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No.009 1978年、1992年  Bob Dylan /永澤くん/ Carlos Kleiber


みんなにもあるのだろうか、すぐに言える西暦年号は。「いい国つくろう鎌倉幕府」歴史の年号暗記の話ではない。自分の人生の中で覚えている西暦年号だ。
1978年と1992年の二つが自分の中のそれだ。

1954年は自分の生まれた年だから、日付の5月15日とともに、当然覚えている。何曜日に生まれたかは知らない。由理くんと結婚したのは、11月10日。連れ合いの由理くんに先立たれたのは、12月15日。日付ならすぐに言えるし、他にも家族や友人の誕生日も日付なら言えるが、西暦を尋ねられたら計算するか、今ならネット検索する。

1978年、Bob Dylanの初来日公演があった。チケットぴあもない時代だ。都内数カ所の売り場に並んでのチケット購入、しかもひとり2枚までの制限があった。チケット販売前日夜から、友人4、5人と銀座ソニービル前に並んだ。公演前年12月中旬、毛布数枚と電気は取れないがコタツ机も持って行き、銀座の路上で徹夜麻雀、卓を囲みながら、寒〜、ロ〜ンと朝を待つ。途中お巡りさんが来て、静かにやれよとその顔に浮かんだのは、列の他の徹夜組と同じ苦笑の部類の表情だった。我々の列の後ろに並んでいたひとりが、永澤くんだった。Dylanに感謝か?声をかけた中学生以来の友人浩に感謝か?3歳年下の友人との出会いは、1977年の冬になるのか。

Dylanの公演で知り合った何人かとは、連絡を取り合ったりした。中に、レコーダーを持ち込みテープ録音した猛者もいて、コピーしたものが手元にある。私家版海賊版ですね。永澤くんとは、その後、Dylanが製作監督をした失敗作「レナルド&クララ」ーー日本ではたった一日だけの公開だったーーの会場で会ったり、赤坂のふぐ料亭「い津み」に、彼の奥さんと共に訪れたりして、親しくなっていった。

永澤くんはクラシック音楽にも造詣が深い。我孫子市の自宅の一室は防音設備が施され、アンプ他オーディオは、1000万円を超えるシロモノである。一緒に行ったクラシックコンサート終了後の一言「今日は第二バイオリンの連中、イマイチでしたね」には唖然とした。「小野さん(彼はこう呼んでいる)が聞いているDylanやクラシックと、自分の聞いているのは全然違うモノですよ」まあ、言わせておきましょう。こういう事実を人に話すと、永澤くんはさぞやお金持ちと思われるかもしれませんね。彼は某美術大学の事務局に勤務、自宅から大学まで片道2時間かけているおツトめの人です。決して、大金持ちではありません。言わせてもらいました。お互い尊敬して、茶化しあえる仲となっています。

「小野さん、カルロス・クライバーのコンサートのチケットが取れます。一緒に行きませんか?」永澤くんからお誘いがきた。彼ほどクラシックに詳しくもないし、聴き込んではいないが、クライバーの名前を聞いて即答した。もちろん、と。

小学校の音楽の時間で聞かされた「ハチャトゥリアン・剣の舞」に吃驚(びっくり)した。クラシックって、こんなのあるんだ。クラシックという分野の音楽が、心に引っ掛かった。当時、心に刺さったのは、夢中になって見ていたイタリヤ版西部劇サウンドトラック「決定版!マカロニ・ウェスタン」だったが。

クラシックと言えばこれだろう、ベートーヴェンの交響曲第五番「運命」カラヤン指揮のレコードを買ったのは、高校生の時だ。教養なるものを身につけるのだと思う年頃の行動の一つだったか。なるほど、楽聖ベートーヴェンの作品とはこういうものか、皇帝カラヤンの指揮とは世間が言うように凄いのであろう。人には言わず、心の片隅にしまっておいた。この時のお気に入りは「サイモン&ガーファンクル・ベスト」だった。

指揮者によって全然違う音楽になるよ。半信半疑で聞いていた、そんなものかな。クラシック音楽の分野では、室内楽は好きになっていた。新宿紀伊国屋書店の棚にあった「レコード芸術別冊・名曲名盤500ベスト・レコードはこれだ!!」が目に入った。クラシック音楽の道しるべのの一つになる本との出会いは、大学浪人中19歳の時だ。評論家13人が、LPレコードを演奏家、指揮者別に点数化している。ベートーヴェン交響曲第五番「運命」の箇所を見る。カルロス・クライバーを初めて知る。一位21点。二位フルトヴェングラー9点。カラヤンは1点であった。帰りの紙袋の中に、一冊の本と一枚のレコードが入っていた。

家で、プレーヤーの針を落とした。なんじゃこれはー!ぶったまげた!音が突っ走っている!聞き終えてすぐに、カラヤン指揮の「運命」を、数年振りに聞いてみる。美しい「運命」であった。クライバーの疾走感がずっと好みだ。後にフルトヴェングラー指揮の「運命」も聴き、かの有名な「運命」の「じゃじゃじゃじゃ〜ん」って、いろいろあるんだなと思い知らされる。

昭和女子大学人見記念講堂。永澤くん夫妻、由理くん&信也、一階ど真ん中素晴らしい席に並ぶ。オーケストラが揃う。最初の曲は「ウェーバー魔弾の射手序曲」。クライバーが左手側から早めの足取りで中央に向かう。客席に軽く微笑んだかと思うと、さっとオーケストラに向き合い、タクトが振られる。瞬時の事であった。会場にすーっと音が行き渡る。波が自分にも静かに到着する。右の頬に一筋の涙が流れた。今も不思議だ、降りてきた言の葉である。「何をやっているんだオレは」

酒屋商売は順調であったし、嫌いでもなかった。映画・音楽・マジック・美術・グルメ・・・楽しく日々を送ってもいた。クライバーの音楽に生で触れ、何故か心の底から湧き上がる「何か」があった。人生をもっと一生懸命に生きてみても悪くないか、昔挫折した大学入学を目指すか。英語の勉強に時間を費やし、他の勉強も始める。上智大学比較文化学部合格を目指す。入学は1992年、38歳になっていた。

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