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24対1でも堂々と1を選ぶ

わたしには娘が1人います。

彼女は【◯年に生まれた女の子の名前ランキング】でここ数年、必ず上位に入っている名前です。30年近く前の命名時、親戚に伝えると一斉に「おばあちゃんみたい」「古くさい」と言われ、「その感覚のほうが古くさいんじゃないの〜〜〜〜!?」と内心憤慨しました。
が…30年ほど先がけていたのか、 仕方ないw

強運な名前

ですが翌日、親戚が口々に「さすが美喜ちゃん良い名前」と言ってくれたのは、字画を調べた結果、強運だったからです。わたし達夫婦は、そんなことは知らずに決めましたが、そのこと自体、彼女の強運さ加減を物語っているのかもしれません。届け出直前にカタカナのほうがいい?と血迷ったわたしの意見が通らなくてよかったです。

そのせいか、なんなのか娘は理由なく「自分は強運」と思っているフシがあります。(最近は聞いてないけれど、以前よく言っていましたし、そう言えば、わたしも彼女に小さい頃、そう言い聴かせていました)

で実際、産まれる時から幸運でした。母が早くから居ないわたしに「ウチで産んで、実家と思ってそのまま落ち着くまで養生したらいい」と、ある産婦人科医院の先生が言ってくださって、そのご好意に甘えることになり、出産後3週間まで入院させてもらったり、保育園のクラス全員が水疱瘡になったのに1人だけならなかったり(あとですご〜く軽く済んでいたことが判明。これは強運というより強健なのかもだけどw)、ある占い師さんに「あなた(美喜子)の運はあまり良くないが、娘さんが強運なので助けられるだろう」と言われたりしてきました。

前フリが長くなってしまいましたが、本題に・・・

ほかの子と違っても堂々と

そんな娘の小学校の入学式。島の小さな小学校で、新1年生は25人程度でした。
校長先生の問いに、手を挙げる子がたった1人の時も、ほかの24人(正確には覚えてないんですが)全員が別のことを選んだ時も、堂々としているのを見て、おもしろいな〜、と観ていました。

2年生の時には自ら希望し、高学年のお兄さん達に混じり、少年野球に入団。練習開始時のランニングなんて、ダントツのチビがダントツに遅れて走ることになるのに(めっちゃ可愛かった)、2年生の間は一度も練習を休むこともありませんでした。

わたしには、そんな状況で何がおもしろいのかさっぱりわからなかったけれど、3年生になる時、思いがけずあっさり「やらない」と言ったことは、夫もわたしもテレビで野球を観ることもなかったのに、そもそも「やる」と言ったこと自体、おもしろくて未だに謎です。

こんなふうに書いていたら、延々と続けられるほど、小学生までの彼女のユニークさってすごいのだけれど、きょうのトピックは「真冬の服装」です。

世界一寒い!?佐渡島

娘が中学生までは、佐渡島(新潟県)に住んでいました。
日本の里山の象徴とも言える「朱鷺」(学名ニッポニア・ニッポン)が、最後まで野生下で棲んでいたのが佐渡島です。それほど自然が残る、日本海に浮かぶ美しい島。わたしの心のふるさとです。

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夏は、バリ島か?と思うこともあるくらいなんですが、真冬は日本海側特有のグレーの冬空で、島特有の強風が吹き続けます。ちょっとした台風よりずっと、毎日暴風です。

「冬は晴れているもの」の首都圏育ちのわたしには、それはそれは精神的に辛いことでした。カナダ人の友人も「佐渡は世界一寒い」と言っていたくらいですw(寒い地域は、それなりに室内が暖かくなる工夫があるから)

なぜか冬も夏の格好をしはじめた

物語は娘が4年生の秋^^w
どういうわけか彼女は長袖や上着を着なくなり、真夏と全く同じ格好で過ごし始めました。そのまま冬になっても真夏と全く同じまま5年生の春になりました。!驚!

そして5年生の秋〜冬。
またも真夏の格好のまんま。何をどう言っても長袖や上着を着てくれません。「寒くない」のだそうです。ほんとうに寒くなかったんだろうと思いますけど…

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暴風雪波浪警報が出ていても、この写真のようなピラッピラの半袖Tシャツとミニスカートかキュロットという格好で、毎日学校にいきます。

それでもこの間、風邪を引いて休んだりすることは1度もありませんでした。
が…冬の間、常にと言っていいほど青っぱなズルズルさせていました。こんなに可愛いのに、イマドキいっつも青っぱなたらしてるってナイし、時々咳をすることもあって、常識にとらわれないほうのわたしでさえ「ありえん!!!」と思い、気が気でなかったのです。自分自身は、めっちゃ寒がりでしたしね。。。

