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No.019 コックリさん

No.019 コックリさん

小学3年生の頃に、母ユウ子から聞いた話だ。「あれは不思議だったね」とサラリと言う。ここに記して、皆さんと一緒に不思議体験を分かち合いたい。実話です。

時は戦後(第二次世界大戦後)1945年9月、場所は福島県いわき市小名浜。曽祖母90歳台、祖母60歳台、妻ユウ子28歳、この時点では兄も授かっていない。女性三人だけで実家の広い家に暮らしていた。自分も高校生まで住んだこの家は、道路拡張により今はない。母屋から少し離れたところに、3メートルほどくらいか、両開きの門があった。門の隣に、人一人がくぐれるくらいの大きさのくぐり戸もあった。夫武は中国の戦地に召集された。戦争も終わったが、安否が分からなかった。

曽祖母が何処かから、コックリさんの話を聞いてきた。コックリさん、狐さん「コ」と、狗(犬)さん「ク」と、狸さん「リ」さんの霊。コックリさんの力を借りて、父武の安否をお尋ねしてみよう。大きめの紙に、あいうえお50音、がぎぐげご・ちゃちゅちょなど、1・2・3…の数字と神社の印も書いた。お箸三本、上部を紐で縛り、三脚のようにする。庭にあった小さな祠(ほこら)にお祈りし、茶の間に戻る。コックリさんの霊が入りやすいように窓を少し開ける。風は入ってきた。

祖母と母ユウ子が向かい合って座り、お箸の三脚上部を、二人の両手で包むように握る。曽祖母は隣でまんじりもせず見つめる。コックリさん、コックリさん、どうぞいらしてください。祖母と母の手が動き始める。母ユウ子が「おばあさん、手を動かさないで」と言う。祖母が返す「ユウ子でしょう、動かしているのは」ああ、コックリさん、いらしてくれたんだ。

コックリさんはお狐さんですか、お狗(いぬ)さんですか、お狸さんですか、聞くとお箸の三脚が動き、三本のうちの二本が浮き上がり、残りの一本が紙上の「わ」を指す。続けて別の一本が「た」を指す。お言葉を紡(つむ)いでゆく。「わたしはたぬきで」最後に「ちゅ」を指した。おいくつですか。再び、お箸の三脚が動く。「みっつで」「ちゅ」。まだ幼いおたぬきさんは、語尾の「す」が言えないらしい。小学3年のしんやくんは、ドキドキしながらも、母ユウ子の話に笑ってしまった。

次に、以前親戚に起こった話などを聞くと、全て答えが合っている。ただ、南方太平洋上の島パラオで戦死した親戚の一人の事を尋ねると「ウクライナ」と答える。「ウクライナ」って何?再び、同じ質問をすると、同じく「ウクライナ」と答えた。この時、母ユウ子含め三人とも、ウクライナが地名であることも知らなかった。ウクライナは旧ソビエト連邦の一つだ。この親戚が、南の島から何らかの形で、極寒の地に連れて行かれ亡くなったのかどうかを知る術(すべ)は、無い。

一番大事な事を聞く時がきた。武は生きていますか。はい、いきてまちゅ。安堵の息が自然と出る。いつ帰って来ますか。「じゅういちがちゅじゅういちにちゅでちゅ」20分に満たない、されど長い時が刻まれていた。

戦後の目まぐるしい生活の中で「じゅういちがちゅじゅういちにちゅ」が、近づいてくる。11月12日、この日、母ユウ子は用事があり、混雑の常磐線上り電車に乗り、東京を経て静岡へと向かう。一方、福島は夜の9時頃であったか、コックリさんの言うことは外れたねえ〜、曽祖母と祖母は床につく。

真夜中に門を叩く音がする、ドンドンドンドン。曽祖母が目を覚ます。ドンドンドンドン、音が大きくなったような気がする。明かりを点け、時計を見る。まもなく「じゅういちがちゅじゅういちにちゅ」が終わる時間だ。曽祖母が門へと向かう。はいはい、どちら様でしょう。くぐり戸の向こうから返ってくるか細い声、武です。あらー!武さん!曽祖母がくぐり戸を開けると、、、。

そこには、痩せ細った武ではない男の人が立っている・・・と、曽祖母は思った。武です、再び答える一つの姿は、痩せ細って面影が変わった武だった。戦争の小さい、されど大きな傷痕の一つ。

戦後すぐのことだ、ユウ子がいるであろう静岡に連絡できる方法はなかった。渋谷に住む武の姉のテツ叔母さんには連絡がつく。電話を入れると、混乱で静岡に行けなかったユウ子が来ていると言うではないか!

あれは不思議だったね。母ユウ子が続ける。やっぱり必死だったんだろうね。幽霊とかお化けとか、昔から信じていなかったけれど、これから起こることが当たったんだからねえ〜。お茶をすすりながら、母ユウ子は言った。「ああ〜、戦争はいやだ、いやだ」。母ユウ子の入れるお茶は美味い。いつも、ちゃんと湯冷ましをして、小さかった信也にも、注いでくれた。


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