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育毛剤ぼうぼう (短編小説)


生えてはならぬところに生えるのが毛

生えろと願うところに生えぬのが毛

それゆえ人は翻弄される

東に剛毛生えると聞けば 飛んでいってその毛を拝み

西に発毛地蔵があると知れば その頭を撫でて発毛を願う

南に地肌を隠す黒い粉が舞えば 行ってその粉を頭にまぶし

北で育毛と発毛は違うと言われれば どちらを望むべきか逡巡し

発毛には副作用があるかもと おそろしくてびくびくする 


★テレビショッピング★


司会「そんなお悩みからおさらばできるのが、育毛剤 ぼうぼう。

薄毛に悩むのは男性だけではありません。女性も四十歳を過ぎると髪のボリュームがなくなって、分け目が目立つようになってくるんです。髪のせいでお出かけするのが億劫になってくる、そんな女性も多いのではないのでしょうか?

 帽子をかぶらずウィッグもつけず、地毛で颯爽とお出かけしたいですよね。

 そんな女性たちの願いを叶えてくれるのが、育毛剤ぼうぼう。

育毛剤ぼうぼうは、こちらの小松坂(こまつざか)隼人(はやと)博士が開発したイチゴを主成分とした自然由来の育毛剤。イチゴが赤くなる時に発生するSTAに注目しました。イチゴの甘い香りを残しつつ、ベタつかず、さらりとした使用感。

小松坂博士。早速、わたしも試してみたいのですが」

(小松坂が司会の頭皮にぼうぼうをつけ、もみ込んでいく。)

司会「うーん。イチゴの香が乙女心をくすぐりますねえ。それにベタつきがまるでない。これまで使用していた育毛剤は、つけると髪のボリュームがさらになくなるものが多かったのに、これはまるで違う。つけた瞬間から髪が根本から立ち上がっていく!まるで十代の頃の髪に戻ったみたい。

ではここで育毛剤ぼうぼうを長年ご使用されている女優の薄井元加さんに登場していただきましょう」

(薄井元加登場。)

元加「はじめまして。薄井元加でございますぅ」

司会「ようこそいらっしゃいました。元加さん、本当に若々しい豊かな髪をしていらっしゃいますね」

元加「そうなんですぅ。ほら、わたくし産後から薄毛に悩んでおりましたでしょ。それが、今では薄毛どころか、美容院で髪のボリュームをどうすれば抑えられかって相談しているぐらいなんですのよ。ほーんと、ぼうぼうにはお世話になりっぱなしでございますぅ」

司会「え~。元加さんが薄毛に悩んでいたなって信じられない。使用しはじめてからどれくらいで効果を感じられましたか?」

元加「三日ほどでしたかしら」

司会「すごい。たった三日で効果があったなんて、さすが育毛剤ぼうぼう。小松坂博士、なぜ、これほど効果絶大な育毛剤を開発できたのですか?」

小松坂「ワタシは、イチゴは好きではないですがな、イチゴ農家の次男坊として、食べる以外に役立たたないかなと考えていたところ、ある晩、夢をみたんですな」

司会「あら、どんな夢だったのですか?」

小松坂「イチゴ頭の宇宙人がやってきて、イ・チ・ゴ・ハ・ケ・ニ・エ・エ・ン・デ・ス・ヨ、っていいまして、作り方を教えてくれたんですな。目が覚めたら、すぐに試しに作ってみました。それが育毛剤ぼうぼうというわけなんですな」

司会「えー、じゃあ育毛剤ぼうぼうって宇宙人からのメッセージによって作られたってことですよね」

小松坂「その通り」

司会「宇宙由来の育毛剤ぼうぼう。

初回限定特別価格、税込み千五百十五円。日本全国送料無料!

そして、なんと今回先着十名様のみ、脱毛剤てゅるてゅるをプレゼント!

