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遥と静かなテーブル⑨

第9話:賭けに出る夜

夜のバーに足を踏み入れた瞬間、いつもと違う空気が流れているのを感じた。テーブルにはいつものプレイヤーたちが集まっているが、彼らの表情はどこか緊張している。今日のゲームは、いつもと違う。遥はその直感に従い、静かにテーブルに腰を下ろした。

今日は、特別な夜だな。

男が声をかけてきた。彼の目には、いつも以上の真剣さが宿っていた。遥はカードを手に取りながら、無言で頷いた。ここに来てから何度もポーカーをしてきたが、今日は何かが違う。勝負がいつも以上に重く感じられた。

ゲームが進むにつれて、遥の手元に強いカードが次々と配られた。彼女はいつものように無表情のまま、冷静にチップを積み上げていく。周囲のプレイヤーたちもまた、慎重に自分の手を進めていたが、遥の集中力はその中でも際立っていた。

レイズ。

遥は冷静にチップをテーブルに押し出し、プレッシャーをかけた。テーブルの上には、今までで最も大きな賭けが積み上げられていた。勝負が一瞬で決まるような瞬間が、目の前に迫っていた。

対面の男がじっと遥を見つめる。彼の目には迷いがあったが、それでも彼はコールを選んだ。その瞬間、テーブル全体に緊張が走る。

リバーが開かれた。遥の手には、フルハウスが揃っていた。男の顔が一瞬歪むのが見えたが、すぐに彼は静かにチップを遥に差し出した。

「やったな。」

男が静かに声をかけてきたが、その言葉に勝利の実感はなかった。遥はただ無言でチップを手元に集め、勝利の瞬間を淡々と受け入れた。これまでなら、勝つことで何かを得られたような気がしたが、今日は違った。勝利の裏側に、深い虚無感が広がっていた。

ポーカーの勝利が、遥にとって何を意味するのか。いくら勝っても、日常の空虚感を埋めることはできない。それどころか、勝てば勝つほど、何か大事なものを失っているような気がしてならなかった。

その夜、バーを出た後、遥は家に帰る気になれなかった。勝利の余韻が残る中、足は自然と遠くへ向かっていた。街の灯りがぼんやりと遠くに見える。遥は冷たい風にさらされながら、歩き続けた。自分が何を求めているのかが、次第に分からなくなっていた。

ポーカーは、遥にとって何かを埋めるための手段だった。だが、その埋めようとしているものが何なのか、彼女自身はまだ答えを見つけられていない。ただ、ポーカーがすべてを解決してくれるわけではないことは、はっきりと感じていた。

歩き続ける中、遥の心に一つの考えが浮かんできた。ポーカーを続けるべきなのか、それとも、ここで一度立ち止まるべきなのか。勝ち続けることで、自分がどこへ向かっているのかが見えなくなってきた。今、この瞬間が、彼女にとって重要な分岐点であることは明白だった。

その考えが遥を大きく揺さぶった。ポーカーをやめることで、何かを取り戻せるのだろうか。仕事に戻り、普通の日常を再び送ることができるのか。しかし、ポーカーをやめたところで、自分が求めているものが手に入るかは分からない。

夜が更け、遥はふと立ち止まった。目の前には、あのバーの入口が再び現れていた。戻るか、それとも、ここで違う道を選ぶか。彼女は目を閉じ、静かに深呼吸をした。ポーカーが彼女にとって何を意味するのか。それを確かめるために、最後の一手を決める必要があった。

どうする…?

自問自答しながら、遥は決断を迫られていた。今、この瞬間に、彼女の未来がかかっている。バーに入ることで、何かを得るのか、それとも失うのか。賭けに出る夜が、彼女の前に迫っていた。


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