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だから。わたしは犬となった。

 近頃ご近所がやたらと犬づいていて、四方八方どの家でも犬を飼いはじめたものだから、玄関を一歩出ようものなら、目の前の道を行き交う犬連れのご近所さんと挨拶を交わすはめになり、するとどうしたって挨拶を皮切りに犬の話題になっていき、横文字のしゃれた名前が犬の名だと紹介されるが、人の名さえ覚えられないこのわたしに、犬の名前を覚えろだと!とお灸をすえた時のような歪んだ顔になってしまう。

犬の名はポチとかクロで充分だ。その上、犬種とやらがまたひどくややこしい横文字で、思わず、土佐犬はおらぬか~!土佐犬はおらぬか~!と、あのしめ縄を巻いた相撲取りのような堂々たる姿を探してみるが、そんな犬はどこにもおらず、ちびっこいのになき声だけが甲高い犬ばかりが溢れている。

しかしながら土佐犬のまたの名をジャパニーズ・マスティフと呼ぶのだと知ったならば、土佐犬よ、お前もか!と裏切られた気分になってしまった。

もっとどっしりとした、この地に根を下ろした犬が必要だ。

満月になると異性を求めて野山を走り回り、ノミともダニとも共存できるそういう犬。ワンワン、キャンキャンとなくでなく、古来のようにビョウビョウと唸りなき、門の番をできる犬。

犬たるものかくあるべし。近頃の甘えったれた犬どものお手本となってやる。


だから。わたしは犬となった。


犬となったわたしは、家の前を通りかかった犬たちに、犬たるものを教えてやろうと、道の真ん中で四つ足立ち、待ち構えた。

早速、頭部の毛をピンクのゴムで結わえた白くて長い毛の犬がやってきたので、低音の深みのある声で「ビョウビョウ」と呼び止めた。

飼い主と共に白い犬は立ち止まり、こちらを馬鹿にしたように「病、病?」と嘲笑う。

むっとしたわたしは声を荒げてさらに「ビョウビョウ」と繰り返すと「見たことのないワンちゃんね」と白い犬の飼い主に頭を撫でられて、そうしているうちに、あらま、なんだか気持ちがよくなってしまい、思わずおもらしをしてしまった。

白い犬は、粗相をしたわたしを軽蔑の眼差しで見つめ「病、病」となくと、広がっていくおしっこを踏まないよう後ずさった。

悔しさのあまり「糞!」と吠えると、勢いあまってうんこを垂らし、ああ~と自己嫌悪に陥っているうちに、ご近所の犬と飼い主たちに取り囲まれ「どこのワンちゃん?」「飼い主さんはどこにいるの?」などと続けざまに質問されたのち「もしかして野良?」という声をきっかけに、気付けば白いバンに乗せられて、山奥にある白い建物の前で降ろされた。


消毒液の匂いのする冷たい目をした女の人が、わたしの首に輪をはめた。建物の中は諦めと憎悪と微かな期待が入り混じった場所だった。

檻の中の犬たちが「哀れんで~哀れんで~」と訴えている。どの犬も汚れていてひどい臭いを放っている。

かつてはペットショップの飾り窓で愛嬌を振りまいて、高値で取引きされた犬も多いようで、彼らは取引きされた値段こそ自分の価値であると思っているらしく「三十ワン」「五十ワン」と競うように叫んでいる。

わたしは一番奥にある狭い檻に入れられた。女の人は檻に鍵をかけると、こちらに声を掛けることもなく出て行った。

後姿のその人はぷりぷりした桃みたいなお尻をしていたので、急に空腹を感じお腹がなった。

「これでも喰えよ」という声が聞こえ後ろを振り返ると、二匹の犬がいた。

箸置きのように胴の長い犬と、顔面の肉が垂れ下がった不細工な犬だった。

彼らは傍にあった餌入れの中のコロコロした犬餌を勧めてきたが、わたしが食べたいのは甘い汁をたっぷり含んだ桃であり、いくら空腹だからといってこんな犬餌を食べたいとは思わなかった。

しかしながらこちらは新参犬。ここでは古参の犬に敬意を示したほうがよいと思われ、お腹を見せて寝転がり服従を示したのちに遠慮がちに「大丈夫です」と断れば、不細工犬がこうないた。


「おい、新人。お前、桃が食べたいんだろう。あの女のケツは桃そのもの。俺は一度あのケツに喰いついたことがあるんだぜ」


 犬であるのに桃を知っているなんて、この犬は美食家に飼われていたのか?と考えるが、こういう場所では過去については尋ねないほうがいいはずで、当たり障りなく「クウ~」とこたえると「けどよ、あんた。ここではこれしか喰うものはないよ。こんなの雑種の餌だとお高くとまって餓死した奴を、おいらはいっぱい見てきたよ。喰える時に喰っときなよ」今度は胴長犬がそうなくので、再度「クウ~」とか弱くこたえたならば、胴長犬は「まあ、好きにするといい」となき、不細工犬と共に横になった。

