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内発的発展(Indigenous Development)

8月9日は、”International Day of the Worlds’ Indigenous People”、日本語では「世界の先住民の国際デー」。

"indigenous"という単語に着目してみたい。同様の語尾をもつ単語には、”endogenous"や”exogenous"がある。endo-genousと区切ってみると「内部から生じる」という意味で、exo-genousは「外部から生じる」が本来の意味である。一方で、”indigenous"は、「土着の、在来の、本来そこに備わっている」といった意味をもつ単語である。

開発学では、indigenous developmentまたはendogenous developmentという言葉があり、日本語では内発的発展と訳される。あえて外発的発展という言葉はあまり使われないが、一般的に外から持ち込まれた発展と区別して使われる。

私がこれまで考えてきたことは、内発的な発展と外発的な発展の線引きはどこにあるのか、ということだ。

陳腐な例かもしれないが、マクドナルドが日本に初めに持ち込まれたとき、それは外来のものとして認識されるが、てりやきマックバーガーなどローカライズした日本らしい商品が出てきたとき、それはもう日本のものになったのだろうか。

私が途上国の開発に関わりたいと思ったのは、こうした疑問からである。途上国に行って、何かしてあげたいという思いではなく、これからその国がどのように外からのものを取り入れて変化していくのかを見届けてみたい、そんな勝手な好奇心である。

内発的発展を考えるとき、indigenous knowledgeというのもよく出てくるキーワードである。Local knowledgeもほぼ同義である。これは日本語にしてしまうと聞きなじみがないかもしれないが、在来知と訳されることが多いように思う。

在来知というと、昔ながらの知識、あるいは遅れた知識のような印象を受けるが、私のindigenous knowledgeの捉え方は少し違う。もっとダイナミックなものである。

野中郁次郎のナレッジマネジメントという理論が、知識のつくられるプロセスをうまく説明している。知識創造プロセスは暗黙知と形式知の相互作用で説明されるとし、共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、結合化(Combination)、内面化(Internalization)の4つのステップがあるという。1つ目の共同化では、他者と暗黙知が共有され、次の表出化では、その暗黙知を言語化し、形式知化する。そして形式知化された知識が取捨選択され、統合され、新しいものが生み出される結合化の段階があり、最後にその新しく生み出された知識を実践する中で、自分のものにしていく内面化の段階がある。その過程で知識は再び暗黙知化される。

このプロセスを経て、それぞれの土地に合うように、外からの知識を取り入れて新たに生み出され続ける知識が、私の捉えるindigenous knowledgeである。

内発的発展といっても、外からの影響がない閉じた世界の話ではない。グローバル化の今、常に「外来の」ものはやってくる。それでも全世界が均一になってはいない。それは、外からのものを取り入れるときに、どう取り入れるのか、つまりどのようにローカライズするかが異なるからである。

日本からの支援で、日本の優れたものや技術を途上国に持ち込むことはよくある。日本人はそれをそのまま取り入れたらいいと思うかもしれない。しかし、それは外発的である。日本から持ち込まれた「知識」は、一度現地の人の知識創造プロセスを経る必要がある。「そこに住んでいる人がどう取り入れるのか」を重視すること、これが内発的発展に繋がると考えている。

参考文献
野中郁次郎、紺野登「知識経営のすすめ ナレッジマネジメントとその時代」ちくま新書

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