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保育園の洗礼と、不自由の贅沢

 5月の頭に子どもが風邪をひいた。
 4月に保育園に入れて以来、毎週のように風邪をひいていたから今回も似たようなものだろうと思っていたら、あれよあれよという間に発熱をこじらせて中耳炎に至り(中耳炎だったということは後で病院に行って初めてわかったのだが)、子どもの苦しみ方がどんどん激しくなった。
 運悪く、そうなったのがちょうどゴールデンウィークにさしかかるところだったため、休みがあけるまでは病院にも行けなかった。かわいそうだが救急病院に連れていくほどの状態ではなく、家で看病するしかない。私にできることは、なるべく子どもを長く寝かせて、起きて苦しんでいるときは抱っこしたり外の空気を吸わせたりして気を紛らわせてあげることだけだった。

 病気のときの子どもは本当にかわいそうだ。発熱で顔は真っ赤だし、小さな体からは想像できないほどの量の鼻水が出る。汗だくで大泣きする子どもを寝かせて顔を太ももの間にがっちり挟み、1日に何度も何度もメルシーポットで鼻水を吸った。子どもはしまいには、私に床に転がされるだけでその先を察しておいおい泣くようになった。泣き過ぎて喉を枯らすことも多く哀れだったがそのままにしておくわけにはいかない。赤ん坊は鼻を啜ったり痰をきったりといった口腔内の動きをまだ習得していないため、放置していると鼻水や痰が喉に詰まってミルクや離乳食を吐き戻す。それに服や床や至るところに鼻水をなすりつけ、親も子もベチャベチャになってしまう。

 ひたすらそんな子どもの苦痛を観察し、対処することに集中する生活が、軽く2週間続いた。最初の数日で私もあっさり感染し、微熱と咳と鼻水に耐えながら看病し続けることになった。

 夜明け頃、泣いて目覚めた子どもに起こされ様子を見に行くとひどいことになっている。まぶたは目やにでつぶれて開かず、うつ伏せで寝ているせいで鼻周りは鼻水の氾濫でガビガビ。鼻の穴の中も、固まった鼻水で完全に潰れている。子どもが寝ていたマットレスのシーツもひどい状態だ。
 熱い身体でしくしく泣く子どもを寝室からリビングに運び、まずは蒸しタオルで顔を拭く。うちの子どもは顔を拭かれるのが大嫌いなので派手に泣くが、冷酷に辛抱強く続ける。綿棒も使って目やにをきれいにとり、鼻くそを除去し(ブチギレられる)、メルシーポットで鼻水を吸う。おむつを替え、汗だくの身体を拭き、服を着替えさせる。子どもはずっと泣いている。
 多少落ち着いてきたところで離乳食やミルクを少しずつ与え、耳鼻科でもらった中耳炎用の抗生剤と風邪症状に効くシロップ薬を飲ませる。そのままでは口にしないため、水で溶いたりゼリーに混ぜたりしながら長いことかけて与えるも、その直後に子どもが咳き込んだ勢いで盛大に吐く。吐かれる度に服を替え、栄養が足りなくならないよう、少し時間を置いてもう一度何か口にさせたり薬を飲ませたりする。が、またまた全てを吐かれることもある。服を替えすぎて着せる下着がなくなり、低月齢の頃に使っていた肌着を引っ張り出したりもした。私の方も子どもの吐瀉物で服だの腕だの汚れ放題だ。

 子どもが吐くと毎回緊張する。よくあることだと知ってはいても、「とんでもないことが起きている」という感覚を拭えない。吐く寸前の人間の、あの驚愕と虚無の表情も苦手だ。殺されているみたいだといつも思う。そういえば実家で猫が毛玉を吐き出すところを見るのもちょっと苦手だった。
 子どもがミルクを真上に向かって噴き出し、吐いたミルクで顔中がびしょ濡れになったことがあった。シャワーを浴びせるために慌てて風呂場に運びながら、口から噴き出したのが白ではなくて赤だったら、という想像をついしてしまった。その直前に、ガザのニュースを見ていたせいもあったかもしれない。赤ん坊のもろさが心底怖くなる。

 そんなことをしている間に軽く3時間くらいが経っている。力付きた子どもを寝室で寝かし、その間に汚れたシーツや私たちの服を洗濯機にかけ、リビングを掃除し、起きてきた夫と手分けしてメルシーポットを洗浄したり、減ったベビー備品の確認をしたりする。最低限の仕事関係の作業もするが、ここまでですでに疲労困憊しているため1時間2時間と続けることはできない。そうこうしている間に子どもがまた起き出し、また鼻水取り、オムツ替え、着替え、ミルク……。それが夜中、完全に寝付くまで続く。

 こういう生活をしていると、感覚が不思議な研ぎ澄まされ方をしてくる。心の中が静かになって、思考がほとんど進まず、子どもの体の熱さや柔らかさ、重さといったことだけが意識上に漂うのだ。体の感覚しか残らなくなると言ってもいい。
 二人で咳をし、鼻水を垂らし、単なる具合の悪い二匹の獣として火照った体をくっつけ合っていると、他のことがどんどん頭の中で薄れてくる。家計のこと、仕事のこと、SNSの話題、その他諸々。そういったことのほとんどは、自分自身の、そして目の前にいる人間の肉体の状態異常に比べたら、その何分の一かのリアリティしか持っていない。

