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私の中の、ジブリのための場所

もう数日が経ったが、ジブリ最新作「君たちはどう生きるか」を初日に観てきた。いつも通り、「こういうところが良いんだよな!」と思うところもあれば「こういうところがまったくさあ……」と思うところもあったけれど、まずは何の雑念もないまま、映画館でこれを体験できてよかったと思う。私はジブリ作品の中ではけっこう好きだ。ちなみに、スタッフロールに男鹿和雄さんたち歴戦のアニメーターの名前を見た瞬間にめちゃくちゃ泣いた。ドリームチームすぎる。

Twitterを眺めていると、なかなかの賛否両論っぽくて面白い。宮崎駿のフェティシズムの爆発に興奮する派とわけのわからなさに困惑する派、ジブリの歴史に思いを馳せて涙ぐむ老オタクたち、つまらなさを嘆く人々、宮崎駿絵コンテ本田雄作監という驚異の布陣に震え上がるアニメーターたち、メタファー解釈に腕まくりが止まらずノースリーブになる批評クラスタ、そんなすべての盛り上がりに逆張りしたくてしかたがない「興味ない」勢などの多様な反応が激しく入り乱れていて、本作がいろんな人のいろんな衝動をこれでもかと、まるで不穏に現れるアオサギのように刺激していることが感じられる。

特に本作の感想をここで詳細に書く気はないが、この反響の多さからふと思い出したことがあるので書く。私がかつて大学で、アニメ・コミック研究のゼミにいた頃のことだ。

当時公開されたジブリ最新作は、2010年の「借り暮らしのアリエッティ」だった。メアリー・ノートンの児童文学を原作とする本作は、それまでいちアニメーターだった米林宏昌氏の初監督作品。この映画を、私はゼミ仲間と連れ立って数人で観に行った。みんなそれなりに期待していたと思う。

しかしエンドロールが終わって座席が明るくなったあと、私たちの顔は一様に暗かった。「とりあえず早くどこか店に入ろう」と言い合い、手近なイタリアンレストランに飛び込んで適当に注文すること数分。特にジブリを愛好する女子の一人が、どんとテーブルを叩くと言った。

俺たちの愛したジブリは死んだ、なぜだ!?

(※元ネタはガンダム。「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。 何故だ!?」)

そこから始まる、オタク学生たちによる轟々の怒りあい、嘆き合い……。

いや、「アリエッティ」が好きな人には本当に申し訳ない。ただ実際、当時の私たちの間では満場一致で大不評だったのだ。

もちろん、「アリエッティ」はアニメ映画としてそこまで論外な作品ではない。全然ジブリは死んでない。米林監督のアニメーターとしての技術も光っているし、美術もきれいだ。BGMも、セシル・コルベルの主題歌も素敵。ストーリーも、壮大ではないとはいえまあまとまっている範囲だ。公開直後の「キネマ旬報」には、某評論家による「大作ではないが良作」といった言い回しの、いかにも穏やかな批評が載った。

だがそういったすべてがむしろ、めんどくさいオタクの集団である私たちを激しくがっかりさせたのである。

私たちは、美しく手堅い「良作」をジブリに期待していたわけではなかった。何かもっと濃くて過剰なものを欲していたのだ。そしてその欲求は間違いなく、あまりに巨大なリビドーと、それに釣り合ってしまうはた迷惑なほどの才能をうっかり兼ね備えた宮崎駿という、傑出したクリエイターの導きで作られたものだった。

1990年代が始まる直前に生まれ、アニメ・コミックのゼミに入る程度にはその分野に関心のあった私たちは、宮崎駿の執念、理想、葛藤、暴力性が生み出す表現に、自覚以上に影響を受けて育った世代なのだと思う。

実を言うと私なんかは、両手をあげて「ジブリ・宮崎作品が好き!」と言えるタイプではない。結構苦手な部分が多いのだ。だがそれでも10歳のときに「もののけ姫」で衝撃を受けて以来、自分が心の中に「ジブリ的なもの」のための空間を確保し続けている気がしてならない。他では代わりの効かない、もしかしたら政治的には正しくないかもしれない、本当に生きているかのようにフェティッシュで色彩豊かな躍動のための場所を。

良くも悪くも、この「ジブリ的なもの(≒宮崎駿的なもの)のための場所」を持っている人は、私以外にもたくさんいる気がする。「君たちはどう生きるか」の反響を眺めているとそんなことを思う。

本作で、私もそこに久しぶりにハイオク満タン、宮崎駿がみっちり流し込まれた感覚を得た。そして80歳にしてこんなにまっすぐ(と彼自身が思えているかはともかく)自分の心象風景を作品にできるんだ、ということになんだか励まされてしまった。

想像するに、本作をもしあのときのゼミのメンバーで、あのときの年齢で観ていたらやはり、「アリエッティ」のときとは違う意味で大盛り上がりだったんじゃないかと思う。みんなで興奮して、良かった点と悪かった点を次から次へとあげて、延々作品の話をし続けた気がする。そんなふうに思える作品ではあった。

そりゃ、色んな意味で老いというか、衰えは感じる。気力体力の充実していた4〜50代の頃のアウトプットとは比べられない。でも正直、「ハウル」あたりからパワーダウンはわかりやすく始まっていたと思うから、個人的にはそこまで気にならないのだ。それよりもむしろ、その衰えを晒してもなおアニメ映画などというめんどくささの塊に挑み、自分を再度語り直せることに感心してしまう。綺麗に幕を引く方が簡単だろうによくぞ、と。

もちろん、それはみっともないことであり、寂しいことなのかもしれない。けれど私はそれを見届けたいと思う。私がジブリのためにとっておいた場所はきっと、アニメのようにドラマチックに崩落することも、宇宙の彼方に飛び立つこともないのだから。


ともあれ、このあとの批評ラッシュが楽しみだ。みんなのジブリ像を堪能しよう。

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