放送終了後、三十分以内にご注文の場合はもう一本お付けします。オペレーターを増員して皆様のお電話をお待ちしています。

 お電話番号は、いちごいちご いちごは よい1515-158-41」


 ①

薄井(うすい)元加(もとか)はテレビを消した。

この夏、人々がもっとも発したコトバは、「暑い」でもなく「うだる」でもなく、それは「ぼうぼう」

 朝の挨拶はぼうぼうからはじまり、おしゃべりの合間や別れ際にもぼうぼうは入り込む。テレビやラジオ・ネットからも、ぼうぼうはとめどなく流れた。

「ぼうぼう」と言う時、人は相手の頭上を見る。

 四十歳の誕生日を迎えたばかりの元加は、そうした視線を堂々と受け止められるようになったことを嬉しく思った。

産後より頭頂にある分け目部分の地肌が目立ちはじめ、これまで気にも留めなかった新聞に折り込まれている育毛剤の広告を、じっくり見るようになっていた。一旦、関心を向けると、この世の人々の悩み事は、大半が毛にあるのだと思えるほど、毛を育てるための商品があちこちにあふれていた。

そんな数ある商品の中から、縁あって元加の元に届いた育毛剤ぼうぼうの初体験の日、元加はその液体を手のひらに出した途端、小学三年生の時のクラスメイトだった静(しずか)ちゃんのことを思い出し、眉間に皺が寄った。

ヘドが出るほど甘えた声をした静ちゃんは、いつもふりふりしたイチゴ柄の洋服を着ていて、シャンプーの匂いなのか、柔軟剤の香なのか人工的な甘ったるいイチゴの匂いをまとっていた。

彼女はなぜだか元加を慕っていて、気づけば背後に立っているので、元加は彼女のことが気味悪く、背中を壁にくっつけるようにして校内を移動していた。

幸い、静ちゃんは三年の夏休み明けには転校し、元加は晴れて自由の身になったが、それまで大好きだったイチゴが食べられなくなっていた。見た目も匂いも触感もイチゴのすべてを拒絶した。特にイチゴの表面に付いたつぶつぶが恐ろしかった。つぶつぶがすべて静ちゃんの目に見えた。転校したはずの静ちゃんが、その後も自分のことを見張っているように感じられた。

育毛剤ぼうぼうは、赤色をした液体で、静ちゃんにそっくりな香がした。元加は眉間に皺を寄せたまま、手のひらに出した赤い液体を睨んでいたが、やがて意を決してそれを頭皮にすりこんでいった。ぼうぼうは思っていたより粘着質ではなく、すっと頭皮になじみ、それと同時に匂いも消えた。

しばらくすると、球形の頭部の内側にじんわりとぼうぼうがしみ込んで、洞窟にできる鍾乳石(しょうにゅうせき)のような形状を描きながら、赤い雫が滴り落ちて脳内を満たしている様子を、元加は想像することができた。

最初に生じた嫌悪感はすっかりなくなり、その後、元加は眉間に皺を寄せることなくぼうぼうを使用し続け、静ちゃんのことを思い出すこともなくなった。

三日後、朝目覚めた途端、元加は頭皮に微かな芽吹きを感じた。急いで鏡の前に移動し頭部を確認した。分け目の部分にみっしりと黒い若毛が芽吹いていた。

「ぼうぼう」

元加はそっと呟いた。するとその声に若毛が反応し、左右に揺れた。それは頭皮を撫でるみたいなあまりに心地よい揺れだったので、再度「ぼうぼう」といった。再び若毛がかわいらしく揺れた。元加は次第に楽しくなり、そばにあった歯ブラシで拍子を取りながら、ぼうぼうを連呼した。

ぼうぼうは元加の人生、いや元加だけでなく薄毛に悩むすべての人の人生を変えた。ぼうぼうは、三面鏡に頭部を映し地肌が見えぬよう髪を複雑に絡め、ハードスプレーで固めたり、黒い粉を地肌にまぶしたりすることから人々を解放した。

そのうえぼうぼうは、髪と髪を繋げることにも長けていた。それは人体に張り巡らされた神経のごとく髪から髪へと情報を運び、人と人との縁を結んだ。誰かがどこかで「ぼうぼう」と発すると、周囲にある髪たちが同調して揺れた。それはぼうぼう未使用の髪にも波及していた。

振り返ってみたならば、元加と小松坂隼人を出会わせたのも、ぼうぼうだった。

株式会社ぼうぼうの代理人として、薄毛時代の元加の前に現れた小松坂は、会って早々、元加の頭部を舐めるように見て、「いいですな」「理想的です」といって、育毛剤ぼうぼうを元加に手渡したのだった。イチゴのかぶりものをつけたふざけた格好の小松坂のこの言葉に、元加は褒められているのか貶されているのかよくわからぬまま「ありがとうございます」と複雑な面持ちでこたえた。

