見出し画像

ないと思えば見えない、あると思えば見える。

米津玄師の「鳥にでもなりたい」という曲の中で、”夜にふと気がついたことがあるけど誰にもわからないだろうから心に留めておく”って歌ってるところがあって、その気がついたことって一体何だったんだろうと、米津玄師の声を聞きながら思いを馳せたりしている。

先日、会社で、デジタルカメラを探していた。でも、一通り探してみたけど、なかった。デジタルカメラを管理してる人に確認したら、「えっ、置いてありますよ。」と。「いやいや、なかったですよ。一緒に行って確認してください。」と言ってみたものの、もしかしてほんとはあるのかも?私が完全にないって思ってたから見えてなかっただけなのかも??って思って「私に見えてないだけかもしれないです」って言ったら、かなり不思議そうな顔をされて「いや、そんなことはないです」とか意味不明な返事が返ってきた。そして現場に到着したら・・・・・・・・
ありましたよね、それは、そこに。
思いっきり何台もデジタルカメラ置いてあった(笑)
最初に行った時、私には間違いなくそのエリアごと、完全に見えていなかった。すごい衝撃を受けた。思い込みってすごいなって。
ないと思うだけで、あるものが見えなくなって、ないことになってしまうなんて。そして、思った。
あるものをなくせるなら、ないものはあるにできるのではないかと。
ただふとそんな気がした。

今年に入って、死んでいくこと、生きていくこと、について考えることが多くなった。そういう本とか映画とかを読んだり観たりする機会が多かったからかもしれない。私は、人はいつか死ぬことは決まっているから、死ぬのが嫌だとは思わない。辛いことがあっても、しあわせなことがあっても、
あぁもう死んでもいいかも、ってわりと本気で思ってしまうこともある。そうやって、死を意識すると、いやいや、まだ好きな人に会ってないから、死ぬわけにはいかない、生きなきゃってなる。でもきっと、好きな人に会えて一緒にいることができるようになったとしたら、できる限り長く生きて少しでも長く一緒にいたいって思うんだろうなって思ったりもした。
歳をとるごとに一緒にいる時間が短くなっていくんだって思うと、より相手のことを大事に思えるようになるのかもしれないな、と、若い時には全くそんなことを思ったこともなかったから、私も随分大人になっものだなと思った。

あなたが愛してくれないなら鳥になりたい。
でも、私は私でいたいから、あなたのこと愛してる。
って、そういうことなんだなぁって、少しだけわかった気がした。
すごい素敵だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?