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Re-posting No.076 マジックへの情熱 / 高木重朗さんの思い出

Re-posting No.076 マジックへの情熱 / 高木重朗さんの思い出

Re-posting No.066の続きです)

「奇術研究」「奇術界報」に掲載されているマジックのかなりの部分に、高木重朗解説と記されていた。マジック解説の写真にうつる、メガネをかけて黒のスーツ姿にネクタイ、トッポリと肉付きがよく、背丈もかなりありそうな男性が、しっかりと正面を向き、ありとあらゆるマジックの解説を受け持っている。マジシャンと言うより、どこか先生然としているこの方が、高木重朗さんなのだろう。

「奇術界報」だったか、高木重朗さんの経歴を紹介していた。慶應義塾大学の経済学部と法学部、二つの学部を卒業していた。同じ大学の学部を二つ卒業の事実に、奇怪な尊敬の念が沸いたものだった。国会図書館主査が職業の肩書きだった。当時は普通のことだったのだが、お住まいの住所も載っていた。

当時のマジシャンたちは奇術研究を「研究」、奇術界報を「界報」と呼んでいた。両紙において、高木さんが取り上げるマジックが重複することがないのは、驚異と言って良かった。「研究」の方のマジック解説は写真を使うことがほとんどだった。一方「界報」の方は、おそろしく上手いイラスト付きでのマジック解説だった。

当時の「界報」の表紙の絵とイラストを手掛けていたのが、トンさんこと、小野坂東さんだ。マジックの世界に魅せられ、都庁を早期退職して「マジックランド」を設立する。今や、世界で最も優れているマジックイラストレイターの一人にして、そのお人柄から世界で最も愛されているマジシャンだ。「トン爺」のことは、別の機会に触れる。

ステージマジックの解説も多かったが、僕はカードなどのクロースアップマジックの虜になっていく。イラストがあるとは言え、動画があるわけではない。必死に文字を追い、マジカルな現象を作り出すのに夢中になっていた。マジックマニアにはお馴染みのギルブレイスプリンシプル(専門的すぎますね)などは、自分でやっていて、なぜこんな事になるのか不思議で唸ったものだ。

専門書と言っていい「研究」と「界報」から多くのクロースアップマジックといくつかのステージマジックを学んだ。高木重朗さんは、僕の先生と言って良かった。

そして、高木さんは、書籍の上のマジックの先生だけではなく、東京にあるマジシャンクラブのいくつかで直接マジックを教える先生であった。「研究」や「界報」に載った記事などから判断すると、ボランティアに近い形で教えられている様子だった。福島県いわき市の片隅で、一人でマジックをしている身には、東京は羨ましいマジック環境に写った。

国会図書館にお勤めの方が、如何にして膨大なマジックの情報を、古典マジックに加え新作マジックも、仕入れるのであろうか?こちらの方がマジックよりもっと不思議だった。

そんな取り止めもないことを思う高校生が、書店で高木重朗著「トランプ奇術」ひばり書房刊550円を目にした。表紙に「初心者からハイテクニシャンまで」「世界から選び抜かれたカード・マジックの決定集」の文字がある。驚いて、本の内容を確認する。そこに掲載されていたマジックの大部分は「界報」に解説されたもので、イラストもほぼ同じ、小野坂東さんのものだった。

マジックの種明かしの問題はなかなかに微妙なものがあり、古今東西論争が絶えない。現在もyoutubeなどでの種明かしの賛否が論じられている。現在のyoutubeでの種明かしは、感心しないものがほとんどというのが、僕の立場である。

話を戻す。「トランプ奇術」を手にしたときの、僕の正直な気持ちは「こりゃ、ないな」であった。少数の情報ゆえ、高いお金を払って手に入れた傑作マジックや技法の数々が、220ページに渡り550円で手に入るようになったのである。

若さゆえの正義感らしきものが湧き上がり、手紙を書いた。「『奇術界報』に掲載された珠玉の名品がこのような形で安っぽく扱われていいものなのか・・・」。この本のカバーにも高木重朗さんのお住まいの住所が記載されていた。迷った末に、発行元のひばり書房宛に抗議の手紙を送った。

一週間後にひばり書房より返信が来た。「著者の高木に伝えました。…」と言う簡単なものだった。言うだけは言った、との思いだけ残った。

その後、地元福島の高校を卒業後、浪人のために上京。高校生のときに憧れたマジッククラブ「マジックマニアーズサークル」の定例会を見学に行く。そこで初めて高木重朗さんご本人のマジックの演技を見る。思った通り鮮やかであった。トーンの高いお声で、マジックを趣味とする同志に丁寧に説明していく。

ちょっと湧き起こる思いがあった。長くお会いしたい人だった。今と違い、まだシャイなところがあり、声もかけられなかった。仕事の関係でそのサークルへの入会も叶わなかったが、他のマジックの集いなどで、高木重朗さんの姿をたびたびお見かけはした。

翌年だったか、マジックの古典の一つ「ブックテスト」のバリエーションを考え出し、マジック関係のある人に披露した。この方はこれを売り出すことを提案してきた。この程度のタネ、アイデアであれば既に誰か考えていて売り出されているのではないかと思った。タネが重なれば、盗作である。そこで、マジック博士と言っても良い高木重朗さんに相談したい旨、売り出しを考えていた方に伝えた。

住所同様、高木さんの電話番号も、あのひばり書房刊「トランプ奇術」に載っていたので、ご自宅に電話を入れさせていただいた。トーン高めのお声、ご本人が出られた。考案したマジックについての要件を伝えた。後日、高木さんの職場の国会図書館にお伺いすることになった。

約束をした場所、国会図書館の高木重朗さんの机に向かった。高木さんと目が合うと「ああ、あなたでしたか」と品の良さが滲み出た、僕に対してだけの返答が嬉しかった。覚えてもらっていたようだ。おそらく、マジックの集いでよく目にする熱心なマジックマニアの一人と思っていただけたと思うが、以前に抗議の手紙を出した高校生の名前と一致していただいていたとしたら本望ではあったが、確認する勇気もなかったし、ここに来たのは「ブックテスト」の件だった。

もう一つ、長年の謎が解けた、と思った。机の上とブックエンドには所狭しとマジックの洋書があった。おそらく国会図書館主査のお仕事とは、どんな本を読んでいようが許されるお立場だったと「推測できた」。

国会図書館内の喫茶店に行き「ブックテスト」について伺うと、昔あったような気がしますとの曖昧な答えだったが、その話はどうでも良かった。売り出して小銭を稼ぐ気もなかった。自分の中だけでの秘密にしておきたかった。数十年後にこの「ブックテスト」で、いくつかの愉快な思い出を作ることになる。

帰りに、因縁の「トランプ奇術」にサインをして頂いた。ひょっとすると、高木重朗さん、熱い思いを伝えてきた高校生のことを思い出した、かな?思い出しても「ああ、あなたでしたか」の言葉を飲み込んだ、かな?何も思い出さず、サインをしたの、かな?

マジック界の巨人と、唯一対話を持てたあの時、尋ねたらどんな答えが返ってきたのだろうか?マジックの話ではない。心の話だ。謎のままで、良かったと、今は思う。

僕が37歳、遅い大学入学を目指し、マジックから少し遠のいていた時期の1991年1月7日、高木重朗さんは、61歳の若さでお亡くなりになった。高木さんの残したマジック界における業績は、追随を許さぬほどの偉大なものである。

僕にとって高木重朗さんは、書籍の上での、マジックの恩人にして、最高の先生であった。たった一度の対話であったが、その温厚で上品なお人柄から、マジック以外の「何か」を僕に教えてくれた。



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