この出会いにより、元加は芸能界に返り咲いた。巨乳のグラビアアイドルとして一世を風靡し、出産後は薄毛女優ランキング一位になって世間を賑わしたものの、その後は忘れられ、私生活でも離婚し、どん底の生活に苦しんでいた時に舞い込んできたのが、ぼうぼうの広告塔になるというこの仕事だった。

こうして、ぼうぼうは薄井元加を広告塔に人々の間に広がり続け、売れ続けた。一方で、ぼうぼうは謎めいた商品でもあった。


 ②


『株式会社ぼうぼう 主成分 イチゴ』

商品の裏側に印字されているのはそれだけだった。ネットで株式会社ぼうぼうを検索してみても、誰かが投稿した育毛剤ぼうぼうを絶賛する記事は山のようにあっても、会社に関するものは一つもなかった。けれどそれを不審に思う人間は、今はおらず、昔であれど一人をのぞいて他におらず、そのたった一人の人物というのが、小松坂(こまつざか)隼人(はやと)だった。

彼は都心から電車で一時間ほどの郊外に住む、イチゴ農家のイチゴ嫌いの次男坊だった。

生まれつき縮れ毛で毛量が多いのが悩みであり、梳(す)いても広がる髪の毛を手なずけることができず、年中ニット帽をかぶっていた。

勉強もスポーツも苦手な男で、唯一の特技はイチゴ栽培であったため、高校卒業後は家業を継ぎ、日々イチゴを育てている。小松坂の手にかかれば、他の農家が栽培できないと匙を投げる品種でも、立派に育てることができた。

育毛剤ぼうぼうが世間に出回る二年程前のことだった。

小松坂の元に差出人不明の封筒が届いた。封を開けてみたならば、中には種のようなものが入っていた。

イチゴ農家の小松坂はそれがイチゴの種であると確信したが、種の入った不審な郵便物には注意するようにというニュースを見たばかりだったので、この種も限りなくイチゴに似せた謎の植物の種であるかもしれないと思い警戒した。

けれどそれが謎の植物であればあるほど、育ててみたいという好奇心が勝り、結局、小松坂はその種を土に埋めた。

芽が出た時点で、小松坂はそれが通常のイチゴではないと知った。生育が早すぎるのだ。三日で芽が出て七日目には花が咲き、十日目には実がなった。その実の見た目は、よくあるイチゴと同じだった。

イチゴ嫌いの小松坂は、自分でその実を食べることができないので、小学校の頃から四十年ほど引きこもりを続けている兄に、その実を食べさせることにした。

兄は引きこもってはいるものの、なぜか小松坂の呼びかけには反応し、毎回、扉の隙間から顔をのぞかせるのだった。

小松坂の目の前で、兄はそのイチゴを頬張った。たった一粒のイチゴなのに、兄は頬をふくらませ、食べ物を頬張る姿が大人を喜ばせると知っている幼児みたいな食べ方をする。

食べ終えた兄は、小松坂に向かって「うまい」とだけ言って、部屋の扉を閉めた。

イチゴ農家にとって生育の早いイチゴほどありがたいものはない。小松坂は残りのイチゴから種を採取し、謎のイチゴを増やしていった。それらはこれまで栽培していたイチゴと見た目も味も変わらないため、出荷するのになんの問題もなかった。

小松坂は微かな罪悪感を覚えながらも、この謎のイチゴに適当な名前を付け出荷し続けた。イチゴはよく売れた。コストがかからないので、安い値段で販売できたからかもしれない。

ある日、市場の担当者との打ち合わせの際、ある企業がそのイチゴをすべて買い占めているのだと知らされた。担当者はそれに対して訝ってはいなかったが、小松坂は不審に思い、その企業の名前を尋ねてみた。株式会社ぼうぼう。

それが謎のイチゴを買い占めている企業名だった。

担当者と別れると、小松坂は早速、ネットでその企業について検索してみた。しかし膨大な情報が流れる空間に、その名は一つもないのだった。

このまま謎のイチゴを栽培し続けていいのだろうか?小松坂は悩んだものの、ビニールハウスを必要としない上に、季節を問わず栽培できるこのイチゴは、もはや彼にとってはなくてはならないものになっていた。

家をリフォームできたのも、年老いた両親を施設に預けることができたのも、すべてはこのイチゴのおかげだった。小松坂はパソコンのフタをそっと閉じた。

それから半年あまり経った頃、『株式会社ぼうぼう』という文字が小松坂の目に飛び込んできた。それは自宅に届いた小荷物の伝票にあった。荷物の発送元が株式会社ぼうぼう。兄宛の荷物だった。小松坂は兄の部屋の扉をノックした。

