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書けないなりに書いていくために

妊娠8ヶ月をすぎた頃から、露骨に文章の読み書きができなくなってきた。もちろん、あらゆる先達の体験談から重々覚悟していたことではある。が、実際にその状態になってみると肝の冷える思いだ。まだ当分冷えたままだろう。出産まではあと1ヶ月と少しある。

この変化は、本を読むスピードの低下から始まった。もっとも小説は問題ない。たぶん頭の中で、情景をビジュアルとして眺めていれば理解できるからだ。一方少し専門的なテーマの本になると、論理力を使うせいかすぐに疲れてくる。一冊を一気に読み切ろうものなら爆発的に眠くなるし、実際途中で寝てしまうことも多い。

朝活の写真。課題本は『国会学入門』。
朝活の写真。この手の本を読むスピードがスローになった。

同じように書く方も、一定のトーンで長く書き続けることができなくなってきた。いろんな言葉を頭の中でこねくり回しているだけでどんどん消耗してくるのである。

集中力がもたないのはホルモンの影響などもあるようだが、日に日に突き出てくる腹のせいで座っているだけで息が苦しくなったり、筋肉が収縮して痛くなったりという肉体的な制約の影響もやはり大きい。さらに言えば私の腹の中の生命体は、エコー検査の際に医者が驚いたくらい常にロックに動き回っているのだ。

文章を書いている最中にもへその裏で巨大な肉塊が休みなくぐるぐる・ずるずると蠢いたり、予告なく手足で膀胱まわりや脇腹の内壁を突かれる感覚を想像できるだろうか。私は妊娠前も妊娠してからも、実際に胎動が始まるまでまったく考えていなかった。いざ目の当たりに、いや肚の当たりにしてみると、これは「今の私、『エイリアン』のリプリーみたい」としか思えない珍妙体験である(※胎動の激しさには個人差があり、すべての胎児がエイリアンになるわけではない)。

母体とは本当にしっかり変化するものなのだな、と改めて感心もしている。私はもとの筋肉量がそこそこあったためか、7ヶ月ごろまでは肉体的な負担をさして感じていなかった。だから「ワンチャン、このまま逃げ切れるんでは」などと密かに思っていたのだが、普通にそんなことはなかった。9ヶ月が終わろうとする今は、1時間椅子に座って書き物をするだけでバテるし、何をしてもすぐに眠くなって床にのびてしまう。ライターとしてもっとも長時間労働をしていた頃、書籍の原稿を書くのに一日12時間くらい平気で机に張り付いていたのがもはや前世のことのようだ。

妊娠出産をほとんど原稿仕事に響かせなかった作家の林真理子や、漫画家の荒川弘のような超人女性たちに比べて自分はなんとしょぼいことだろう、と落ち込んだことは何度もあった。夜中に悔し泣きしたこともあった。しかしまあこればかりは比べてもしょうがない。林真理子と同じ作家でも、有吉佐和子は妊娠中執筆も読書もままならず諦めたとエッセイに書いている。この辺りは、一人一人やれることもやらない方がいいことも違うのだ。

そもそもペンで書こうがタイピングで書こうが、「書く」行為とは結局のところ運動である。身体が変化すれば運動のやり方も変えざるを得ない。ずっと続けてきたピラティスだってマタニティモードに切り替えた。「書く」ことも、今までと同じやり方では続けられない。無理をすれば体に障り、体に障ればエイリアン……ではなかった腹の中の胎児に障る。

それで実際に、いろいろと日々のやることを変えた。

もともと妊娠7ヶ月が終わるまでは、noteの有料マガジンを週三回・一回3000字ほど更新していた。趣味の小説も毎日2〜3000字くらいずつだが書き進めて、2ヶ月で100枚程度の長さの初稿を二つ作ることができた。ちなみにこれと並行して春から資格取得のための勉強やその実践で毎日一定の時間を使っていたので、そちらの方でもデスクワークや書き物が発生する数ヶ月だった。あとはもちろん毎日の家事もある。

こうした諸々を、8ヶ月目に入ったタイミングで一気に削減したのである。マガジンの更新を止め、資格勉強の方も試験に受かったので一旦ひと段落ということにした。小説もペースを落とした。

その後しばらくは、紙のノートにだらだらと考えたことを書いたり、ポメラにメモ程度の文章を書き込む日々が続いた。でも、すぐに気持ち悪くなってきてしまった。今の自分にその筋力体力がないのだとしても、なるべく客観的に読める文章を書く意識は持続していたいと思ったのだ。

まずは簡単なことからと考えて、9ヶ月に入った頃から、スマホでブログに日記を書くようにしてみた。スマホで長文を書くのはあまり得意でないが、机に長いこと座っていられない、何かといえば寝転んでしまう今の私の生活スタイルにはこちらの方が合っているだろう。

続くかなあ、と思ったがやってみたら意外と続いた。数百字〜1000字程度の文章でも、人に読まれること前提で書くとやはり頭の使い方が変わる。書いていて意外と興が乗り、長く書いたものを削ることもある。

2週間続いたところで、このやり方ならもう少し続けられるかもしれない、という感覚が出てきた。もちろんこれから臨月に突入するとまたさらにフェーズが変わるわけだが、どうせ今だってSNSを見たり何かしらそこでぼやいたりはしているのだ。そのリソースを集中的に使えれば、ある程度の分量の文章を書いていくことも可能だろう。

そんなわけでこのnoteでの更新を、定期購読マガジンではない形で再開することにした(数日前から準備していたことで、Twitterの騒動は関係ない)。推敲能力というか、書いたものの良し悪しを判断する力がとにかく下がっているため実に心許ないが、まあそういう状態だと何がどうなってしまうのかを自覚する手立てにもなるだろう。

ここでは基本的に日記ではなく、雑多に思うことや過去のことを書いていくつもりだ。正直、何が書きたくなるかも今はわからない。数日後には何かトラブルがあって入院しているかもしれないし、やる気が氷点下になってすべてを放り出しているかもしれない。平常時だってそうだが、妊娠中の今はそのリスクが格段に上がっていると言える。それでも今は、何も決めずに書いてみること自体を可能な限り楽しんでみようと思う。胎児が胎動という運動を(おそらく)楽しんでいるように、私もまだもう少し「書く」を楽しんでいたい。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。