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食べたくなる手

私の手は小さくてぷっくりとしている。

…と言えば聞こえはいいが、より正確にそれを記述しようとするならば、「指の長さが一般的な人より太くて短く、手のひらには厚みがある」といった感じになるだろうか。自分で言うのはなにやら悲しいが、それが事実なのだ。

だから手は小さいころから私のコンプレックスであり、私は自分の親愛なる手に対して必要以上に強いマッサージを施したり、なんとか細い形に矯正しようとセロテープでぐるぐる巻きにしたりもした。

しかし、そんな必死の努力もむなしく、私の手は依然として「小さくてぷっくりと」したままである。

そんな私にも大学に入って初めての彼氏ができた。優しさが取り柄のような人で、「君のことを好きになって、初めて人を好きになるってこんなに幸せなことなんだって分かったよ」なんていう、チャラい人が言ったらチャラくしか聞こえない言葉を真面目な顔をして言えるような人だった。

そんな彼に誘われて11月のある日紅葉で有名な庭園を訪れた。私としては「葉の色が変わる」というただそれだけの現象にたいして興味はなかったが、その庭園が私の家から歩いて5分のところにあるという事実は出不精の私にとってなんとも魅力的だった。彼は自然が好きだったから、「紅葉がライトアップされる、それが感動的な美しさなんだよ」と行く前からとても楽しそうだった。

庭園に入って紅葉を見ながら、私の頭の中は入り口近くで見かけた牛串の出店のことでいっぱいだった。11月といえば少しずつ寒くなってくる時期で、あたたかいものをお腹にいれたくもなるし、なにしろ私は花より団子ならぬ、紅葉より牛串派なのである。

そうして牛串への思いでいっぱいになった私の横を、恋人は落ちた紅葉を踏みしめながら満足そうに歩いていた。

そして、私にこう声をかけたのだ。

「僕ってなんで君のこと好きなのかなって思ったけど、よく考えてみるとその手が好きなのかもしれない。ほら、紅葉によく似ているし」

いきなりの言葉に多少面喰いながらも、そういわれて自分の手を見てみると、たしかによく似ている。

私は、長年の自分の手へのコンプレックスが、彼の一言によってあたたかく溶けだしていくのを感じた

…と感動的な結末になればよかったのだが、奇しくもその時の私の思考回路は「空腹」という人間の三大欲求のひとつに強烈に支配されていた。彼の言葉を耳にして、ふと自分の手に目を落とすと、確かに似ているのだ。





もみじ饅頭に。


その瞬間、私の頭の中は牛串というあつあつでジューシーな味覚への渇望から、もみじ饅頭の甘くてしっとりとした味覚で埋め尽くされた。

「ああ、そういえば入り口のところで牛串の隣で酒まんじゅうも売っていたな…」

私はライトアップされた紅葉の写真を一生懸命にとる彼を置いて、もみじ饅頭が手に入らないならばせめて酒まんじゅうを…と、入り口のほうへと足を速めた。

彼は少し驚いたようだったが、もう一度紅葉をみたいのだろうと好意的な解釈をしてくれたのか、何も言わずにまだ満足気に紅葉を見ていた。私は無事酒まんじゅうを手に入れ、もみじ饅頭のような手でそれをほおばった。

帰り際、私は彼に「楽しかったね」と伝えた。彼は、「よかったよ。きみ、最初紅葉とか興味なさそうだったから心配してたんだよ。楽しんでくれたようでよかった。」と笑顔で言った。

そして、彼は私の小さくてぷっくりとしたまんじゅうのような手を満足気にとった。

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