「株式会社ぼうぼうから荷物が届いたんですな」

兄はすぐに扉を開けた。兄の頭は随分前から禿げ上がっていて、ここ数年その勢いが増しているようだった。

「何が入っているのですかな?」

小松坂は荷物を兄に渡しながら尋ねた。すると兄は小松坂の頭部に目をやり「お前には必要のない品物だ」といって扉を閉めた。

ひと月後、再び株式会社ぼうぼうから荷物が届いた。小松坂は兄の部屋をノックした。

兄を見るのは前回、株式会社ぼうぼうからの荷物を渡して以来だった。扉の隙間から顔をのぞかせた兄の姿を見て、彼は息を呑んだ。

兄の頭部には、みっしりと毛が生えていたのだった。彼の驚いた顔を見て、兄は頭部を撫でながら得意げにいった。

「ぼうぼうは本当によく効くよ」

兄は荷物を受け取ると、小松坂の手に空(から)になったぼうぼうの容器を渡した。

小松坂は謎のイチゴが育つ畑の真ん中に座り、兄から手渡された容器をながめていた。透明の容器の底には、赤い液体がわずかに残っていた。

容器に貼られたイチゴのシールには『育毛剤ぼうぼう』と印字されていて、裏側には『株式会社ぼうぼう 主成分 イチゴ』とだけ書かれてあった。

小松坂がその容器を軽く持ち上げ、「ぼうぼう」と呟くと、畑に育つ謎のイチゴが母親を探す赤子のように、ざわわと揺れ、緑の蔓(つる)を容器に向かって一斉に伸ばしはじめた。小松坂は確信した。育毛剤ぼうぼうの主成分になっているイチゴはすべて、この畑で育つ謎のイチゴであるのだと。

小松坂は胸のつかえが下りて、晴れ晴れとした気分になった。畑に寝転がり、容器に絡まったイチゴの蔓を払いのけフタを開け、底に残っている赤い液体を手のひらに垂らした。

イチゴを模したイチゴの匂いがした。つまりそれは本物のイチゴの匂いではなかった。だからどうしたというのだ。小松坂は自問自答する。

ワタシの畑のイチゴは世間の人たちの役に立っている。それはいいことだ。この液体の匂いが本物のイチゴでないからといって何が悪い。そもそも本物ってなんだ。本物と思っていたものが、本当は偽物なのかもしれない。そう考えるとこれまで謎のイチゴと思っていたイチゴが本物で、手間暇かけないと育たぬイチゴこそ偽物に思えた。

ワタシはもうこのイチゴしか育てない。

小松坂はそう決めた。

その日から小松坂は謎のイチゴたちをぼうぼうイチゴと呼び、それ以外の種(しゅ)を育てることをきっぱりとやめた。

彼はぼうぼうイチゴの畑を増やしながらも、いつしか株式会社ぼうぼうの代理人として、ニット帽の代わりにイチゴのかぶりものをつけて、あちこちのテレビやラジオに出演するようになっていった。株式会社ぼうぼうの広報部長と名乗る顔も知らない人物からメールで指示された通りに、しゃべり行動した。

おそらく世間の人は、小松坂が育毛剤ぼうぼうを開発した博士でありながら、同時に株式会社ぼうぼうの社長であると考えているだろうが、それならそれで構わないと彼は思っていた。

現実には小松坂はただのイチゴ農家に過ぎず、育毛剤ぼうぼうがどうやって作られているのか知らなかったし、株式会社ぼうぼうという会社についても謎だらけのままだったが、そんなことはもうどうでもよかった。近頃、小松坂はあれこれ考えることが億劫になっていた。

小松坂は代理人としての役割をこなしつつ、それ以外の時間はイチゴを栽培し続けた。そして時々、彼はニット帽もイチゴのかぶりものもつけず地毛のまま、都心の街をあてもなく歩いた。

桜が満開に咲き誇るある春の日だった。小松坂は街の中心を流れる川沿いの桜並木の下で、道行く人々をながめた。

薄毛の人は皆無だった。誰もが頭上に豊かな髪を生やし、通りを颯爽と歩いていた。どの人も自信に溢れていた。

そして街は清浄だった。かつて街に満ちていた乱れや騒がしさはすっかり消えてしまっていた。整理整頓された争いごとのない世の中は、桃源郷のようで、小松坂の頭に一瞬、タ・イ・ク・ツという文字が浮かんだが、それは本人も気づかぬうちにすっと摘み取られていった。