わたしも彼らに倣い横になる。犬として生きるのに不慣れなわたしは、四つ足立ちの生活に思いの外疲れていたらしく、いつの間にか眠っていた。


 人の声がしたので目が覚める。赤いハイヒールが目に入る。檻の外にいるのは美しい女の人。桃尻女も隣にいる。

彼女らは不細工犬を指差して、なにやら話し込んでいる。やがて檻の扉が開かれた。

「ブル中野」と呼ばれると、不細工犬はしずしずと前に進み出て、赤いハイヒールをぺろりと舐めた。

彼らが立ち去ると、胴長犬が呟いた。
「選ばれる犬でなきゃダメなんだ。選ばれないとガス室送り。おいらの命は残り三日。三日たてば臭い飯ともおさらばさ」


 三日後の朝目覚めると、胴長犬は消えていた。わたしは悟る。犬たるもの!と声高に叫ぶより、人におもねり、彼らの持ち物として恥じぬよう小綺麗にして生きるしか道はない。

時折目覚める野生の感覚を封じ込め、人間社会に順応することこそ、現代の犬に求められること。番犬は必要なし。わたしは「ビョウ」となくのを止めにして「わ・ん」と可愛らしくないてみた。

するとあれま。目の前には少年が立っていて、こちらを指差し「この子に決めた」といったのだ。選ばれた!嬉しさのあまりおしっこをちびる。嬉しさのあまり少年の顔をべろんちょする。

こうして新しい生活がはじまった。


わたしの新しい名はオーギュスティーヌ。

いい名前だ。品がある。けれど何度聞いても覚えられない。やっぱり名前は二文字がいい。すぐに自分のことだとわかるから。最初は何度も失敗した。

ギュウニューとかニュウギューとかアフタヌーンティーにも反応し、あっちこっちを飛び回った。

見るに見兼ねたご主人様が略して「ギュー」と呼んだので、ようやく自分と名前が繋がった。

ご主人様が「ギュー」と呼べば、わたしはどこにいたって駆けつける。すると彼がギューと抱きしめてくれるので、嬉しくて嬉しくて、べろんちょべろんちょと頬を舐める。

ご主人様からは太陽と汗の入り混じった匂いがして、わたしの胸を締め付ける。

ああ、龍ちゃん。かつて胸に抱きしめた幼いあの子を思い出す。

ご主人様と同じ匂いのしたあの子。今頃あの子は宇宙の塵となっているのだろうか?目から涙がこぼれ落ち、それをうれし涙と捉えたご主人さまが「そんなにそんなに嬉しいのかい?かわいい奴め!」とより強く抱きしめてくれるので、わたしもより激しくべろんちょし彼を愛す。


 彼が学校に行っている間、わたしは彼の母親と過ごす。かつてのわたしがそうだったように、彼女は母親のお仕事である小言をいうのが得意だった。

日中わたしは母親の隣で彼女の小言を聞きながら、体力を温存する。彼が帰ってきたならば、120パーセントの力を出し切って、遊びに興じる必要があるからだ。子供と接する時は全力で。どこかで読んだ育児書にそう書いてあったはず。


 日を重ねるごとにわたしはますますご主人様への愛が増し、彼のカラダから剥がれ落ちる物質のすべて、瘡蓋やフケに至るまで、なんでも食べ、そうすることで互いの血が繋がって本物の家族になれると信じた。

それらはどれもが微かに塩の味がして、生き物が海から生まれたことを証明する一方で、海流よりも早く激しく月日は流れ、気付けばご主人様は成人し、家を出て暮らすようになっていた。

もちろん、わたしはご主人様と一緒。

マンションの殺風景な一室で、ご主人様の帰りを待つ日々。

彼は朝早くから夜遅くまで家を空けた。するとわたしは徐々に封印していたはずの犬としての使命を思い出し、家を守るのだ!という番犬気質がむくむくと顔を出しはじめ、少しでも人の気配を感じると「ビョウビョウ」というなき声に充ち満ちた。

わたしは番犬として立派に仕事をし、ご主人様が帰宅すれば、べろんちょして愛を与えた。


けれど近頃ご主人様は始終浮かない顔をして、休日に訪れる公園でも昔のように遊ぶことはもはやない。

夜遅く、酒の勢いに任せてどこの犬の骨ともわからぬ女を連れ込むことがある。

そんな時、わたしは女のお尻にがぶりと噛みついてやるのだし、牙を剥き出し「病、病。」と吠えまくる。女が彼の隣で寝ようとすると間に割り込み、彼のカラダに指一本触れさせぬよう阻止をする。


それなのに、こんなに尽くしているのになぜかしら、彼の心は少しずつ離れていく。やがて首に新しい輪が巻かれた。声を出す度に、輪からびりりと電気が流れるので、痛くて怖くてしゅんとなる。

ご主人様が帰宅しない日が徐々に増える。どこかにご主人様の姿が見えないかなあ~?窓から外を見るものの、彼の姿はどこにもない。

目の前を、猫となったものが気ままに通り過ぎていく。

ご主人様を持つでなく、野良としての生き様を羨ましく思う。わたしはなぜ、猫でなく、犬となってしまったのか?


帰ってこないなあ~。ご主人様。外に出たいなあ~ご主人様。お腹が空いたよお~ご主人様。桃を食べたいなあ~と願いつつ、わたしはゆっくり目を閉じた。

(完)

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