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通いたくなる習い事コミュニティ

今日は、とあるタンゴ教室コミュニティの主催するはじめての発表会に行ってきた。私と同じ時期にタンゴを始め、教室で仲良くなってそのまま結婚した友人夫婦のダンスに声援を送るためである。

これがなんとも、いい発表会だった。進行というのかファシリテーションというのか、とにかく万事仕切りが行き届いていた。

当日の司会もアットホームかつ知り合いの少ない人への配慮の行き届いた的確な内容だったし、開催前のリマインドメールからSNSでのカウントダウン発信、撮影した写真の事後の共有の仕方に至るまで、どれもスマートで勉強になった。それもそのはずで、この教室はきちんとコミュニティマネージャーを入れて運営しているのである。小さなダンス教室としてはかなり画期的なことだ。

私は赤ん坊連れだったため最後まではいられなかったのだが、終始参加者の笑顔が溢れていて、良い教室なんだなとしみじみ思った。

帰り道、汗だくでベビーカーを押しながら、これまでに接して一回で懲りたコミュニティと、そうでなく関わり続けたコミュニティの違いについて考えた。

発表会の中で、教室を主催している友人のダンサーがこんなふうに言っていたのだ。

「習い事って、習いたいことそのものよりも、そのコミュニティが理由で続くことが結構ありますよね。居心地が良いとかそこで友達ができたとか」

まったくその通りだと思う。コミュニティに魅力を感じていれば多少だれてきていてもなんとなく通い続けるし、逆にコミュニティそのものに未練がなければ簡単に離脱できてしまうからだ。

もちろん、「絶対にこれをやるのだ!」という意気込みや、指導者への強烈な憧れがあればそこがどんなコミュニティだろうと頑張れるかもしれない。そもそもあまり他の人と接触しない習い事もある。ただ、何かしら接触があるのであれば、長く続ければ続けるほど「その場そのものへの愛着」の影響が大きくなってくるのも自然なことである。

で、私の場合、どういう習い事コミュニティに「ここなら通い続けたい」という気持ちを継続的に感じていただろう?

いろいろあるが、一番はこれだと思った。

そのアクティビティそのものを楽しんでいる人が多数であること。

タンゴならタンゴを、書道なら書道を、刺繍なら刺繍を楽しんでいる人の多い場であってほしい。

これは、人によっては重視しないと思う。「タンゴそのものよりレッスンのあとの飲み会が楽しみ」みたいな人も多いし、それも無論有りだ。人とつながるために習い事をして、それで人付き合いが増えるなら素晴らしいことである(ソン・ウォンピョンの『三十の反撃』に出てくるウクレレ教室のように)。

ただ私は基本的にオタク気質なので、習い事仲間たちと会話するときはまずそのアクティビティについて話したい。プライベートの話を一切したくないわけではないが、「〜の時のあれがうまくいかないんだよね」みたいな話をしている方が楽しい……というか、アクティビティの楽しさを共有し合える関係でありたいのだ。

指導者自体がオタク気質だと、やはり生徒もそういうタイプが多くなる気がしている。

先生がコミュニティの先頭で楽しんでいれば、生徒も楽しみ方がわかる。ひたすらトライアンドエラーを繰り返す時間の中の何を楽しめばいいのかは、やはり先を行く者から学ぶことが多いと思う。30代でタンゴを始めた私のように、「苦手分野に大人になってからチャレンジした」場合であればなおさらだ。


コロナ→妊娠→出産でタンゴから一旦離れてしまった私には今、踊る楽しみを共有し合えるコミュニティがない。かつて通っていたタンゴ教室も、先生たちの廃業でなくなってしまった。

その寂しさに改めて思い至ってしまったのも、今日見てきたコミュニティが良質だったことの証左のひとつなんだろう。

そんなことを考えながら、寝てしまった赤ん坊を起こさないよう、慎重に渋谷を駆け抜けた私であった。まだまだ踊りまくる日々は遠い。

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小池未樹
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