見出し画像

なにものにもなりたくなかった自分を思い出す

「将来なりたいもの」
幼稚園の時に書いたことを
結構覚えている。


アルバムに載せるんだか
なにかの行事に寄せてなのかは
全く覚えていないけれど

将来なりたいものを
それぞれ書く時間があった。

その日までそんなことを
考えたことがなかった私。


「はて。何を書いたものか」
となって、周りの子が書くのを
のぞいた。


「お花屋さん」
「ケーキ屋さん」


なるほど。
〜屋さんを書くんだな。
と学んだ私。


しかし他の子が書いたものを
真似して書くのは嫌だったんでしょうか。
何を考えていたのかそこはあまり覚えていません。

思いついた!
と書いた、なりたいもの。


「八百屋さん」


なんつうか…


なりたいもの、の意味わかってたんかなぁ。


あとで親に
「八百屋さんなりたいの?」
と聞かれて
「え?」
って答えていました。
(しっかり八百屋さんの絵描いてたはず)


なにになりたい?の質問に
〜になりたい。

という返答を
無難にこなすことは
誰かを喜ばせたり
普通っぽくいるために必要
となんとなく学びました。


それ以降は
「看護師になりたい」
と親の職業を言うようになりました。
安全牌を見つけた気持ちで。


ダンスを踊りたい
イルカと泳ぎたい


そういう
〇〇っていう名前のないことも
やりたかったんだけど
なんか歓迎されなかったんですよね。


「なんで?」
「やりたいのに」
と交渉することに疲れて

そんなことをやりたいと
思っていたことも忘れて
暮らしてたんですけど。


気づくと
何者かにならないといけない。
結果成果を出さなければならない。


そういう感覚に
ずっぽりと浸かった人間になってました。


これからの私は
なんの使命もなく
何をすべきとかすべきでないとか
そういうことなんも抜きにした
私というものを
生きていく必要がありそうです。


八百屋さんと書いた当時
きっと5歳くらい。


ということは30数年来
決別していた自分を
発掘しなくてはならない。


この発掘作業は
なかなか大変そうだなって思います。


ちびちび頑張ります。


この記事が参加している募集

#今こんな気分

75,792件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?