教師を目指す理由③英語が話せる英語の先生になりたい その1

こんにちは。30代3児ママで公立中高教員内定者のMikiです。

自己紹介はこちらの記事よりご確認ください。


英語が話せる英語の先生」って、ある意味当たり前じゃない?と思いますよね。
私は、今でもこれが(結果的に)当たり前ではないと思っています。

これまでの記事では、教師を目指す経緯について書いてきましたが、今回の記事では、何故「英語」なのかについて書いていきたいと思います。

(注)
①この記事はあくまでも20年近く前の私の経験をもとにした主観によるものであり、個人の感想です。特定の個人または集団を攻撃することを目的としておりません。
②私が言う「英語を話せる」は、ネイティブのような英語を話すことを意味するものではありません。英語で他者とある程度不自由なくコミュニケーションできることを意味します。


「英語の先生」なのに英語が喋れない???

私は、東北地方の田舎町で育ちました。

以前の記事で書いた通り、田舎の封建的な家庭で育った私にとって、英語は夢であり、憧れでした。

金曜ロードショーで放送される洋画が大好きで、将来ディカプリオやブラピと結婚することを夢みたり(爆)、レンタルビデオ屋で洋楽を借りてきては、テープにおこして意味も分からず英語の歌詞を口ずさんでいました。

今思えば、いわゆる「欧米かぶれ」というやつだったと思います。(未だに欧米かぶれは抜けきれていないかもしれませんが)

中学校に入って英語の授業が始まった約20年前の当時、それはそれはワクワクしていました。

ですが、担当の年配の先生の授業を受けて衝撃を受けました。

「あれ、この先生英語喋れないんじゃ・・・?」


授業冒頭の"Hello Everyone, how are you?"や"Open your textbook"等の決まり文句以外はほとんど英語を発しないし、声も小さく、発音もなんだか日本語的な気がする。

決定的だったのは、ALTの先生が来てくれた時のことでした。授業中なんだか二人が揉めていて、あまり会話になっていない気がする。。。

当時私は英語を喋れませんでしたし、本当にそうだったかはわかりません。ですが、二人がスムーズにコミュニケーションできているとは思えませんでした
今考えても、子どもは先生の挙動をよく観察しているし、こういう子どもの勘は大抵当たっていると思います。

中学の頃に感じた違和感は、高校に行ってさらに顕著になりました。


とにかく和訳・英訳&文法漬けの授業

進学校だった高校に入ると、中学校で辛うじてあった"Hello Everyone"や、形だけの"What sport do you like?"的なペアワークも一切なくなり、授業の冒頭からひたすら和訳、英訳、文法演習を繰り返すばかりの授業になりました。

繰り返しますが、約20年前の授業になりますので、今はこのような授業はほとんどなくなっているのではないかと思います(そう願います)。

生徒が英語を発するのは、指名された際に立って教科書の文を読み上げる時のみ。続けて生徒は予習でやってきた日本語訳を言います。

それに対して先生は、日本語で文法解説を加える。日本語訳が間違っていたら即訂正する。ひたすらこの繰り返しでした。

極端に言えば、当てられる時以外は言葉を発する必要がないし、自分の番が来たら寝てしまっても全く差し支えありませんでした。

こうした授業を通して、英語を毎回頭で日本語に直す癖がつき、完璧な英語・日本語訳ができなければ英語ができるとは言えないという思考に陥るようになってしまいました。

(別の記事で詳しく書くつもりですが、英語を聞いたり喋ったりする時にはいちいち日本語に直す暇はありません。また、間違える練習を繰り返さない限りは英語のみならず言語を使いこなすことはできません)


難解な文法用語の罠

高校英語で私が特に躓いたのは、難解な文法用語です。
正直、今も自信がありません。

私が自信がないのは、もちろん英語についてではありません。
対象の文法を正しく使うことはできるけれど、文法用語としての日本語が外国語並みに理解し難いということです。

例えば、自動詞、他動詞、目的語、補語、分詞、構文、辞、格、などなど。。。。

感覚的にこれらの意味がスッと入ってくる方ってどれほどいるのでしょうか?
高校の頃の先生は、特に詳しい説明もなく、いきなりこれらの文法用語満載の説明をされていました。

文法の日本語がわからなすぎて英語に自信がなくなる、と感じる人は私だけではないはずです。。。


文法はよく分からないけれど、英語自体は好きで、なんとなく教師を志すようになっていた私は、

教師になるなら、絶対に英語が話せる英語の先生になりたい

教育学部に進んだら、英語を話さない英語の先生になってしまうのではないか

と考え、大学は英語系の学部に進学しました。

その時の経緯は、こちらの記事でも軽く触れています。


こうして日本の英語教育に対して穿った見方をしたまま大学に進んだ私は、英語「を」勉強することが、英語「で」勉強することとは全く異なることに気づくのでした。。。(別記事に続きます)


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