あれから7年〜私がテレビマンを辞めた理由〜

7年前の今日その日は突然訪れた。

当時、2人の娘は4歳と1歳。まだまだ小さかった。主人は出張中。

夜、長女を寝かしつけて、次は次女。抱っこ紐で抱えて、ちょっと夜風に当たろうと外へ。春になって随分夜風も暖かくなったなぁ。

その時だった。

立っていられなくなるほどの大きな揺れ。

私は次女を包み込むように座り込み近くの塀にしがみついた。

熊本地震。
私が住む宮崎も大きな揺れに襲われた。

揺れがおさまった事を確認してすぐさま長女のもとへ。

「ママーーー」

長女は寝室で泣いていた。食器が落下して割れるような揺れの中で誰もいない状況だったのだから無理もない。

怖かったね。
もう大丈夫だよ。
ママがそばにいるからね。

とは言えなかった。

私の当時の職業は「テレビマン」大きな地震があった場合は全員出社が原則だ。

「いい、〇〇ちゃん、ママはお仕事に行かないといけないの。今から、ばぁばの家に行くからね。」

「やだ!行きたくない。ママがいい。ママがいてよ。ママ行かないでよ。」

号泣する長女を前に何も返す言葉がなかった。

車でばぁばの家に向かう。その間も、ずっと長女は泣いている。

「行ってくるね」

「やだ!行かないで、ママ」

この仕事は、世界一大切な娘が安心するまで抱きしめ続けることさえ出来ないのか。現実を突きつけられる。

もしもう一度大きな地震があって娘を失ってしまったとしたら、私はどれだけ後悔するんだろう。

頭の中がぐちゃぐちゃ、気持ちを切り替えられないままテレビ局へ。

「遅いんだよ!」

言われた瞬間に何かがぷつっと切れてしまった。

辞めようかな…

テレビマンは、私のアイデンティティのほとんどを占めるものだった。苦労して勝ち取って、努力して這い上がって、全てを捧げてきた。辞めるだなんて1ミリも思っていなかった。

でも、私が本当に大切にしたいものって何なのか?

「超安定・高収入」のテレビ局員という恵まれたステイタスを捨てるなんて信じられない、とたくさん言われた。これ以上ないくらい悩んだけど私は「退職」という道を選んだ。

あの時「遅いんだよ!」と言った先輩に腹が立ったりはしない。だってテレビ局の使命は
「県民の生命と安全を守るための情報提供」使命を果たしていないのだから怒られるのは当然だ。

私はここにいられなくなってしまったんだ。
そう感じただけ。

あの日から私の運命は大きく動いた。そういう日は突然来る。

桜の花が散って、春の暖かい風を感じるようになるとなんだか心がチクっとする。

「ねぇ、小さい頃、大きな地震あったの覚えてる?」

「えっ?そんなのあったっけ?」

うん、忘れたなら大丈夫。明るく育ってくれて、ママは嬉しい。小学6年生になって、思春期になった長女を、あの時出来なかった分だ抱きしめる。

「やめてよ〜」と言われてもやり続ける。

ママがそばにいるからね。

「大切なものを大切に出来る」
当たり前の様で、全然当たり前じゃない働き方への一歩となった、7年前の大事な思い出。

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