見出し画像

どうしてカレーには福神漬けなのか

カレーライスには、福神漬けが添えられる。

ご存じの方には釈迦に説法だが、カレーライスには、もともとはマンゴーチャツネが添えられていた。

大正時代に日本郵船が欧州航路航行中に、1等客室の乗客に提供するカレーライスのためのマンゴーチャツネを切らしてしまった。

「何か代用できそうな、似たような味の薬味はないか」

とマンゴーチャツネの代わりに福神漬けを添えて提供した。

これがことの外にお客からの評判を得て、それ以来、カレーライスには福神漬けを添えるのが定番になった。

……という伝説がある。

画像1

福神漬けが、どうして福神なのかというと七福神の七に由来する。

ダイコン、ナス、ナタマメ、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケの7種類の野菜を発酵させずに、醤油とみりんと砂糖に漬けて、福神漬けにする。

もともとは、東京上野の寛永寺の修行僧のためにダイコンや、ナス、キュウリの切れ端を醤油、みりん、砂糖で簡単に漬けたものを貧しい膳におかずとして載せていたらしい。

明治になって、上野の池之端の漬け物屋「山田屋」の15代目当主、野田清右衛門がこれにヒントを得て、修行僧が食するよりも、すこしばかり贅沢な食材を使って、新しい漬け物を売り出した。

山田屋は、現在の酒悦である。

梅亭金鵞(ばいていきんが)は幕末から明治中頃まで活躍した戯作者(作家/小説家)だ。

野田清右衛門が売り出した新しい漬け物を評して、

「この漬け物さえあれば、他におかずの必要がなく飯を食える」
「よって節約になり、お金が貯まる」
「まるで七福神がやって来たようなものである」

と、この漬け物を福神漬けと名付けた。

エキスパートブログ第2回七福神フリーイラスト

野田清右衛門は、福神漬けの商標登録をとらなかった。

それよりも「福神漬け」の名が全国に広まることを願ったのだという。

若い日の夏目漱石は、明治期のロンドンに文学研究のために国費で、日本国家の特待生として留学していた。

ところがイギリスの食事が口に合わず、わざわざ手紙で福神漬けを日本から取り寄せて食べていたらしい。

胃腸の弱い漱石にも、福神漬けは幸いしたようだ。

大正時代に、カレーライスの薬味として定着した福神漬けは、その後甘く、鮮やかな赤色をしたものが普及した。

これはマンゴーチャツネを模したものであった。

画像3

その後、赤い色はいかにも着色料を彷彿とさせることから、自然色に見える茶色の福神漬けがいまでは普及している。

おそらくはカレーライスが日本の国民食にまで発展しなければ、福神漬けはこれほどまでに日本中に普及しなかったのではなかろうか。

脇役として主役のカレーライスに付随を続けて、いつしか欠かすことのできない名脇役にまで登りつめた福神漬けは、出世、人気、定常のご利益までがありそうで、まさに七福神の食べ物のような気がしてきた。


サポートしていただけると、ありがたいです。 文章の力を磨き、大人のたしなみ力を磨くことで、互いが互いを尊重し合えるコミュニケーションが優良な社会を築きたいと考えて、noteを書き続けています。