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ヒマが生むもの

きっと100年ほど前は、いまより遥かにヒマだったに違いありません。

ヒマっていうのは、情報に触れることと、判断をすることによって消えていく。100年前には、家庭にはテレビもスマホもなかったので、情報に触れるときは自分の体験を通してのみだったでしょう。

歴史的には、古代のギリシャでの哲学やイタリアでの芸術の発達は、「あまりにヒマだったから」という説もあるとかないとか。当時は奴隷が全部労働してましたから、富裕層はとにかくヒマだったでしょう。

いま自宅でじっとしていることがヒマかといえば、ヒマかもしれません。でもそれは、古代から比較したらごく少量のヒマだと思います。それでも、ヒマに免疫のない現代人からしたら、なんか居心地がわるいような気がします。

気づいてみれば、公に「ヒマだ」というのに罪悪感があるような、なんだか不思議な感覚です。ヒマと言ってしまえば、お前はヒマなのか!みたいな誰かに指摘されるような後ろめたさ。私のようにデザイナーという性分では、こういうときの感覚を流さずに、しっかりとその輪郭を掴み、こうして言葉にして残しておいたりしています。

ヒマは、たしかに文化を生む気がします。働きづめだと、どうも文化的な活動が減る。だから、いまヒマが生まれて文化的な活動が増えるんじゃないかと思っています。そして、文化が生まれるといいことがあるのか。それは不明です。そこがいいじゃないですか。ヒマから生まれるものに、目的を持ったら、それはヒマじゃないからですね。

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