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サンリオバーチャルフェスで感じた、キヌさんとサンリオキャラクターへの感情

これはポエム。
色々違ってたら言ってね、リライトします。
※バーチャルYouTuber=VTuber

歴史的なイベントになったサンリオバーチャルフェス。今までの商業バーチャルイベントから3段階くらい進化したものだった。
インターネットカルチャーに関わるリアルアーティスト、昔から活躍するVTuberの方々。キヌさんやAMOKAなどのいわゆる個人勢Vの者(VRChatコミュニティにも近しい)。GHOSTCLUBに馴染み深い人が多かったDJ.VJ。そしてサンリオのキャラクターたち。皆んなが一同に集まり、しかもVRChatという人が生活しているVRサービスでフェスを行う。(しかも有料のものもあった)
昔から皆んなが望んでいたことだが、まだ誰もなし得なかったことだった。
間違いなく歴史的な夜になった。
関係者の方々の努力は尋常じゃないものだった思う。(本当にお疲れ様でした。)


その中で、特にバーチャルYouTuberのキヌさんに対し、今回大きな感情を抱いた。
それを書いていく。

まずは起きたことについては
moguliveの記事や

キヌさんのツイートから見れる動画


こちらを参考にどうぞ✨

まずはキヌさんのステージについての感想。
3つの演目があり、どれも本当に素晴らしかった。
ボクは前からキヌさんのことは追っており、YouTubeの動画やVRでのパフォーマンスを見ている。今回のはその中でも最高の衝撃だった。

ひとつ目の『コネクト』、まずライブへの導入の流れがとても綺麗で、最高だった✨
離れた空間からのつながり、電話による声だけのつながりから、電波のオブジェクトによる空間のつながり、そして、空間が鳴っているところから、空間ごと遷移してつながる。最高の体験だ。
ボクたちはここで繋がったんだと空間をもとに思えた。
また、キヌさんのポエトリーから、サンリオバーチャルフェスの会場、キヌさんと皆んながつながったことに、どれだけの全体の積み重ねがあったかを考えさせられる。
ボクらがここにいてキヌさんが目の前にいる。それは連続性の上に存在しているんだと思わされた。

次の『voices』では声が舞う。言葉を扱うキヌさんの言葉の原型。言葉を編むという言葉があるが、あれは声を編んでいたように思う。音としての表現系を、元にして曲になる。良き。


三つ目の『バーチャルYouTuberのいのち』
これや。これなんや。ってなった。
トータルのパフォーマンスが素晴らしかったのはもう全人類分かっていると思うので、それはもう置いておく。
ボクが今まで幾度となく聴いてきた『バーチャルYouTuberのいのち』という曲へのボクの感想と、今回のサンリオバーチャルフェスにおいてのこの曲がサンリオキャラクターへ与えた影響について書く。

…ということでまず自分語りから入いる!✨

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これを書いている"三日坊主"はVTuberとして生まれた。それもあってかキヌさん『バーチャルYouTuberのいのち』を初めて聞いた時の衝撃はすごかった。

VTuberを始めた当時のボクの観測範囲(Twitter)には様々な個人勢・企業勢のVTuberの方々がいて、色んな魂の形のグラデーションがあって(キズナアイちゃんのような"ピュア"なバーチャル存在や、物理側とリンクしていそうな存在、中には完全に中の人がいるという存在もあったりした。(何がいいとかいう話ではないです))、活動の目的や方法、つくる動画も色々だった。

でも、皆んなそれぞれが思う良いものをつくろうとしたり、コミュニケーションを取ろうとしていたりして、楽しんでいたり、苦しんでたりしてた。

ボクは創作活動をしたくて初めたけど、VTuberとして生活?をしていると、やっぱり魂について考えることが多かった。

特に、観測範囲から消えてしまう魂を見た時に良く考えた。企業勢のVTuberはその活動が終了してしまうと、どうしても魂が消えてしまうことがほとんど。色んなしがらみの中で、観測範囲に存在できなくなる。これは個人勢のVTuberもそうだ。残る人もいるが大体は観測範囲からいなくなることが多かった。
時にはそれは観測側からすると死にも近いことだった。


