返った気がする。
それは、何かにハマることは楽しいという感情を思い出し、今はやってみたいなー、好きだなーと思うことだけを四六時中考えているからだ。
20代の頃は仕事で明け暮れていたが、会社員は向いていないときっぱり辞めた今だからこそ、それができるし、今は心がとても穏やかで豊かだ。

何があっても自分の責任であることは承知だ。
今後はもっとハマれることを思い出して、見つけて、実践して、それで生きていく。
小学生の無邪気だったころのように。



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