マイ・セカンドライフ 15
15 人生譚
恥と悩み多き人生であります。漱石はロンドンから妻響子への手紙に「全ての人間は毎日恥をかき、生きて苦しむ為めの動物かも知れない」と書いています。恥と苦悩は成長への壁で、「自己本位」(自分らしさ)と創造欲求を持って根気強く乗り越えることが大切だと教示しています。漱石の「自己本位」・「個人主義」は、自分と他人の個性を尊重し、社会で生きるために倫理的修養を積むことです。恥と悩み多き人生ですが、恥と苦悩が誇りと品性を育むとのだと思います。カーライルは「恥は、全ての徳、立派な行い、及び優れた道徳の土壌である」と述べ、孟子も同様のことを述べています。現職時代は「根・恥・苦・生」と頑張る生き方をしていました。「修養」「苦闘」「挑戦」の連続でありました。生きることは苦しいが、死ぬことも苦であります。
定年とはいろいろな意味で「諦念」・「忍耐」・「覚悟」であると考えるようになりました。「諦念」には、「真理を悟り、迷いを去った境地に達すること」という意味と、「あきらめの境地に達すること」という意味があります。前者は夏目漱石の「則天去私」、後者は森鷗外作品の特色です。夏目漱石の「則天去私」は小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。 則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。 夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されています。森鷗外の諦念(レジグナチオン・諦め)とは、個人と社会の葛藤において、あくまで自己を貫くのではなく、自己の置かれた立場を見つめて受け入れることによって心の安定を得る、あきらめの哲学である。 陸軍軍医総監に着任して以降の作品から見られる森鷗外作品の特色です。森鷗外著のゲーテの評伝『ギヨオテ伝』(1913)四三に「遊歴時代の精神は労作(Arbeit)と諦念(Entsagung)とである」とあります。
「許し、耐えること。その気持ちがあなたを幸福にします」(日野原重明)過去から開放され、過去を断ち切り、現実を受け止め、許し耐えて、期待することや欲望をあきらめ、未来を思い煩うことなく、希望を持つでも絶望するでもなく、未来と死を覚悟することであると考えています。そして、「孤独」を楽しむことも大切です。クラシック音楽を聞くことや本を読むことは孤独を忘れさせてくれます。新しい知識を学ぶことで知的欲求が満たされ、知識が自分の心を満たしてくれるからです。
五木寛之が、幻冬舎から『老人こそがすべての主役・新老人の思想』という新書を出しています。それによると、
「日本は今、とんでもない超・老人大国に突入しようとしている。かつての老人像と全く違う「新老人」の思想が必要。それは未来に不安と絶望を抱きながらも、体力・気力・能力は衰えず、アナーキーな思想をもった新老人階級の出現である」
そして「新老人の五つのタイプ」とは:1.肩書き志向、2.モノ志向、3.若年志向、4.先端技術志向、5.放浪志向としています。筆者は、先端技術志向、若年志向といえるだろうかなと考えています。また、最近『下山の思想』(幻冬舎新書)をだしました。実り多き明日への「下山」だそうだが、実際の登山では下山が足腰につらく、危険が多いのです。老人の命取りとなる転倒骨折をしないよう、慎重に行動したいと思います。(つづく)
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