手放している。手放すことを要求されてる?

 さいきん夜更かしが過ぎて、5時間睡眠がデフォになりつつあったりして、仕事の忙しさとか予定詰め過ぎとか色々相俟って、とにかくリアルが薄い。全て現実味がない。ただ決められた脚本を棒読みでなぞっているだけで、そのに意思決定はない感じ。

 それにプラスして、いくつかあるルートのなかで、真ん中よりちょっと下の悲観的ルートの想定が上手にできて、毎日平和に平凡にちょっとだけ不幸を演じてる。というかそういう脚本を配られてる気がする。いや仕事もあって家もあって健康なのに、不幸って傲慢かもね。

 うん、なので現実味がないからますます離人症感が拭えない。しかもそれを意識するからますますそうなる。わたしを現実に引き戻してくれる何かを探してるんだけど、いや、自分で見つけなきゃいけない。だからできない理由じゃなくてできる理由を探すつもりではある。あれというかできないことあるっけ、人間。

 それとなんだろう。悲観的ルートを選択しつつも、他の可能性が拭いきれないから、例えばいまここで文字を打ってる自分と、実家でまだ暮らしてる自分と、いまこの瞬間寝てる自分、とそれらが無限的に発生してるというか。だから次の瞬間何かが起こったとしても、ある種それは想定内であるような。確かにその可能性も否定はできないな、と思う。

 綺麗にいうのであれば、ある種全ての瞬間に覚悟があるから、冷たく見えるかもしれない。俯瞰というか分析的側面が顔を覗かせているからこそ、そのルートを辿った君とはもう出会うことはないんだろうな、という別れ。あくまで特定の誰かを指しているわけではなく、全体的なイメージとしての表現。

 さいきんは、人も、物も、環境も、断捨離をたくさんしてる。なんかたくさんしたいのです何故か。あとはもっと気負わずに、適当に、飄々と、堂々と生きたいです!

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