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「ライターになる」気はなかったけれど

20代の頃から、なし崩し的にライター業をしている。

私の中では、初めて自分で企画・構成を手がけた新書を刊行した2013年が正式な「ライター元年」。それから早いもので10年が経った。

10年といっても、その間にライター以外の仕事もしてきたし、専業だったときも兼業だったときもある。今なんかは、出産前なこともあってほぼ休業状態だ。だから「この程度の働き方でライターと言えるんだろうか」と考えてしまうところもある。とはいえこれまでやってきたことを説明するのに、「ライター」以上に適切な言葉は思いつかない。

一番力を注いできたのは、やはり本づくりだ。

数えると、26歳から30歳までの間に8冊の書籍を構成している(他にも編集や構成に関わった本があるが、メインで入ったと言えるのは8冊)。自分で企画から立てた本もあったし、よく売れた本もあった。逆に売れなかった本も、書き上げたものの刊行されなかった原稿もあった。今は原則書籍の構成はやらないが、作ったどの本にも思い入れがあって、印税通知が来るたびに今でも嬉しい。

年に2、3冊のペースの構成仕事だけでは稼げないので、ほかにもさまざまなメディアでインタビュー仕事をしたり、特集記事の執筆をしたり、記名での寄稿をしたりした。名前の出ない裏方仕事も数え切れないくらいやった。特にどでかい成果を上げることもなかったものの、かといって仕事がしたい時にないということもなく、簡単に言えばとにかく縁に恵まれてきたタイプだと思っている。

しかし実を言えば私は、それまでライターになりたいと思ったことはなかった。むしろ「ならない方がいい」と考えていたくらいなのだ。

なぜかといえば、同じくライターだった母に「ライターなんてやめておけ」と散々言われて育ったからである。

私の母は、早くに夫を亡くし、時にフリーライターとして、時に会社員をしながらの兼業ライターとして、3人の子どもを育てるパワーウーマンだった。

その母から、私は日常的に“ライター業界話”を聞かされていたのだ。企画を立てたり構成を作ったりという概念、テープ起こしのやり方、取材にかかる経費、大手広告代理店の権力のデカさ……。もちろん文章仕事の面白さや意義についてもたくさん聞かされたものの、「大変だなあ」と思うことの方が多かった。

こういう話を日々聞いていれば、「ライターって、好きなことを書いて自由に暮らせて楽しそう♪」などという漠然とした憧れは湧かない。

しかも雑談のついでに、私はしょっちゅうこうも言われていた。

「ライターなんか、絶対やらない方がいいからね」

なんで?

「ごく一部の超スターみたいなライターは違うけど、ほとんどのライターは川の下流の、下請仕事をする立場だから。基本的に軽く見られるし表に出られないし、対価が見合わないことはザラで、評価されることも少ないよ。文章の仕事をするなら川の上流からいってほしい。下流から上流へは行きづらいんだよ」

もちろん母はライター仕事に誠実に向き合っていたし、誇りも持っていた。しかし苦労をしていたのも確かで、私に同じ経験をさせたくはなかったのだと思う。

母のアドバイスを、私は「そうだよな」と思いながら聞いた。

書くことは大好きだけど「ライター」にはなるまい。大変そうだし、儲けづらいし。奨学金も返済しなきゃいけないんだから、もっとちゃんと稼げる仕事をしよーっと。

そんなふうに思いながら成人し、大学を卒業したのだ。一応。

……にも関わらず、その数年後には、私はライター仕事をいくつも抱える身の上になってしまっていた。

でもこれは、繰り返すが「ライターになろう」と思ってのことではなかった。その場その場で「自分にできること」「なんとなく面白そうなこと」をやっていったところ、結果的に書く仕事が集まるようになっていった、という感覚なのだ。

そう、ライターになりたかったんじゃない。目の前の人の悩みを解決するために、文章を書くパートだけ担当すると申し出ただけ。

あるいは、もっと大勢に知ってほしい情報や考え方をたまたま知ってしまって、他に誰もやってくれないから自分で本を作ることにしただけ。

もしくはお金があまりにもなくて、何かしなくちゃなあ、と思ったときに結局手っ取り早く使えるのが文章の技術だけだっただけ……。


それを繰り返しているうちに、あれよあれよという間にいろんな締め切りを手帳に書き込むようになってしまっていたのである。キャリアプランも何もない。適当に生きてきたと言えばそれまでである。


でも今考えると、仕事ってそういうものなのかもね、という気もするのだ。

これまでに、私は何度か書くことと関係のないアルバイトや会社員も経験してきた。しかしそこでも、文章がらみの仕事が回ってきやすかった。ふと気づくと、「そういうのは宗岡さんが得意みたいだし、やりたがるから任せておこうよ」という雰囲気になっているのだ。吹き込む風で埃が同じ場所に流れ、さらに磁気を発するものがその埃をばっちり集めていくように自然に。

どうにもときめかない例えをしてしまったが、要は「私がそこを担当することが、私にとっても周りにとってもよかった」ということにつきるのだと思う。

自分にできることで、目の前(最近では画面越し・テキストのみでもOK)の人の役に立つ。仕事の最小単位はそういうところにある。

この先についてはまだわからないところもあるが、少なくとも今までの人生、私が人の役に立つためには、「書く」というツールを使うのが効率的だったのだ。ライターという肩書きは、その後に便宜上のせたものでしかないしそのくらいでいいのだろう。弁護士や医者ならともかく、ライターなんて「書く人」という意味でしかないのだし。


なんとなくだが、この先もこれを続けるんだろうな、という気がしている。できること、やってみたいこと、やるしかないことをやっているうちに「いつの間にやらこんなことに」と驚く、を繰り返して生きていくんじゃなかろうか、私は。

それも全然悪くない。ライターになろうと思わずに書く仕事をあれこれしてきたこの10年間も、相当面白かったんだから。


読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。