耐えられなくなったわたしが、たま〜に言いくるめて、やっと春物のジャンバーあたりを着せて登校させるのですが「忘れてきた〜(確信犯!)」と必ず学校に置いて帰ってくるというツワモノでした。

皮膚は冬皮膚になっているようで、ざらざらと鳥肌が立ったような状態が冬場の常でした。

お友だちに理解されない

そんなある日、泣きながら学校から帰ってきました。

「◯ちゃん(娘のこと)、ほんとうは寒いのに、寒くないって言ってる。だって鳥肌立ってるもん」て、AちゃんやBちゃん、Cちゃんに言われた。ほんとに寒くないのに!

と泣きながら訴えてきました。
仲の良い友人にも理解されないばかりか、嘘つきよばわりされ、悲しかったのですね。

(悲しいのは、よくわかるよ。でもママだって寒くないって信じられない。そりゃ〜〜〜A、B、Cちゃんが言うのはわかる〜〜〜〜〜!◯ちゃん!)と言いたかったけれど、ぐっとこらえ

「ヒトと違うことをすると、何かを言ってきたりする人はいるよ。そういう人は、他のやり方とかが信じられないんだね。それが嫌なら、みんなと同じことをしたらいいよね。(で、できれば冬服着て〜〜〜←心の声)それでも、自分が決めたことをやりたいなら、人と違っていることで何か言われても、わたしはこうなんだって堂々としてるしかないよね」

というようなことを話しました。静かに聴いていて、何も答えなかったけれど、伝わったと感じました。(あしたどうするんだろうな〜〜〜)

翌朝、わたしに何の相談もなく、何の躊躇もなく(わたしにはそう見えた)いつもの半袖Tシャツ&ミニスカートで登校する姿を観て「お〜あっぱれ!おもしろい!」と思いながら見送りました。

そりゃあもう長袖長ズボンで登校してもらいたかったけれど、何にせよ彼女が自分が大切に思っていることを、人から何か言われても大切にしたことが、とてもうれしかったです。わたしが、時々ハラハラして耐えられなくなった以外は問題は何もないし、誰にも迷惑がかからないことですしね。
その後、一度もそのことを思い悩む様子は見られませんでした。

結局、娘は4年生の夏から6年生の冬前まで夏服のまま過ごしました。
6年生の秋「◻◻ちゃんに一緒にGパン履こうって言われた」とか言ってきました。オシャレ心が芽生えてきたのですね。

(よっしゃ〜〜〜〜!これで冬に長ズボン履いてくれる 涙!)

と思ったけれど、こちらの思惑を漏らさないよう「へぇ〜いいじゃない?買いに行く?」とサラッと言った時の気持ちは、今もはっきり覚えていますw
その後は、記憶に残らないほどあっさり普通の服装に突入していったのでした。(しかし3年生の冬より後、冬の装いをしてないので、冬服がみんな小さくて着るものが無いのに驚きましたw)その後は、彼女もいろいろな変化がありましたが、別の物語になるので、きょうはここまで。

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ピュアな感覚に沿っていたら可能性は無限大

風速が1メートル強まると体感温度は1℃下がると言われている(ちょっと違うみたいだけれど、とにかく体感温度はかなり下がってさっむい!)ので、しょっちゅう暴風が吹いている冬の佐渡島は体感温度は常にマイナスだったと思います。そんな中ず〜っとピラッピラの夏服でも、毎日、生き生きと元気だったのは、安定した家庭だったということの上に、自分が大切にしたいことを大切に過ごしていたからだと思うのです。
人間の可能性ってほんと無限大。

この話から20年近く経っていて、世界は多様性を広く意識しはじめ、自分らしく生きやすくなっていると思うけれど、まだまだ周りの価値観に無意識に合わせ、苦しくなっている人も多いです。わたし自身も、そういう部分がゼロではないですしね。自分と違う人を攻撃する人もいます。

苦しい時は「ほんとうの願いを生きていないよ〜」という合図でもありますね。

世間的にすごいことである必要はなくて、たとえ25人中24人が違うと言っても、自分のピュアな感覚や思いを表現して生きることって、その人を元気にします。自分の感覚を信じ続けること。

潔く、堂々とわたしはこうだ
って生きる人は、健やかで気持ちいい。

ピュアな感覚っていうのは、アタマで考えたことではなくて、理屈なく湧き上がるもの(=いのちの願い)のこと。これも深く書くと別の物語だから、きょうはここまで。

娘への揺るぎない愛とエールをこめて

LOVE 美喜子






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