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精神科医の囲い込みと発達障害患者の行方

大仰なタイトルですが、
頭の中のメモだと思ってみていただければと思います。

2011年お仕事の不調から心をすっかり壊してしまった私は、ある心療内科の扉を開けました。その時は抑うつ症状という診断で2週間にわたり処方はしてもらわずに通っていましたが特に体や心がもどるわけでもなく。

ある日の夕方に献血ルームで献血400mlをしてもらって。
物の見事に倒れました。その後心療内科でその事を話したあと初めてサインバルタという薬を処方されました。
私はその時対人恐怖の部分や街を行き交う人が全て私を悪く言っているという妄想にも取り憑かれていましたから、サインバルタの処方も60mgと少し多めに推移しました。

以降6年間多くなったり減ったりを繰り返しますが、去年2月頃発症した気管支喘息の薬のおかげか、死に直結する病を得たことに対する心の動きなのかわかりませんが、前向きになれる自分がいて驚きました。

その後仕事をしようという気力が湧き面接をうけましたが鬱と喘息があると正直に言ってしまい仕事を蹴られたのが10何社あります。

鬱に対する社会的認知はまだ低いようですね。

鬱のことを隠してバイトを出来たのは9月後半。
たった3日のバイト経験でした。それでも自分の仕事に対する可能性が感じられたのはよかったと思います。

その後、北海道に戻ってきた私は何件かの人材派遣業へ応募します。鬱のことは隠してバイトを始めます。

で、その折に今まで通っていた心療内科医に発達障害の診断をできる病院に転院を申し出ます。
転院したあと小学校6年間の通知表や母と一緒に書いた子供時代のどうやって育成してきたか現時点の病気のレベルや血液検査などを経て2ヶ月後にはいちばん軽い症状としてのADHDという診断結果を出されました。基本的な暫定結果だそうですが。

なぜ暫定結果というかというと、この病院はディケアで症状をみながら治療しつつ、仕事をできる人間に直していくことを目標としているかららしいです。

私は男性恐怖症もあり、男性の中でいることが本当に怖いのでデイケアに通うことは出来ないため、それなら、症状が落ち着いてからかやうようにしたらいいよとの医師の言い分でした。

完全に拒否症状が既に起きているのに、そういう言い分はおかしいと思いましたが、私は口が上手く働かない脳の構造なので、上手く言えずにそのままになってしまっています。

でも、言ってやりたいですね。
デイケアって言いながら患者を囲いこみたいだけでしょって。

やっぱりとても、この医師の治療方針と私の目指す病気との付き合い方がかなり隔たりがあるので、とりあえず、前に通っていた心療内科医に一旦戻ることにしました。

そして、精神障害者手帳を一旦もらってから、別の医師に8脱障害の診断をしてもらおうと思います。
そうじゃないと話が全く進まないことを学習しました。

時間が勿体なかったと思うけれど、きっと、この経験がないといけなかったのでしょうね。

これから発達障害を心配して受信される方は自分のライフスタイルを上手く考えてお医者さん選びをされる方がいいと思います。
どうか良いお医者様に当たりますように(-人-)•*¨*•.¸¸☆*・゚禱

各地をお散歩して歩いでいます 小説家未満 自分の文体をきちんと向き合って作っていこうと思っています。