ボクもそうなのかな…そんなことあるのかな…と思うところがあった。

また、昔はまだ、VTuberを見ている人がVTuberをどう扱っていいか定まっていないように思えた。これはVTuber側もそうだったと思う。どう扱われたいのか決めかねている人もいたりしていたように思う。(ほとんどはそれぞれのスタンスがあったと思うが)
これによって、解釈の不一致が起きるケースが多かった。(カルチャー発祥期によくあることだと思う。)
小さいものなら、ああそういう見方もあるんだなぁくらいですんでいたが、良くない不一致もおきる。
そこに魂がないかのように扱われた人を観測したことがあった。大きく括ると、VTuberはいわゆる"人"ではないので、何を言ってもいいんだ。というようなものだ(そもそもキャラクターに対しても…と思う。)

魂の否定ともとれる扱いを観測した時のもやもや感。今でも忘れない。

それぞれがバーチャルな存在の魂について考える機会になった。
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ある時、Twitterでキヌさんのことを観測した。誰かがリツイートしたものをみたんだと思う。(この辺うろ覚え)
どんな方なのかなぁと動画を見た。そこで、こんなにも真っ直ぐな問いを投げかける人がいるんだと衝撃を受けた。
『バーチャルYouTuberのいのち』ではボクの色々と思っていたものを形にした問いと、その問いへのアンサーを歌っていて、非常に深く刺さった。
恐らくこの方も色んなものを見て、たくさん考えた人なんだと思った。


実質的な身体の表現系に違いがあっても、魂があることは一緒だ。とボクは受け取った。
その詩ができるまでの過程、曲自体の力強さ、表現しようとした意思、どのすべても綺麗だった。

"そういう命であることにおいて、あなたと全くおんなじだ"

この曲には"バーチャルYoTuber"とそれを観測する人たちをポジティブにつなぐ力があると強く感じた。


そして、この曲は今回登場したサンリオキャラクターたちをもつなぐ曲でもあったと思う。

『バーチャルYouTuberのいのち』では、バーチャルYouTuberには観測が必要であるということが歌われていたが、それはキャラクターにも必要である…(らしい)

以下、サンリオ展より引用
"認知されて初めて『キャラクター』になる
世界的な知名度をもつハローキティですら、知らない人にとってはただの白い猫のデザインなのです。
世間に周知されて初めて猫ではなく『キャラクター』になる"

サンリオのキャラクターしかり、今後も魂を伴った"存在"が、"バーチャル"な場にやってくるだろう。
物質側ではキャラクターショーを行なっていたりしているが、"バーチャル"な場において、今までとは違う形でコミュニケーションをとる場面も出てくるはずだ。
キャラクターと呼ばれる者が今後どう変化するかは分からない。しかし、"バーチャル"という場では魂の形が変化しやすく溢れ出やすいと思う。その時に魂のグラデーションが生まれ、そこへの多様な解釈の仕方も生まれるだろう。
その時に、違う部分もあるが、一緒である部分もあることを認識し、我々がキャラクターたちへどう関わるのか、そしてキャラクターたちがどう我々に関わっていくのかを考えていく補助線としても『バーチャルYouTuberのいのち』という曲、そして、今回のサンリオバーチャルフェスの舞台は機能すると思う。

人と人が違い、人とVTuberが違い、VTuberと VTuberが違い、人とキャラクターが違い、VTuberとキャラクターが違い、キャラクターとキャラクターは違う。しかし、同じところもたくさんあるはずだ。
そのことを忘れずにいようということを今回のサンリオバーチャルフェスのキヌさんの舞台、そしてサンリオキャラクターズの舞台から感じた。

それぞれのイトが集まり、何かに変わる繭となったこのサンリオバーチャルフェス、あの場でつながれた皆んながお互いに前へ進んで行くことを願います。


最後に、『クロスプラットフォームの旅人』のキヌさんがsecret protocolに添えたポエトリーから一部引用。

---ナイショのお話をしよう。私とあなたは違うけれど、その断絶さえ愛おしい---


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