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ポロリー  (短編小説)

『ポロリーを使用することについて、あなたのご意見をお聞かせください。』 
 
ポロリーはプライベートな部分を隠すものよ。もう人前で脱ぐことなど出来ないわ。(アメリカ 会社員 三〇歳 )
 やっと時代がわたしたちに追いついてきたって感じ。(日本 高校生 一六歳)
 はいていない人とは一緒に歩けないよ。恥ずかしいでしょ。(ブラジル レストランオーナー 四二歳)
 おかしな時代になったもんだ。わしにはみんなが変態に見えるよ。(韓国 農夫 七〇歳)
 昔はポロリーで隠したりはしなかった。そこは愛を確かめ合うところなのよ。(フランス 元数学教師 八二歳)
 ポロリーを使うのは常識よ。ポロリーの下にあるものは家族以外の人には決して見せないわ。(イラン 主婦 三八歳) 

田口さんちの寝室の本棚に並んだ黄ばんだ雑誌を一冊手に取りページをめくる。
当時の読者のご意見欄が目に留まり、彼らの短いコメントに目を通しているうちに「脱いでもいいかい?」と田口さんの微かな声が聞こえてきて、そのコトバにわたしは一瞬身構えて、昨日のことを思い出してしまう。

昨夜、長年親友だと思っていた男性から同じコトバを掛けられた。
わたしは驚き「ちょっと待って。わたしたちってそういう関係じゃないでしょ」って返し、すると彼は涙目になって走り去り、瞬く間にわたしたちの関係は崩れ去った。

「脱いでもいいかい?」
 再び同じコトバが弱弱しく投げ掛けられる。
ベッドに横たわるこの男性は、癌で余命一ヵ月と宣告されている。
田口さんの目はわたしが手にしている雑誌のように黄ばんでいて、目頭には目ヤニが溜まっているので、ティッシュでそっと拭き取ってあげる。
「脱いでもいいよ」
 わたしがそうこたえると、彼はポロリーを不器用に脱いだ。

露わになった彼の口が恥ずかしそうに少し開き、その唇は乾燥していて、所々、皮がめくれ上がっている。
わたしは吸い飲みの先を彼の口中に入れ水を少しそそぎ込む。

すると彼は唇を何度もすぼめてもっと欲しいと合図してみせるので、さらに水をそそいであげる。
その間、わたしはずっと彼の口元を見続けていて、仕事とはいえ、人のプライベートな部分をじっと見ることは良くない気がして目線を逸らし、代わりに彼の脱ぎ捨てたポロリーに焦点を合わせる。

先週わたしが訪問してから一度も取り替えていなかったのか、ポロリーにはいろんなシミが付いていて、彼の目と同様に黄ばんでいた。

 彼の渇きが癒されたのを確認すると、吸い飲みを彼の口から外し、ポロリーを手にして腰を上げる。
洗濯機の傍に置かれたバケツには彼の寝巻や下着などが溜まっていた。

わたし以外の訪問者にとって、彼の衣類の洗濯は仕事ではなかったようだ。
衣類をすべて洗濯機に放り込みスイッチを押すが、ポロリーはまだ手元にある。
手洗い場の水を出し、ポロリーに石鹸をこすり付けもみ洗いする。
汚れが少しずつ浮き出し徐々に元の白いポロリーへと変化していく。

ポロリーの手入れは女性の方が上手なはずだ。
なぜならポロリーはブラジャーやパンティーといったその他の大事な部分を覆う女性の下着のように手洗いすることが長持ちの秘訣であるのだし、パンティーの汚れと同じく部分的なもみ洗いを必要とするからだ。

すっかり見違えたポロリーを外に干す。
風に揺れるポロリーはパンティーとまったく同じ姿形をしているのに、なぜだか呼び方だけがパンティーではなくポロリーという名で区別されている。

昔はポロリーをはいている人間は疫病に感染しているか、無能で変態な人間として嘲笑の的になっていたそうだが、わたしはポロリーをはくのが当たり前の時代に育ってきたので、それを身に着けずに人前に出る人の方が、よっぽど病的で変態に見える。

幼い頃から、口とおっぱいと性器とお尻は人に触らせてはいけないし、むやみに見せてはいけません、と学校でも家でもそう教えられてきた。
口から繋がるお尻は隠すのに、なぜ口は長らく放っておかれたのかと不思議に思う。人前で、尻を隠して口を隠さないことは現代では痴漢行為に等しい。
一方隠されたものほど見たいと思うのも人間の性であり、小学校の頃には、ポロリーめくりというものが流行っていた。

