見出し画像

Re-posting No.023 英語・挫折の歴史(2)高校生・社会人

Re-posting No.023 英語・挫折の歴史(2)高校生・社会人

(昨年の3月31日に投稿したNo.023を大幅に書き直した記事です)

中学校の時と同様、いやそれ以上に高校生時分は英語の授業を毛嫌いした。教科書も大学入試向けの問題集も面白くもなんとも感じなかった。一方で、映画館のスクリーンから流れてくる日本語には感じられない英語独特の「力強さ」に魅了されていた。

PPMピーター、ポール&マリーや、サイモンとガーファンクルなどの洋楽を聴き、なんとなく聞き取れた言葉を歌詞カードで確かめるのは楽しかった。この歌詞カードからの「英語の楽しみ」はパズルを解く感じで、Bob Dylanボブ・ディランの歌詞からは多くのものを学び続けている(No.125)。

2年の月日を数える大学浪人時代には、英語・挫折の歴史はない。まるで勉強しなかったのだから「歴史」ができるわけがない。

浪人生活2年のあと大学進学に挫折して家業の酒屋商売を継いだ話は、noteの他の記事で触れている。仕事に慣れ始めた頃から英語の学習を始めた。大学受験の失敗の大きな要因の一つは英語にあった事は間違いがなかった。英語に対して「しゃくに触り」、大学受験合格が「人生の宿題」の気分となり、生来の人好きからか「英語で会話する」ことに憧れた、そんなこんなが社会人となった僕の英語学習の動機だった。

高校時代に英語の成績が良かった友人の何人か、シゲトや「もうひとりのシンヤ」(No.077)が、平(たいら)第三中学校の出身だった。聞いてみると、NHKのラジオ番組「基礎英語」「続基礎英語」を聞くのが宿題だったと言う。彼らはいい英語教師に 巡り合ったと言える。

二人に倣って「基礎英語」「続基礎英語」を聞き始めた。残念ながら、あまり楽しめない。しかも酒屋商売をしながらだったので、お客さんや取引業者との対応ですぐに中断される。テキスト4月号、5月号でおしまい。このふた月が過ぎるとテキストの販売が激減するらしい。意欲が継続しない多数派の一人だった。NHKラジオの語学番組の良さを理解するには、文法の必要性を痛感する出来事がある数年後までの時を要した。

連れ合いの由理くんの叔父「千駄ヶ谷の康司叔父さん」のお宅によくお邪魔した。叔父さんは外資系の会社の日本支局長の座にあった。奥様の禮子叔母さんは、以前はアメリカ大使館に勤めていらした。僕にとって、お二人は生まれて初めて出会った「仕事の中で英語を実際に使っている方」であった。康司おじさんに英語の勉強でのアドバイスを求めた。

「ラジオ基礎英語、面白くないんですよね。何かありませんかね〜」「ふむ、エジトゥリアルを読むのがええんとちゃうか」関西弁丸出しの康司叔父さんの言葉は、真面目な話の時でも、愛嬌と可笑しみがあり、いつでも僕をホッとさせてくれた。

「はっ、エ、エジ何ですか」いつまでも福島訛りの消えない僕は戸惑う。「editorialやがな〜、editorial、社説や、新聞に載っとる社説や〜」キツさを全く感じない。「社説って、エジトリアルって言うんですか」母音だらけの英語で確認する。「そや、男やったらそれぐらい読めんとあかん。最初は分からん単語だらけかもしれん。しかしやがな、読んどるうちに段々減ってくるもんや。段々減っても、分からん言葉や表現は無くならん。ワシでもそうや。せやが、記事の中に5つ6つ分からん言葉があっても困らん。前後から見当つくもんや」「そうか〜!納得です!」

康司おじさんに刺激された翌日から、Japan Timesをとり始めた。editorialの中の分からない単語にアンダーラインを引き、単語をノートに写す。大量の単語、数えてみると187個あった。全部、辞書を引いて意味を書いてゆく。2時間以上かかった。次の日も同じような作業を繰り返す。179個あった。進歩しているのか?分からない単語が5つ6つになる日が来なかったのは当たり前で、この試みは一週間しか続かなかった。読みもせずにJapan Timesを三ヶ月とったところで、誰に対してもカッコをつけたことにさえならなかった。

康司叔父さんに、editorialでの学習はダメでしたと、正直に告げた。「そうか〜、ダメやったか〜」横から禮子おばさんと由理くんも敗戦の分析に参加してくれた。「そうよ、あなた。社説なんてお堅いものからじゃなくて、漫画読んで楽しむとか、信也くんの好きなもの、そうだマジックの本を読むのはどうかしら?」マジックの本から学ぶのは良さそうだった。

「やすにいちゃん(由理くんは康司おじさんをこう呼んでいた)はどうやって、英語勉強したん?パパ(隆司父のこと)が、あいつは勉強できへんかったってゆうてたよ」「そやな、兄貴にはようバカにされたなあ」

親しい間柄だからできるのであろう、二人のやり取りに吹き出しそうになった。康司叔父さんは若い頃より勉学に秀でた方のように思っていたが、そうではなさそうだった。若かりし頃「勉強できへんかった」なら、どのようにして海外から日本に入るニュースの約80パーセントを占める会社の日本支局長を務めるようになったのか。

康司おじさんが、どのように英語に触れてきたのかを聞く方が、editorialを読むよりも「自分の英語学習の足し」になりそうだった。

・・・続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?