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Re-posting No. 029 英語・挫折の歴史(3)康司叔父さん

Re-posting No. 029 英語・挫折の歴史(3)康司叔父さん

(昨年4月5日に投稿したNo. 029 を書き直したものです)

千駄ヶ谷の叔父さんこと、康司おじさんは、戦後すぐに、フルブライト・プログラム(別名・フルブライト奨学金制度)の第一回の留学生の一人として、アメリカに渡った。

当時は公民権運動の前、黒人に選挙権が無かった時代、金銭面の他に、人種差別にも苦しんだと、康司おじさんは振り返ってくれた。プールも入れなかったそうだ。大学院を卒業した後、記者になる。その後、縁があって、海外のニュースを取り扱うビスニュース社の日本支局長として働く。アメリカ大使館勤務の経験をお持ちの禮子おばさんと知り合い結婚、二人の息子さんジョージくんとシェリーくん(二人ともにニックネームに近い)を授かった。 

フルブライト・プログラムは、1946年アメリカの政治家J・ウィリアム・フルブライトにより設立された。幅広い活動をしているが、アメリカの大学で学ぶ留学生に奨学金を出す団体として、日本では認知されているかもしれない。2012年までの60年間で日本人奨学生は6300人。その中にはノーベル賞受賞の日本人4人、小柴昌俊氏、下村脩氏、利根川進氏、根岸英一氏をはじめ、河合隼雄氏、明石康氏など、国際的に活躍している方々のお名前も見える。(Wikipedia参照) 

このような経歴を見ると、エリート街道を康司おじさんは歩まれたとも言えるが、康司おじさんのお父さん、すなわち僕の連れ合い由理くんの祖父重雄さん(この方もユニークな方です。別の機会に触れます)に言わせると、決してそうではないらしい。息子である康司おじさんの教育を考えるにあたり「康司は勉強ができへんさかい、英語でも身につけさせないと、しゃ〜ないわ。これからの世界考えるとな」と判断したと言う。そこで、重雄おじいさんは知り合いのアメリカ人女性ロージーさんに頼み、康司おじさんはプライベートで英語を学ぶことになる。 

千駄ヶ谷で、禮子おばさんの見事な手作りのイタリアンをご馳走になった後、こちらも大変に美味しい紅茶をいただきながら、康司おじさんがどのように英語と触れ合ってきたのかを話していただいた。

「どんなレッスンだったんですか?」さぞや厳しい指導であったか、興味津々だった。「それがやな〜、ワシの前にロージーばあさんが座るんや、テキスト持って。振り返って、ロージーばあさんがテキストを読む。次にワシがそれを繰り返すんや。それがずっと続くんや。それだけや」渋面を作りながら、当時の様子を身振り手振り語り始める。

「えっ、康司おじさんが、ロージーばあさん…失礼、ロージーさんの背中見る感じですか?普通、ものを教える時って先生と生徒が向き合いますよね?」「そやな、今思うて見ると、何で向かい合わんかったんかな。わしもよう分からんわ」

「ロージーさんが読んだ言葉を繰り返す。ともかく、それを続ける。それだけで英語が分かるようになるんですか?」「ホンマ、つまらんかったが、親父がうるさいから、しゃ〜ない。続けたわ。それでやな、しんやくん、半年も経った頃やな、ロージーばあさんの読んどる言葉が、す〜っと頭に入ってきたんや。お〜、言っとること分かる〜って感じやな」「ええ〜!ホントですか〜!」

由理くんが話に割り込む。「やすにいちゃん、話し盛ってるんとちゃうの」「ホンマやがな〜。それからあとは、どない勉強したかな〜。あまり覚えとらんなあ」「もっと思い出してよ。ロージーばあさんの話だけじゃあまり参考にならへんがな」いや、由理くん、刺激に満ちた話で何か本質的なものが隠れているよ。口には出さなかったが、僕は腕を組んでただ唸ってしまっていた。

高齢の女性の後ろに、テキストを手に座る若者。女性が発した言葉と同じ言葉を繰り返す。何処ぞの宗教団体で教典を学ぶような絵面が思い浮かぶ。お経か、聖書か、コーランか、そう言えば「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺もある。

「やすにいちゃん、何か英語の参考書とか勉強したんとちゃうの?」僕の代わりに真剣に聞いてくれていると言うより、由理くん自身の好奇心に火がついた感じだった。「何か文法の教科書っぽいのは、親父が『これはやっとけ』言われたなあ」「文法書の名前は覚えてへんの?」「全く覚えとらんなあ」「やすにいちゃん、頼りにならへんなあ」隣に座る禮子叔母さんは、熱っぽく語る3人を、時たま「あはは」と明るく笑いながら楽しそうだった。

話は少しずれる。後年、名著「なんで英語やるの?」の中で、著者の中津燎子さんが、英語をアメリカ人男性から学ぶ場面がある。大変興味深くこの本の中の白眉だと思う。中津さんがテキストを読む。少し離れた所に座るアメリカ人教師は、中津さんの英語を聞き取れないと「分かりません」と言って、初めから読み返させる。りす(squirrel)の発音に手こずり、中津さんが腹を立てる。そんな場面だ。学習状況のユニークさ故か、自分にとってはまた、康司叔父さんの話を思い起こさせた。 

今に至るまで、康司おじさんが経験なさった「劇的な瞬間」を持ったことは、残念ながら、ないと言える。しかし、その小型版と言えるような、「ああ〜、そうか〜」と言う感覚なら何度もある。その感覚も、「分からん〜」いわゆる挫折の先にあったものだったと気づくのは、まだまだ先のことだ。 

社会人となってから始めたNHKラジオ「基礎英語」「続基礎英語」の継続視聴の挫折、英字新聞の社説editorialを使用しての学習継続の挫折を経て「自分は英語の学習から、何を得たいのだ?何をしたいのだ?」と自問自答する。読み書きの技能を磨きたいのか?文法を学びたいのか? 

この時の答えは「海外旅行をするとき、英語を聞き取れ話せるといいな」「マジックのレクチャーに参加すると、英語の上手な人が多いなあ〜。自分もそうなりたいなあ」。加えて「できるなら、英語でケンカできるくらいになりたい。日本のことをちゃんと伝えたい」などと言う高尚な答えも持っていた。要するに「話す・聞く」の能力を身につけたかった。 

「中学までの知識があれば英会話はできます」そうかもしれない。会話は、読み書きとは違うモノが求められるだろうな。自分の目標にも一致するかな。朝日カルチャーセンター「初級英会話」毎週水曜日14時スタート三ヶ月コースの申し込みをする。新たな挫折の始まりだった。 

・・・続く 

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