代わりに小松坂は靴に入っていた小石に気づき、靴を脱ぎ、それを取り除いた。よくある灰色の小石だった。 

彼はそれをポケットに入れると、仁王立ちになり「ぼうぼう」と呟いてみた。すると周囲の毛髪が一斉に彼になびいた。

小松坂はふと自身が糸を引っ張り幾体もの人形を操る人形遣いになったように感じたが、同時に自分は無数の糸を収斂させている点に過ぎず、点の先には株式会社ぼうぼうというすべてを吸い込むブラックホールみたいなものがあるだけだとも思った。

しかしこうした考えは彼がそれを意識する間もなく、泡のごとく消えてしまうので、当の本人は桜舞い散る空の下で、空っぽの頭の上で揺れ動く髪のざわめきに身を委ねているだけだった。


髪が誰かの髪と共鳴しはじめたので、元加はそちらの方向に視線を向けた。すると、川の向こう側で呆(ほう)けたように立っている小松坂の姿を見つけた。

イチゴのかぶりものをつけていない彼の生の毛髪を見るのははじめてだった。その毛はひどく縮れていて、ぼうぼうと燃え上がる炎のごとく逆立っていた。

元加の髪は明らかに小松坂になびいていた。手を振ろうか、名前を呼ぼうかと迷った挙句、どちらもやめ、橋を渡って小松坂に近づいていった。

元加の髪は小松坂との距離が縮まるにつれ、激しく揺れ、はじめて出会う彼の生(なま)髪(がみ)に興味津々だった。小松坂の前に辿り着く頃には、髪はすでに彼の髪に奔放に絡みついていた。

二人は髪を絡ませたまま「ぼうぼう」と挨拶をした。それはテレビスタジオで交わすものとは異なる静かな物言いだった。

しばらくの間、彼らは挨拶の後に続く言葉が見つからず、黙って向い合い、髪の思うがままにさせた。やがて元加が口を開いた。

「人間社会にはヒエラルキーが存在しますでしょ。毛の世界にもそういうのがあるんでしょうか?」

「さあ、毛の世界のことは分かりませんが、やっぱりあるんじゃないでしょうかね。トップに君臨するのはやはり毛髪ですかな。それで次は・・」

「まつ毛でしょうか。長くカールしたまつ毛を女性は欲しがるものですから」

「しかしその後は難しいですな。時代や地域、性別なんかによっても毛の階層は変りますからな」

「確かに、わたくしの若い頃は腋の毛なんかは黒くて濃いのが色っぽいと言われていましたけれど、今ではそんなところに毛を生やすなんて、とんでもなく、はしたないことですものね」

「そう考えると、ずっと底辺にいるのはお尻の毛ぐらいですな。あれはなくてもいい。あったほうがいいなんて聞いたことがないですな」

「そうですね。なにやら毛の世界も大変ですわね。あっちでは生えろ、こっちでは生えるなと言われ、もうどこに生えればいいのかわからなくなって、禁断の地に芽吹いてしまうこともあるんでしょうね」

「その点、我々はいいですな。近頃はますますいい。むつかしいことをあれこれ考えなくなった。ずっと底辺のお尻の毛で構わないと思ってしまう」

「あら、わたくしも同意見。今は、ただただ髪の好きなようにやらせてますの。周りの髪々と一緒になって動きを合わせていれば、間違いはないし、楽ですもの。むつかしいことは頂点の方に任せておいたほうがよいですね。髪の毛さえいただければ、自分の考えなんていりませんでしょ」

そんなたわいもない話をしている最中も、二人の髪の毛は絡み合うことをやめず、そのうち通りにいた他の人々の髪も彼らの髪に同調し繋がり広がりはじめ、蔓(つる)のごとく伸びる髪々が辺りを覆っていった。桜を包み、川をふさぎ、地面をつたい地中に潜るものがいれば、そこここのビルを這い上がり、空へと舞い昇っていくものもいる。

やがて世界は毛髪に包まれた静寂で清浄な黒い繭となり、イチゴの香のするものの子宮の中におさまっていった。


(完)

#創作大賞2023

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