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人生双六

先日、これからの教育のあり方を考える映画 ”Most Likely to Succeed” を観た。
従来の教科型カリキュラムとテストによる評価から、グループでプロジェクトとゴールを設定し成果発表する、”Project Based Learning”と呼ばれるカリキュラムを全面的に取り入れたアメリカ公立高校のドキュメンタリー。

富国強兵のもと、組織に適合する均一な労働力を社会に供給するべく100年以上前に作り出された「学校教育システム」
ペーパーテストのスコアによって階級化された人材を排出するこのシステムは、拡大する社会経済を担うポジションの分配あるいは争奪に大きな役割を果たした。
しかしかつての単純労働が機械に取って代わられたように、やがて頭脳労働もコンピューターにとって代わられるようになる。実際現在では、ハーバードやスタンフォードといった有名大学を出てもそれに見合うだけの仕事が無い、という状況に。

僕はサラリーマンをやったことはないけど、家族や親族はほぼ全員サラリーマンで、高校や大学の友達も同様。中には大企業でそこそこ偉くなった者もいるけど、話を聞くと「組織で偉くなるかは上司次第」との事。つまり上の人に目をかけられ引っ張ってもらう。その上司もそうやって上に行った。ちょうど「課長 島耕作」や「半沢直樹」のように。
上司に仕え同僚や部下を大切にし、人の話をよく聞く。チームワークを尊重し、その中で的確な判断を下す。正義感が強くも清濁併せ呑む柔軟性も忘れない。しかもハンサム。こういうのが出世する。
しかしこの「上司に取り入られ出世の階段を登る」という終身雇用を前提としたいわゆる「日本型経営」は高度成長期を支えた一方、GAFAMのようなベンチャービジネスが生まれにくく、バブル崩壊以降続く「失われた30年」の一因と言われている。かつて有効だったものがいつのまにか宿痾となってしまった例は決して少なくない。

これら学校の教科ではなく社会に出て実際に役に立つものをこの映画では「ソフトスキル」と呼んでいたが、おそらく日本ではこれを「部活動」で身につけるようになっているようだ。実際、義務教育を含め部活動はほぼ必須のものとされ、特に伝統のある大学の体育会系部活動は就職にも有利だという。と言っても、ここで培われるのは上記の他に絶対服従の上下関係や理不尽を受け入れる耐性だったりするわけで、これらも旧来の「日本的経営」にマッチしたのだろう。
しかしこういったタイプの部活が苦手な者は結構多くて、僕もその一人。そしておそらくは僕の息子も。

犬の散歩でよく歩く隣町には「半沢直樹」が住んでいたようなメガバンクの社宅団地がたくさんあった。それがここ10年で全て解体されてしまい、いくつかは老人ホームになった。これからは銀行も人を減らしていくのだろう。
もちろん、ブルーカラー、ホワイトカラー含めてこういった仕事が無くなるわけではないが、これからはかつての「人生双六」のようには進んで行かないだろう。
息子を持つ親の身としては実に考えさせられる映画だった。

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