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新生児期(0ヶ月)育児の記憶がない

娘を授かった。2023年の冬生まれ。里帰りはせず、夫は1ヶ月の育休を取った。



妊娠がわかった時、産前から日々の経過を書こうと思っていたけど叶わなかった。妊婦、何をする気も起きない。
出産時はまだコロナ対策中。立ち会いは分娩から1時間のみ、退院まで面会はなしだった。

体じゅう痛いから静かで良い、でも淋しくてLINEで家族とポツポツ連絡をとる。
しかしすぐに「3時間おきの授乳」がはじまって、その間に検査やお風呂をこなさなければならなかった。サービスがいいと評判のクリニックで、お祝膳やらアロマやらも運ばれてくる。忙しなく退院の日が近づいた。

久しぶりに夫と対面し、設置したてのチャイルドシートにほやほやの赤ちゃんを乗せ、家に戻った。
そっとベビーベッドに入れ、犬に挨拶をし、迫り来る授乳時間のために必要なあれこれを準備する。

オムツや粉ミルクなどある程度の消耗品は産院から持ち帰れるようになっていて、事前に買い物もしていたが、実際にやってみると足りないものが多いことに気がつく。
慌てて「あれもこれもほしい!」と夫に近所のアカチャンホンポへ向かってもらった。

そこから1ヶ月の記憶がほとんどない。

あれやこれやと試行錯誤したはずだ。

オムツ替えだってはじめてはよくわからなくて、お尻はふくのか、留め方はこれでいいのか…ところで燃えるゴミでいいんだよね?
お腹もいっぱい、オムツもさっぱり、顔色もいい、それでも泣き続けて寝ない。困り果てて交代制で布団にダイブした数週間。

人に聞き本をめくりネットを調べSNSを漁り手探りでなんとかやってみて、それでもダメでオロオロしつつ、やっと落ち着けばホッと一息。

健診や赤ちゃん訪問で言われる「元気ですね」「異常なしですよ」に胸を撫で下ろしながらも、本当に欲しいのは「大丈夫」という言葉ではなくて、どうやったらこの子の「今」を快適にしてあげられるのかという問いへの答えだった。そしてそれは刻々と変化していく。

夫は共にいて、共に惑ってくれた。それが嬉しかったけれど、互いに分からないことが多すぎたし、対処するための時間は短く、適切な情報を得る術もほとんど持ち合わせていなかった。


無限に思える時間。
暗闇の中、小さな蝋燭の火を消さないように全力疾走してるみたいだった。
落ち着いた声でその先にあるぬかるみを知らせ、足元を照らしてくれる伴走者が欲しかった。

覚えていることもちゃんとあるのだ。

かわいいねと言った小さな手足、ほとんど見えないのに懸命に乳首を探す仕草、沐浴、保湿、着替え、付随してかろうじて回る親の生活…

アーと声を出したとか、指を握ってくれたとか、光みたいな瞬間。

それは記憶というよりはむしろ感覚だった。具体性のほとんどない、曖昧で抽象的な日々の実感。それでもちゃんと私の中に根を下ろして残っている。

それから半年ほど経ち、やっと生活リズムができてきた。
今ではもう、わかりやすく「こんなことができるようになったよ」「これが便利だった!」と語れるものごとがある。しっかりとした重みのある、生活というテクスチャーの上に育児が乗っかっている。

夫と振り返るたびに笑ってしまう。あの1ヶ月はなんだったんだろうねえ、全然覚えてないねえ、と。

あの1ヶ月間、新生児期。茫洋としていた。
懸命だったけれど、大変さしかなかったわけではない。
幸せなことかもしれないし、辛かったのかもしれない。過ぎ去ったと思っているだけでまだ渦中なのかもしれない。それでも。

聞かれたらこう答える。

「新生児期の記憶?
 全然ないよ、あっという間だった」

そう言って、笑うしかない。

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