いたずらっ子が「母音(ぼいん)ちゃ~ん」といって好きな子のポロリーをめくってからかい、めくられた女子は「あう~」と叫ぶ。
もちろんわたしも母音を叫ぶそんな女子の一人であったのだし、正直にいうならば、ポロリーをめくられると恥ずかしさと同時に恍惚感を味わえた。
わたしはうっとりしつつ、誰にもめくられない女子を心の中で哀れみ、そんな中、教室では誰かが「くち~」と叫び、みんなが大笑いするのだった。
そのコトバは『おっぱい』や『おしり』と叫ぶよりも、小学生の笑いを誘うのに効果的だった。

思春期になると、ポロリーの下にある口の内部を誰かに見せるのは絶対に避けたいことの一つとなり、つまりは歯医者にいくことはなんとしてでも阻止しなければならなかった。

口をあんぐり開け、端から涎を垂らしながら、かわらいらしい八重歯や、頑固で屈強な親知らず、そして丸まったり広がったりしつつ時折ひるがえって青筋だった裏側を見せる奔放な舌を見せなきゃならないなんて、思春期の女子には耐えられないことだった。

だからどの子も大きさの異なる歯ブラシを使い分け、歯の表面だけでなく裏側や隙間まできっちり磨き上げ、歯肉のマッサージや舌磨きもして、よほどのことがない限り歯医者にいかなくて済むように最善を尽くしていた。
それは大人になった今でも変わらない。
カラダの中で一番手入れされているのは間違いなく口中だし、一番近寄りたくないのは歯医者。

玄関のチャイムが鳴った。

扉を開けるとそこに立っていたのは歯医者で、彼は田口さんの歯を手入れしている歯医者で、星をいっぱい抱えた素敵な目をしている歯医者の真口先生。
わたしは彼を寝室に案内する。

田口さんは右手をそっと持ち上げ彼に向かって「やあ」といい、そのまま口を開けっ放しにした。
真口先生は田口さんの口を覗き込み、器具を使ってテキパキと掃除する。

そんな時わたしは唾液を吸い取る役目を任されていて、田口さんの口に管を差し込み彼の唾液をじゅるじゅると吸い取る。
そうしながら傍らの先生の長い睫毛を眺め、先生にならわたしの大切な口の中をお任せしてもよいかなと思ったりするが、先生だからこそ秘密にしておきたい気もする。

そんなことをあれこれ考えているうちに、田口さんの口中はすっかりきれいになっていて、先生がお決まりのコトバを唱える。
「田口さんの歯は、田んぼの米を口にするために後百年は持ちますよ。はっはっはっ!」
真口先生の口から語られるコトバは嘘であっても真実に聞こえるから不思議だ。

帰り際の玄関先で、真口先生がわたしのポロリーの隙間から指を入れ、唇の輪郭をなぞると、みるみる唇は緩み、開き、指を誘い、促されるまま入り込んできたその指は、歯や歯肉に触れ、わたしの舌は奔放に指に絡みつき、口中には洪水のように唾液が溢れ、ポロリーをじっとり湿らせて、時折我慢しきれずに、押し殺したような母音が漏れ出した。

扉が閉まると、わたしは手洗い場に向かい、汚れたポロリーを石鹸で洗い、ポケットに忍ばせておいた別のポロリーをはき、何食わぬ顔で田口さんの寝室に戻る。

彼は目を閉じている。

わたしは濡れたポロリーをバッグにしまい、おにぎりを取り出す。
はいていた新しいポロリーを脱ぎ、おにぎりを口にする。
普段、人前で食べ物を口に入れたりはしないけれど、今はあえてそうする。
おにぎりを包んでいたアルミホイルの音を聞き、田口さんの目がうっすら開いたのに気付くが、そっとしておく。
もう自分の口で米を食べることのできない田口さんに、田んぼの米を口にしているわたしの姿を見せてあげたい。
口を大きく開け、咀嚼音を立てて、わたしはおにぎりを頬張る。

田口さんの喉がごくりと鳴る。
生きようとしている。
田口さんのむき出しの唇が微かに開き、端から涎が垂れていく。

一面に黄金色の穂が実る田で腰を屈め鎌を使い、どっこいどっこい稲を刈るように、わたしの歯は米粒を刈ってすり潰す。
その米は喉元を過ぎカラダの中の管を下っていき、最後にわたしのお尻からちょぴっとひり出される。それはわたしのパンティーを汚してしまうかもしれないが、そんな些細なことは気にしない。

おーい田口さん。見えてますか?この光景。口からお尻に向かってのドライブ。わたしはそう心の中で呟いて、そっと田口さんを見遣る。

すでに彼の目は閉じられているが、口元から流れ出る涎は絶えることなくシーツを濡らし、シーツに溜まり、小さな泡を立てたり消したりしながらさらに流れ、床を濡らし、寝室の窓から射し込む西日に照らされていく。

そろそろおしまいの時間。

 帰り際、わたしは干しあがったばかりのポロリーを田口さんにはかせて、こう注意する。
「田口さん、口を隠しておかないと口好きの癌が山のように押し寄せてきますからね」

                          (完)




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