 喉や耳の痛みで夜泣きする子どもを抱いて揺らしながら、子どもを産んだ直後のことをちょくちょく思い出した。
 私は産み終えるまでに、普通分娩で30数時間かかった。帝王切開への切り替えも何度か検討されたし、結局会陰の傷もかなり深かったらしい。分娩を終えて個室に戻ったあとも、しばらくは立つだけで気絶していたので絶対安静を申し渡されていた。そんな状態だったから、母子同室に移行してからも現代人らしい忙しい気持ちはちっとも戻ってこず、新生児を抱えたままやはりただぼんやりとお互いの体にだけ集中していた。
 こちらは全身が激痛の塊で歩くことさえできない。でもなぜかちゃんと母乳は滲む。一方で虫のようにか弱く無表情な新生児は、私の胸をくわえさせると教えてもいないのにきちんと乳を吸う。何の意思も感情もなく、なのにしっかりと生きようとしている。お互いほとんど死にかけたのに、肉体はしたたかに次の段階に進んでいるのだ。
 ちゅうちゅうと口を動かす新生児を見ながらつくづく思った。ここまで満身創痍になると流石に諦めがつくもんなんだな、と。
 今の自分は、つくりだした血液を子どもに分け与えることしかできないザ・哺乳類だ、いや本当は最初からずっとそうだったのだ、という静かな確信を赤ん坊と一緒に抱いて、産む直前まで持っていたいろんな雑念……すごいことをして大勢の人に認められたいとか、あの人に羨ましいと思ってもらえるくらいのことをしたいとか、早くこのくらいのことはできるようにならないといけないとか、そんな欲や焦りをばらばらと自分の意識の外に払い落としていった。今はそれどころではない、と何のためらいもなく思えるのは、ある意味では安らかなことだった。『バガボンド』に出てきた宍戸梅軒が、再起できないほどの重傷を負ってようやく「剣すら握れなくなった。これでもう戦わなくてすむ。殺し合いの螺旋から俺は降りる」と言えた気持ちがわかるような気がした。梅軒が竜胆と血の流れる傷口を触れ合わせていたように、私は胸から勝手に流れる血液みたいなものを子どもの口に注ぎ込んでいる。

 流石に産後直後のような状態からは脱したけれども、赤ん坊の世話をするというのは、ちょくちょくあの時のような状態に浸ることなのだと思う。
 果てしなく不自由で痛くて、でもだからこそ何もかもを心の中で手放せてある種軽くなるようなちょっと切ない開放感と、ぐるぐるせかせかした思考を諦めた後の静かで甘い感覚。一人でせっせと仕事をしているだけではなかなか味わえなかった世界だ。もちろん、人間ならこの尊さを味わった方がいいとか、育児をしなければ大事なことはわからないとかそんな話じゃない。所詮大きなトラブルなく育っている子ども相手だからこんな呑気なことを言っていられるのだ、という程度の話でもある。
 それでも、この感覚を体に繰り返し突きつけられることが、私に与えている影響は大きい。
 この状態に閉じているときは、もちろん仕事らしい仕事などろくにできない。文章もスマホのメモ程度のことしか書けないし、本を読んだり映画を観たりといった行為の集中力も大幅に下がる。人間の、知的と言われる営みの大半が遠ざかる。私は今のところ時間を自由に使えるフリーランスだが、だからといってそうそうスマートに時間の使い分けをすることはできない。子どものケアに割きたい時間や体力やその他リソースと、子ども以外に割きたいリソースをきっぱり分けて保留・活用することなんぞ無理で、すべてはうやむやに溶け合い、ずるずると子どもの側に崩れ落ちていく。
 有限の人生の時間をこうやって使うことを、無駄だと思う人もいるだろうしそれは当然だ。私だって、「こういう時間がなければないほど、現世的成功に向けた行動はとりやすいよな」と素直に思う。この後どれだけ産後の制度やあるいはAIなんかが進化していってもこういう時間を皆無にすることはできないだろうし、それが「損」として働く社会機構を私たちは捨てないだろう。私も、「子育ての合間をかいくぐって、どうにか自分にとって『得』になることをしたい」という下心は捨てられない。

 ただ、それでも思う。子どもの鼻水とゲロにまみれながら、この小さなものを守ろうと静かな気持ちで温かい体を抱いているとき、私はとてつもなく不自由で、同時にとてつもなく自由でもあるのだ。人間が無数の意味付けをしたあらゆる社会的営みの手前にもぐりこんで、生まれたての人間と、複雑な意味付けをする前のコミュニケーションをとることの不思議な贅沢さを、私は子どもを育て始めてから頻繁に感じている。
 人間は本当に手ぶらで生まれてくるし、その後のことはほとんどが(全部ではないが)、自分の頭の中に積み重ねる幻想でしかない。もちろん、その幻想を使って行うやり取りで現実社会を作っている以上、それをあまり軽んじても仕方がないと思っている。しかし、幻想にがんじがらめになっている場所から一歩ずれると、そこにはぽっかりと静かな広場のような場所があるのだ。そこで何ができるわけでもなくても、そこからの景色を知るだけで得られるある種の感慨がある。満足ではなく、愉悦でもなく、ちょっと寂しくすらあるけれど、悪くはない独特の気持ち。それはなぜか私を励ます。場合によっては、お金や仕事の承認以上に(いつもではないけども)。

 今気になっているのは、この感覚といつまで付き合うことになるのだろう、ということである。子どもが小さいうちだけなのか、もっともっと大きくなってからもなんだかんだでつきまとうものなのか。

 もしこれが今しか得られない感覚なのだとしたら残しておきたいと思ってこれを書いた。ただ感じたことを書いただけだから他の人に伝わるかはわからないが。


 子どもは抗生剤のおかげですっかり元気になり、先週からはぴかぴかの状態で保育園に通っている。入れ替わりに私は子どもの風邪への感染から持病の喘息が十年ぶりに再発し、毎日背骨がきしむほどの咳を繰り返して一気に痩せた。一ヶ月の間ほとんど仕事にならなかったから今月は赤字である。ままならない。あとどのくらいのままならなさを積み重ねることになるのか、一匹の獣として他人事のように伺っている。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。