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私の中にある「京都」の話

夏至を超えてすぐ、京都に住む叔母から郵便が届きました。
毎年恒例です。

中身は、北野天満宮の「夏越大祓」の茅の輪。(おまけとして、長文堂の七味唐辛子と山椒)
この形を見ればぴんとくる方も多いと思うのですが、おもに京都市内の神社で行われる、大きな茅の輪の中をくぐる行事。確か、車でくぐれるところもありますね。夏の無病息災を願い、北野天満宮では毎年6月25日に行われます。

毎年、近くに住む叔母が出かけ、私(と両親)に小さな茅の輪を送ってくれるのが恒例になっています。「くぐる」ことにあやかって、私は玄関のドアの情報に吊り下げています。
このおかげか、夏バテはあまりしないんですよね。ありがたいです。

私は京都生まれなのですが、幼少期に兵庫県に引っ越し、今働いているのは大阪なので「京都成分」はごくわずかなはずです。でも、心の中に「京都」があるなぁ、と思うことが多いのは、こういう届け物のおかげもあるかもしれません。

と、こんなふうに書くと、信心深い叔母というイメージですよね。でも、そんなことはないんです(こんなこと言うと怒られるか…笑)
まず、初詣には行きません。理由「人多いやん。そんな日に行かんくてもええよね。それに明治時代から始まった新しい習慣やし」後ろの理由、いかにも京都って感じですが、後付けぽいですよね。
祖母もそうだったのでうちの家にも引き継がれていて、初詣に行く習慣がないために、小学校のときに担任の先生に「行かないはずない、おかしい」と言われたこともありました。母親が「おかしいはないでしょ」とかなり怒っていて、学校に抗議しないようなだめた記憶があります(笑)今思えば、家族が不仲なのかと心配されたんでしょうかね。

なので、私は友達としか初詣に行ったことがありません。誘われたら行くので抵抗はないのですけど(屋台とか楽しいし)どこかに小さな違和感がありました。(一時期たびたびおみくじで「凶」を引いていたのはそのせいか…? いや関係ないか?)ふと立ち寄る神社のほうがはるかに落ち着きます。

くだんの叔母が「神様のところには行きたいときに行けばいいんよ」と言っていました。おそらく祖母の言葉だと思います。
それを時々思い出して、観光ですごく近くに行ってもお詣りしないこともあります。遠くからおじぎだけすることもあります。形だけするならその方がいい、っていう小さなこだわりです。
あ、でも友達が行きたそうなら行きます。(ゆるい)

今書きながら思い出したのですが、高校受験のときに(兵庫県在住でしたが)北野天満宮へお詣りしました。が、絵馬に書いたに志望校がその後変わりました。気になって祖母に相談したら「わたし行ってくるわ」と一言。母に「おばあちゃんにまかせよう」と言われたので、おまかせしました。どうやって伝えてくれたのか、今もわかりません。(無事に合格しました)

大好きな祖母のことを思い出すとパワーが湧いてきました。

夏を元気に乗り切れますように。

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