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Livelihood と alivelihood

ある本を読んでいたら「ウィリアム・モリス」が出てきた。彼について次のように紹介されていた。

19世紀、産業革命期のイギリスで、産業の近代化が急速に進むなか、手仕事の復権と生活の中の美の必要性を唱える「アーツ・アンド・クラフツ運動」を展開した。

小林史恵「CALICOのインド手仕事布案内」p.12

どこかで聞いたことがあるような…
もしかして、と思って調べてみたら、いつも使っている名刺入れの柄がウィリアム・モリスのものであった!お気に入りの柄にそんな思想が隠れていたとは…!嬉しい偶然である。

同じ本の中に次のようなことも記載されている。

ライブリフッド(livelihood)は食べていくための仕事、アライブリフッド(alivelihood)は魂が沸き立つような仕事。どちらも必要なのだ。

小林史恵「CALICOのインド手仕事布案内」p.110

「発展」というものを考えるとき、産業革命期のように近代化することや食べるためにお金を稼ぐことが往々にして重視される。ライブリフッドが満たされて初めて、アライブリフッドを考える余裕ができるからだろうか。初めからアライブリフッドを考えることは贅沢なことなのだろうか。それとも他人が介入できるところはライブリフッドの部分だけなのだろうか。もしそうであれば私が今やっている仕事は、私のアライブリフッドではなくなってしまう。他の人のアライブリフッドにも関わることができると信じている。

生活の中の〈美〉。何を美しいと感じるのか、判断基準は人によって異なるけれど、そこに生きる価値が表れる。その価値が地域で共有されたものであれば、それが文化となる。

そのような文化を尊重した発展をどのように実現できるのか。ライブリフッドばかりが重視されると、却ってアライブリフッドが損なわれてしまうこともありうる。アライブリフッドを考える余地をいかに作り出し、どちらもを向上させるしくみをいかに構築できるか。モリスの運動に倣った、そんな仕事をしたい。

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