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【雑記】深く潜る

私は小説についてあれこれ書くのはあまり得意ではないのですが、ここのところいろんなことの区切りがついたので少しだけ。

創作に戻ってもうすぐ2年。実は去年の今頃まで、ずーっとつきまとって離れない感覚がありました。

それは『以前ほど深く潜れない』ということ。

13年ぶりに筆を執ってみると、年の功というべきでしょうか。以前よりずっと冷静に物語と向き合えるようになり、作り込むことも意識的にできるようになっていました。文章も再び書き始めた当初こそ苦労したものの、最初に長編1本書いたことでかなり感覚が戻って、不自由を感じることはなくなりました。

でも『深く潜れない』。
物語がどうしても逃げの方向にいくというか、無意識のうちに軽くなってしまう。それでも去年の文學界に応募した『億年』はまだある程度踏みとどまれたように思えたのですが、他はそもそも物語自体のレベルとして『まあ、一次でも通過すれば御の字っていう作品だなあ』と自分でも思っていました。

自分の中にはもっと掘り下げるべき場所があって、そこを地道に掘り進めていくことが『文学』であり『物語を生み出す』ということなのに、無意識のうちにブレーキをかけている感じ。
そこを書けなければ『文学』としてのスタートラインになんて全然立ってないし、小手先のお話しか書けないままだなあと軽く絶望しつつ、13年のブランクがもたらした最大の弊害——『あまりにも文学から遠ざかりすぎて、自分の奥底にたどり着けない』というもどかしさを味わい続けていました。
去年の6月に今年の文學界の作品を書き上げたときも、やはり書ききれなかったという思いが強く、納得できませんでした。

そんな折、家族が次々と病気になり、創作するような余裕が心理的にも物理的にもなくなりました。書かない日々はまるまる半年ほど続きました。
書かないからと言って、何もしなければますます『文学』からは遠ざかる。そう思い、この期間にずっと読もうと思って読めていなかった作品、特に古典作品を片っ端から読んでいこうと心に決めました。

子どものころに戻ったように、久々何も考えず物語に没頭しました。文字の上を歩いて行きたいところへ行き、世界を見つめて、自分ではない人物になるうちに、私は自分が純粋に本が好きだったことを思い出しました。

1月になり、ようやく文章を書ける余裕が戻ってきた私は再び『潜って』みることにしました。そして、今度は——少なくとも去年の夏よりは、ずっと深く『潜れる』ようになっている自分をそこに見い出しました。
もちろん、世間的評価はわかりません。でも個人の感覚としては『深く潜れるようになった』。そして『文学』という指針も答えもないものを求めていく上で、この個人の感覚というのはとても重要で、そこでの満足がなければ、どんなにひとから賞賛されようが例え賞を獲ろうが、書き続けていくことはできないのではないかと私は思うのです。

とはいえ、まだまだ私の望んだ深さには到底及びません。
しかも深く『潜って』みても、しっかり目を開いて、『底の世界』を見据えることができなければ、結局は粗い作品が生まれるだけです。

やっと少しずつ見えるようになった『底の世界』。そこにはまだ見ぬ生き物たちが生息しています。そうして、この40年近く、意識の端にすら浮かび上がってこなかった景色が昨日のことのようにありありと浮かび上がってきます。
それらを今は楽しみながら、懐かしみながら、ゆっくり綴っていきたいなと思います。

いつかきっと、私の望む深さに到達できると信じて。

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